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完全復元伊能図 全国巡回フロアー展 in 加古川

 もう20年にも前になるが、井上ひさしさんの著書「4千万歩の男」という伊能忠敬を主人公にした小説を読んで以来、是非とも伊能忠敬が歩測で日本全土を測量したという地図を見たいという願望はずっともっていた。地元の博物館で部分的に公開されることはあっても全部となると大変だなと思っていた。(正確に計算するとじつは「5千万歩」だったらしい・・・)

 ところが近年、数多くの伊能図がアメリカで見つかり里帰り展示会を開催するなどのニュースが聞こえてくるようになった。そして先月の8/26~30日まで加古川市の兵庫大学で「完全復元伊能図 全国巡回フロアー展」が開かれ、2日間、ゆっくりと214枚の伊能大図を、そして研究者の特別講演会、映画「子午線の夢」など「伊能忠敬と伊能図」にどっぷりと浸ってきた。

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 大学の体育館に並べられたタタミ一帖分の大きさがある214枚の伊能大図、施設の広さの関係で北海道が別の場所にあるが手前が九州・鹿児島で奥が東北・青森である。西日本地域に並ぶと北海道の広さが実感できる。人が集まっている場所が近畿の瀬戸内地方である。東北や関東地方には細かく見る人は少ない。会場には数人の伊能忠敬研究会のスタッフ、元国土地理院の院長だった星埜先生などが色んな疑問に気さくに答えてくれる。

 伊能忠敬とそのスタッフが長きに亘り測量し、「大日本沿海輿地全図」として大図214枚、中図8枚、小図3枚が作成され、文政4年(1821年)に幕府に提出された。そして公刊されることなく江戸城の奥、紅葉山文庫に秘本として収納された。

 でも、こんな大量の地図が今日まで一括して無事に保管されてきたわけではなかった。

■1973年(明治 6年):52年後に太政官内の地誌課に保管されていた伊能図が皇居炎上により伊能図正本の全てが失われてしまう。(前年より借用していた伊能家副本の献納を受ける。)
■1923年(大正12年):関東大震災により東京帝大図書館に保管されていた伊能図副本の全てが燃失する。

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 ↑フロアに展示された伊能図大図214枚の出展先の一覧がパンフレット表示されている。

●アメリカ議会図書館:145枚 明治の陸軍が模写したもので戦後、米国に渡ったが経緯は不明。
●日本国会図書館  :43枚
●国立民俗博物館  :5枚
●海上保安庁海洋情報部:13枚 明治の海軍が海図作成のため模写したもの。 
●山口県文書館毛利文庫:6枚 伊能隊より長州藩に提供された。
●松浦史料博物館   :2枚 伊能隊より平戸藩に提供された。 

 長らく行方不明だった伊能図の67%がアメリカにあったのだ。その図を最初に日本の研究者が発見した時は割りと粗末に扱われていたが、歴史的価値などその値打ちが分った後はアメリカ議会図書館でも2番目の貴重な史料として大事に保管されているという。

 地図が作られた時代に長州藩と平戸藩に提供された伊能大図は後世に模写されたものより彩色などが美しく、合いマークのコンパスローズなどの意匠も優れている。伊能隊が原図から複写する時、測点をピンで突いて位置を正確に写すため「針突法」が使われたのでこれらには針穴が見えた。

 明治に地図の専門家が模写した図は絵から今のような地図記号に置き換えられているものもあるというが、ボクはその確認を忘れてしまったなぁ。

 一番関心があったのは子供の頃遊んだ神社の海岸からの参道が、今は海になっているが「昔はもっと南あった」という祖母の言葉を確認したかったのだが、200年前もそう変わってないように見えるので3万6千分の一の縮尺では判断できないのかもしれない。


【参考資料】:伊能忠敬の全国測量  渡辺一郎 編著

by pac3jp | 2010-09-09 07:20 | 歴史・民俗  

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