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南方位標識

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 南方位標識の北側の干出岩にキールがすっぽりと挟まって干潮を迎え、一本足で立ってしまった中型のプロダクションヨット。
 スターンからアンカーラインが出ているので満潮時に艇が流れてしまわない用心だろうか。それともこの場所が可航水域だと勘違いし、アンカリングしてお昼寝を楽しんでいたのでしょうか。どっちにしても地元のヨットではなく海図も持たずにやってきたビジターヨットだろう。

 干出岩の上に設置された南方位標識は黒と黄色の塗色もなく夜間用の灯器も無いようだし、どうもIALAの基準を満たしてない標識みたいだ。勿論、日本でなく外国の沿岸だろうと思う。
 でもヨット全重量がキール取り付け部に掛かっているので、キールの陥没など、もうかなり大きなダメージが出ていると思うね、そんな頑丈に造ってあるヨットには見えないから。(画像はギズモード・ジャパンより)


 ボクも長らく大阪湾や播磨灘方面で遊んできて、港域・航路では数多くの航路標識を見てきたが、方位標識は割合少ない。大阪湾には垂水・平磯(南方)と淡路・由良(東方)の灯標が2基だけ。明石海峡を西に抜け播磨灘に入ると播磨灘北航路沿いのカンタマ瀬に南方位浮標が、播磨灘南航路には有名な浅瀬「鹿の瀬」には南方位と西端に西方位浮標が設置されている。

 乗り上げ事故が多いのは幹線航路に面している「鹿の背」だ。大型船・小型船を問わずよくニュースになっている。昔は練習艦隊旗艦までが乗り上げたことがあった。底は砂地なので船底の損害は少ないが冬はノリ網が入りこれに乗り上げると損害は大きいですよ。

 方位標識は割合少ないので見慣れないヨット乗りの中には標識の上に付いている▲×2個の読み方をよく知らない人もいるようだ。

老婆心ながら・・・以下の表をもう一度ご覧下さい。
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            (画像をクリックすると大きくなります)

 それにこの標識はIALA(International Association of Lighthouse Authorities )でIALA海上浮標式として採択され、1982に発効したことにより国際的にほぼ統一された。日本では1983年にIALA海上浮標式が採用され初めて使用されたというので、もう27年もたっているがボクの感じではそんな昔から浮標などに▲マークが付いていたかなぁと思っているのだが・・・。
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by pac3jp | 2010-09-21 06:01 | シーマンシップ  

航路標識測定船 LL01「つしま」と沖ノ鳥島(2)

 「つしま」の船内には各種の電波標識を測定・評価している専用機材やパソコンがずらりと並んだ船室がある。下の画像はディファレンシャルGPSとロランCの受信盤だ。ロランCも説明パネルによると、昔お馴染みだった北西太平洋チェーンや韓国チェーンもユーザーはもう殆どいないと思うが、いまだ航法システムは健在のようです。
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 少し離れて、近年運用が始まったAIS(船舶自動識別システム)評価装置が据付けられている。海保が国内に設置したAIS地上局は93箇所(内4ヶ所は移設)もあり想像したよりかなり多い数だが基幹局以外はきっとケータイの基地のようなものかもしれない。

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 「つしま」は灯台や電波標識の測定が主たる業務だと思っていたが、展示物に沖ノ鳥島の写真パネルがあり、担当者の説明によるとこの島に設置された灯台のメンテナンスを受け持っているとか。
 沖ノ鳥島は東京都心からでも約1,700km離れた日本最南端に位置しているので普通の灯台船では航続距離が届かないのだろう。そこで、もう既に廃止されたが超長波を使う「オメガシステム」の電波を測定する必要から12000kmの長い航続距離を持つ巡視船としてそのお仕事が回ってきたのだろう。年配のクルーにお聞きすると昔はオーストラリアまで行ったなどのお返事があった。

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 ↑画像は沖ノ鳥島の環礁。プラットフォーム(観測棟)と北小島、東小島、干潮時の観測基板が見える。我が国の排他的経済水域(EEZ)にとって重要な島でありここに灯台が2007年から設置されている。

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 ↑プラットフォーム(観測棟)浅い礁湖のなかに60m×80mの大きなプラットフォーム上に観測施設がある。白いビルの上に灯台がある。 コーナーにはカメラが設置されているようだ。灯台のメンテナンスは当然ながら沖に本船を泊めてゴムボートで上陸する。

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 この灯台は2007年3月16日から同島の周辺海域を航行する船舶や操業漁船の安全と運航能率の増進を図ることを目的として灯台(名称:沖ノ鳥島灯台)を設置し、運用を開始した。

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 ↑東小島と北小島 標高は15cmだという。これらの島に消波ブロック設置とコンクリート護岸工事を施し、チタンのネットを被せ保護している。第二次大戦前には最大2.8mの北小島を含め6つの島があったようだが、現在では二つだけ。観測基板は昔の灯台設置工事跡。

 石原都知事が熱心に取り組んでいたようだがその後はどうなったのでしょうね。


【参考Web】1:沖の鳥島について わが国の考え(海保レポートより)
【参考Web】2:沖の鳥島(ウイッキペディア) 
【関連記事】1:航路標識測定船 LL01「つしま」を見学する(1) 
【関連記事】2:南鳥島に港が出来そうだ! 
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by pac3jp | 2010-09-04 11:32 | 海保  

「神戸メリケンパークオリエンタルホテル灯台」

 若い頃、神戸の市役所前に事務所がある会社に勤めていて、時々は生田区京町にあったオリエンタルホテルのバーで飲んだこともあった。そしてそのホテルの屋上には日本で唯一のホテルと一体になっているが海上保安庁から正式に認められた灯台があり、夜間はビルの谷間からでもちゃんと光を放っていることも知っていた。

 その後、阪神・淡路大震災でホテルは全壊、周りもすっかり変わってしまい灯台のことも忘れていたが、今日、神戸海上保安部の「お知らせ」を見ていると1月19日に川崎造船第四船台から進水する31,000トンの貨物船のために神戸港内に航泊禁止海域が指定されていた。そして、その基点が「神戸メリケンパークオリエンタルホテル灯台」となっていた。
 おっ、あの灯台は同じオリエンタルホテルであるメリケンパークに移転されたんだと遅まきながら再確認したのだった。

c0041039_13385790.jpg「神戸メリケンパークオリエンタルホテル灯台」
所在地:神戸市中央区波止場町5-6
位置:北緯34度40分35秒 東経135度11分29秒
光度:赤 64,000カンデラ 緑 69,000カンデラ
光達距離:20.0海里
高さ:海抜55.26m
管理者:関西汽船(株)

※この灯台はメリケンパークオリエンタルホテルの14階のテラスに設置されている。

 調べてみると、昔の灯台は関西汽船株式会社管理の許可標識「神戸オリエンタルホテル屋上灯台」として昭和39年に神戸市生田区(現;中央区)京町のオリエンタルホテル屋上に設置されたものだが、周囲の建物が増加し,海上から見えにくくなったため,平成7年7月関西汽船専用桟橋のある神戸港中突堤に新しく建設されたメリケンパークオリエンタルホテルに移転しました。この灯台の移転にあたっては,明治5年に神戸の和田岬に建てられ,現在は役目を終えて須磨海岸に保存されている和田岬灯台の形を模して設計されました。
(海保HPより)

灯台が光っているのを見たい方は動画をご覧ください。

 近くの西宮・今津港にある木造の「大関酒造今津灯台」も許可標識の灯台だという。

c0041039_13401361.jpg設置点灯年月日:昭和43年11月1日
構造:四角形灯篭形 木造
灯質:不動緑光
光達距離:8.0海里(約14.8Km)
構造物の高さ:6.7 m
光までの高さ(海抜):7.7 m
管理者 (株)大関

 この灯台は,江戸時代後期の文化7年(1810年)に大関酒造の長部家5代目長兵衛さんが今津付近から江戸に酒を回漕する船(樽回船)の目印のために,私費で建設した灯明台(昔の灯台)が始まりです。
 その後,度々修理・改修が行われましたが,現在でも付近を航行する小型船等の安全を見守る灯台としての役目を果たしています。現在の灯台は昭和59年に創建当時の姿に復元されたものです。

 ・・・と海保HPの解説にあるが、この灯台は港奥の船溜りの入り口にあってこの灯台をあてにしている船は全くいないと思うが、灯質は不動緑光で光達距離 8.0海里とちゃんとした灯台の能力はあるのだ。電気の引込み線もないのできっと蝋燭用だと思っていたが地中ケーブルで電気は入っているんだね。

 大昔、まだ付近が広い砂浜だった頃、今でも小さい川口になっている今津で、当時は沖に泊った樽廻船に新酒を運ぶ荷舟が忙しく働くさまをこの灯明台はそんな長い歴史をずっと眺めてきたのでしょうね。


【関連記事】:旧和田岬灯台
【参考Web】:メリケン灯台 
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by pac3jp | 2009-01-08 13:53 | ウオッチング  

また明石海峡の航路ブイが壊される!

 先週中ごろ、強風が吹いていた明石海峡航路で航路に入ろうとした10万トンのタンカーが明石海峡大橋東の航路一号灯浮標に衝突して浮標を壊してしまった。船舶が輻輳する航路の入り口のブイがなくては混乱するので海保はブイの代わりに信号を発する警戒船を配置していると報道されていた。

c0041039_15162945.jpg 画像は同じ大きさのの2号ブイ(潮流発電式?)。かなり大きなブイで小型船舶くらいでは勝負にならないほど強そう。壊された1号ブイはソーラーパネル式。

今日もまだ神戸海上保安部から下記の緊急情報が出ている。

 現在、明石海峡航路中央第一号灯浮標(ホ34-37.3 ト134-58.9)は船舶衝突により一時撤去されています。
 同灯浮標のあった位置に、警戒船(青色閃光灯点灯)を配備しています。付近通航船舶は、注意してください。


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 この明石海峡航路の管制を受け持っているのは淡路側の海峡を見下ろす標高約300mの山頂にある大阪湾海上交通センター(大阪マーチス)だ。オペレーターが3名写っているが左側にも3名のディスクがある。
 ここで海峡を通過する大型船舶をレーダー・AIS・VHF無線・目視で管制している。ボート、ヨットなどは向こうのレーダーには映ってはいるが航路を通行する義務も報告する必要もないし、VHF無線を搭載してないので航路を横切っても直接航行指導を受けることはないが、レーダーの記録は残っているかも知れないので行儀の悪い走りはせずにちゃんと航海してくださいね。

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 1~3の黄色の数字はブイの番号
 画像は11/01 11:42の管制レーダーの画面で白丸が船で、そこから出ている線が針度と速度をあらわしている。丸をクリックすれば500トン以上の船舶ならばAISの情報が表示される。

c0041039_1521387.jpg 事故の当日も海峡を管制しているレーダー画面にはタンカーのAISからの船名、行き先、針度、速度があわせて表示され、まさにブイに衝突しようとするコースに乗っているのがよく見えていたのだろう。AISにはテキストで通報、緊急時にはVHFでタンカーに警告をしたと思うが、風と潮に押される巨大なタンカーは小回りも出来ないのでなすすべもなくブイに衝突してしまったのだろう。右画像は急な長い坂を上りきった所にある大阪マーチス。

 衝突された航路ブイは上部構造が破損していたがアンカーチェーンは無事だったのだろうか。灯浮標の灯器部分だけだったら修理もそう難しくはないがアンカー系の修理もあれば時間が少々掛かりそうだ。

【関連記事】:大阪マーチスがAIS(船舶自動識別装置)の運用を始める
【参考Web】:航路標識のブイが泣いています!!
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by pac3jp | 2008-12-01 15:23 | 海保  

明石海峡 江埼灯台

 「灯台記念日」の11月1日、明石海峡に面する淡路島・江崎にある江埼灯台が一般公開されると聞き、お天気も良かったので見学に行ってきた。
 江埼灯台はお雇い英国人リチャード・ヘンリー・ブラントンによって設計され、日本で8番目の石造りの洋式灯台とて明治4年(1871年)4月27日に点灯したと銘板に刻まれていた。同じ敷地内にはかって灯台守が住んでいた歴史的に貴重な石造の建物もあったが阪神・淡路大震災で被災し今は香川県の四国村で復元保存されているという。
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 海岸から長い石段を登って灯台に着く。見学者はちらほらで関係者の方が多いくらいだ。灯台は2階建てで1階はバッテリーと電源管制盤がある電源室と修理などの作業室になっている。2階のドーム部分に灯器機能がある。ドーム上には避雷針ポールに風見と方位板が付いてクラシックな雰囲気で面白い。

 この灯台は海面から49mの高さにあり、不動赤白互光(R5秒・W5秒)光達距離は白で18.5nmである。西側にある浅瀬、「鹿の背」に乗り上げないように危険海域を知らせる赤い光も放っている。

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 狭いステップを上りドームに入る。すでに灯器に電源が入りレンズ(画像1)は回転している。フェリーで沖から灯台を見た時も光っていた。おやっ?と思ったが今日は灯台記念日で久しぶりに来客が多い日なんだと納得した。

 灯台は暗くなると点灯するようになっているがその装置は街路灯にも使うデイライトスイッチかなと思っていたら窓際に日光弁(画像2)と表示されたセンサーが本灯用と予備灯用の2個並んでいる。弁なんて流体を制御するような大仰な名がついているのは、きっと明治・大正の頃使ったオイルランプやアセチレンガス灯からの伝統でしょうね。

 灯台の係員が灯器が載った免震台(画像3)を動かしてみせ大地震でも耐えると説明していた。阪神大震災では震源に近かったけど非常電源に直ぐ切り替わり欠灯はしなかったそうだ。因みに、もしもの時のためには外部に予備灯器が設置されている。

 光源ランプはそう熱くもなく細長い管球が2本セットで白い光が出ていたのでメタルハライドランプだろうと想像した。確か400Wとか聞こえたが予備が1本付いているのだろう。

 灯台ドームから出て下の作業室に入ると写真パネルや部品が展示されていたがボクは古い縦型バイスに興味を引かれた。これは昔、実家にもあった。明治生まれの祖父が鍛冶屋を始めたときに据え付けたものと同じ鍛造品のバイスだと直感した。多分、明治4年からあったのかもしれない。そんなことを考えていると、電気のない当時、灯台の光源は何だったのだろうと灯器の歴史に興味がわいてきた。

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c0041039_14483986.jpg 江戸時代は障子張りの灯明台で菜種油のランプだったのだろう。

 洋式灯台も初期の灯台には石油二重心灯器(参考画像2)がつかわれたようだ。観音崎、都井岬、石廊埼など、江埼灯台も多分これだったのだろう。 その後、より強い光が出る石油を蒸発させてマントルで発光する灯器になっていった。

 不動レンズ(参考画像1)、灯器から出た光はレンズで遠くに送り出される。明治5年から長らく友が島灯台で使われたレンズ。

明治34年 尻屋埼灯台にアーク灯が設置された。電源は石油発動機(12HP/150V/40A 発電機)光源電化の初め。
明治41年 根室港弁天島灯台にアセチレンガス不動灯がつかわれた。(参考画像3)
明治44年 四日市灯台が電力会社からの買電で32Wタングステン電灯で点灯。

大正 6年 御前埼灯台に 1,000W白熱電灯 ガス封入電球がつかわれる。
大正 7年 出雲日御碕灯台に 1,500W白熱電灯がつかわれる。(参考画像4は江埼灯台でS29年から使われたもの)

昭和51年 ガス式灯浮標の電化完了 尾道港東口第二灯浮標
昭和61年 光源に高圧ナトリウムランプの採用 三木浦灯台

平成 1年 光源にLEDの採用 神戸苅灯台
平成 2年 光源にメタルハライドランプ採用 二神島灯台

 以上のように明治2年以来130年にわたり灯台の光源は進化してきた。歴史ある古い灯台も外観は変わらないが中身はどんどん変わってきたのだ。これからも船舶の電波航法の進歩、普及で光波標識の役割も変わりつつあるのかもしれないが、帰る岬にいつもの光を放っている灯台は懐かしくていいもんですね。


【関連記事】:旧和田岬灯台 
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by pac3jp | 2008-11-12 14:57 | 海保  

灯台や浮標のLED光源

 ~KOBE 帆船フェスタ 2008~ 
 ふねふね大集合 in 神戸港
 
 というイベントが6月28日(土)新港一突であった。

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 ヘリ搭載の大型巡視船「せっつ」の見学にいった時、丁度その前に航路標識のLEDがどっさりとついた灯台用光源装置の現物展示があった。光源のトップにはいつものカモメ除けの針金細工がセットされていた。

 ボクが毎週ヨットを楽しんでいる神戸港付近でも多くの灯台やブイが浮かんでいる。海上保安庁は航路標識ととして全国で5500基もの灯台や浮標が設置されていて、既にその光源の66パーセントは省エネタイプのLED化されているとお聞きした。

 LEDは消費電力が非常に小さい上、10年以上の寿命があった実績もあり、維持経費の軽減と省エネルギーなのでソーラーなどクリーンなエネルギーで運転できるメリットも大きいので平成元年からLED化を進めてきているという。

高光度LED灯器(灯台用)
光度   5600cd
光達距離 12.5M
消費電力 白150W

高光度LED浮標用灯器
光度   2400cd
光達距離 11.0M
消費電力 白86W

と、大き目の光源もある。

 昔から灯台の電源は防波堤の上に何本のも電柱で商用電源が供給され、白熱電球が光源だった。地方の小漁港の出入り口などは架空電線が低いのでマストが高いヨットなどは入れない港もあった。また灯浮標はバッテリーが搭載されて、ブーブーと音がする波動発電装置や最近はソーラーパネルから充電されていたようだ。

 今後の灯台はソーラーパネルとLED光源の組み合わせで電柱がなくなり、地方の漁港でもヨットの進入に支障がなくなるだろうと期待している。

 海保が管理する航路標識では20年も前からLED化が進められているのに小型船舶用の航海灯は最近やっと輸入艇に付いてくる航海灯は認められるようだが全て解禁とはなっていないようだ。
 同じ国交省のお役所なのにユーザーが国民だとエライ違いだね。
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by pac3jp | 2008-06-30 17:05 | 海保  

受難の航路標識

c0041039_10403648.jpg ←画像は明石海峡東の航路ブイである。よく見るとソーラーパネルやランプを保護するガードパイプが曲がってしまっているし、赤球の支持パイプも歪んで見える。誰かがこの航路ブイに接触したようだ。
 昨年もこの大きなブイは上部のやぐらが千切れてしまうほどの事故にあっている。
海保のHP「航路標識のブイが泣いています!!」に詳しい。

 このブイは明石海峡航路の東入り口にあり、友が島から北行して来た本船はここで西へ変針するポイントである。でもこのあたりは潮流も早いし何時も多くの漁船が操業している場所でもある。写真を撮った当日も付近を引き縄漁の漁船が数隻操業していた。ボクらもこの航路ブイの底に太刀魚仕掛けを入れてみたが腕が悪かったのか、魚が居なかったのか、全く釣れなかった。

 つい最近、九州の別府港でカーフェリーが桟橋から出航はしたが故障で漂流し、灯台が倒壊したと以下のような報道がされていた。



フェリーが防波堤に接触、灯台なぎ倒す…別府

7日午前5時50分ごろ、大分県別府市の別府国際観光港で、八幡浜港(愛媛県八幡浜市)に向けて出航した宇和島運輸(本社・同市)のフェリー「おおいた」=2453トン、全長115メートル、梶田秀利船長(55)=の右舷が同港東防波堤に接触、碇(いかり)が灯台(高さ約6・4メートル、直径約60センチ)に当たってなぎ倒した。
乗客52人と乗組員10人にけがはなかったが、自力航行出来なくなり、大分海上保安部の巡視艇などにえい航され、同港岸壁に着岸した。
同保安部の調べによると、「おおいた」は午前5時35分に離岸した直後、発電機が不調となり、岸壁から約200メートルで停止した。潮の流れに押されて防波堤に接触したらしく、灯台は根元からなぎ倒された。
乗客は、後続便に乗り換えるなどして八幡浜に向かった。

10月7日 読売新聞 より引用


 確かに航路標識への接触や衝突は港内の燈標より安全水域標識である「赤白縦しま」のブイがずっと多いのだろう。方位標識や孤立障害標識に当ると座礁の危険があるから居眠りしている船は除いて大抵は注意して大回りするのが普通だからこれは少ないね。
 ボクも大分前に微風で穏かな安芸灘で航路中央ブイをウェイポイントに設定しオーパイで航海していたら、気がついたらブイの2m近くを通過して「ヒャッ」とした経験がある。また、ヨットにはじめて乗る女性ゲストに見張りを頼みキャビンで作業をしていたら、ゲストが突然「灯台が近づいてきたよ!」と叫んだ途端にドーンとブイに衝突してハルに大きなクラックが入ってしまった不運なフネもあった。

 どんな小さな航路ブイでもボク達が乗るヨットよりは、はるかに丈夫なのでブイはペンキにキズが付く位でもヨットのダメージはかなり大きい。また衝突のショックでセンサーが働きカラーペンキが吹出す装置がついたブイもあるので後々大変ですよ。

航路標識は海上に設置してある公共物ですから不注意で壊すなんてとんでもないことです。自艇の位置が確認できる充分な距離をとって航海し、GPSのウェイポイントは航路ブイから0.5マイルは離して設定しましょう。でも何といっても安全の基本は見張りを厳重にすることですね。
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by pac3jp | 2007-10-17 10:53 | 海保  

旧和田岬灯台

c0041039_14134189.jpg その赤い灯台はボクが毎週ハーバーに通う道路からチラッとその姿が見える。須磨の沖を通っても須磨海浜公園の端っこの赤い灯台は確認できる。その場所にあるのはずっと昔から知っていたが、お天気のいい週末に丁度時間が出来たので寄ってみた。

 明治に造られた石造りの立派で有名な現役灯台とは違い、簡素な鉄製灯台だけど、122年も昔に建造され長く働いてきた歴史を持っているが、そう古い物とは思わせないし、今は松の緑と赤い塗装がいいコンラストで公園の中に収まっている。


傍にある解説板によると以下の説明がある

1867年(慶応3年)4月幕府は英国との間で結んだ大坂条約の中で5基の洋式灯台の建設を約束した。和田岬灯台はこの中の一つで兵庫の開港を前に設置されたものである。
初代の灯台は1871年(明治4年)に完成し、1872年(明治5年)10月1日に初点灯された。このときの建物は八角型の木製灯台で、後に1884年(明治17年)二代目となる鉄製灯台に改築され、1963年(昭和38年)に廃灯になるまで神戸初の水族館「和楽園」や和田岬砲台などのあった和田岬に設置されていた。

現在残る鉄製の灯台は「日本の灯台の父」と称されるイギリス人リチャード・ヘンリー・ブラントンによって設計されたもので、高さが15.76メートルの三階建て、初代とは異なって六角形の形をしている。またこの2代目灯台は現存する日本最古の鉄製灯台で歴史的文化財的価値が高く、1998年(平成10年)には国の登録有形文化財に登録された。昭和39年(1964年)に和田岬から須磨海浜公園に移設保存されている。

c0041039_14143066.jpg 同じ解説板に明治20年に撮影された灯台とその付近の海の写真があった。和田岬は兵庫港(現在の神戸港)の入り口にあるので船舶の通行は多いがこの写真を見ると全て帆船である。岬のすぐ前に2隻のスクーナーが帆走している。目をこらして見ると東方に千石船らしい帆影もみえる。

時代背景は
 明治17年神戸小野浜造船所で鉄船朝日丸(504総トン)を建造、
     竣功後大阪商船会社の有に帰し、鉄船巨船として名声あがる。
 明治18年に来る明治20年より500石以上の日本型船の製造を禁止。
 明治20年三菱会社は借用中の長崎造船所を買受け、私設造船所となる。
 明治20年川崎正蔵は借用中の兵庫造船所を買受け、川崎造船所と改称。

 造船業も官業から私企業に移り変わり、船は木から鉄へそして鋼船へと発展してゆく。外航船は外国の汽船が運航し、内航船はまだ日本型船が数多く運航していた。でも、写真でも分るが帆装は扱いやすいガフリグのスクーナーになっている。より小型の漁船は皆、簡素な帆と櫓で魚を追っていたのだろう。

 この灯台の左手に勝海舟が設計したという言われている和田岬砲台
がある。現在もその場所にあるが三菱神戸の工場の中なので見学の手続きは少し面倒である。同じものは西宮の香枦園浜にもある。

 時代は移り、沖を見ても当然ながら帆影は全く見えなくなった。この赤い灯台が建っていた場所から東を見れば神戸空港からジェット機が轟音を上げ離陸している。左手は三菱神戸造船所だ。8万トンクラスのコンテナ船が建造中である。でも、休日になれば沖に小さな白い三角帆がアチコチ気ままに帆走っているのがみえる・・・。
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by pac3jp | 2006-12-04 14:24 | 歴史・民俗  

灯台を利用していますか?

 仲間のヨットマンがある時、海保の担当者から「灯台をよく利用していますか?」と質問されたそうだ。沿岸では普通に設置されている燈台だけど・・・ボクもそう聞かれたら??と考えてしまう。
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 まず、燈台の定義から。 「燈台とは船舶が陸地、主要変針点又は船位を確認する際の目標とするために沿岸に設置した構造物及び港湾の所在・港口などをしめすために港湾などに設置した構造物で、燈光を発し構造が搭状のものを燈台という。」

 そして「船舶に障害物の存在を知らせるため又は航路の存在を示すために、岩礁、浅瀬などに設置した構造物で、燈光を発するものを燈標という」とあるので港の防波堤の上にあるのは燈台で神戸垂水沖にある通称「垂水の燈台」は正式には「平磯燈標」である。

 クルージングする時など予定のコースをチャートに記入するときには目標点を岬の灯台や航路の浮標を変針点に選んでいる。航海日誌には正横を通過した時間を記入したりもしている。
 海上でみるボクが馴染みの深い灯台と言えば明石海峡の江崎燈台や備讃瀬戸の男木島燈台など昔から重要な航路筋にある立派な灯台を思い浮かべる。明治新政府がお抱え外国人の指導で造った石つくりの風格のある灯台だ。航路の重要な場所に今でも健在である。 でも、港の入り口にある燈台はそう立派なものはないが、沖から帰ってくるときは昼も夜も重要な目印だ。

 航路標識の中でも燈台は英語ではライトハウスといわれるように夜間にその真価が発揮される。真っ黒な闇の中から規則正しく固有の光りを発し、その存在を示して船舶の安全な航海をサポートしているのだ。
 ボクもGPSプロッターが普及する以前の夜間航海では燈台の灯質を必ずチェックしたもんです。でも最近は夜間の航海も少なくなったし、光達距離の大きい明るい燈台は電子チャートで方位と距離を確認し、どの燈台かすぐにわかる。ストップウオッチで計測する手間は要らなくなった。
 ボク達仲間のヨット乗りの中では夜間航海のナビゲーションでは燈台の重要性はGPSに負けているように思う。確かに夜間に海図で船位を求めるのは手間がかかるが電子チャートでのナビゲーションは簡単だ。それに技量による誤差もない。
 そうは言ってもボクのクルージングで航路標識全般の利用が減った訳ではない。初めて入る海域では航路標識の全てをしっかりと確認して安全な航海を心がけているのだ。

 でも、航路標識の管理者から灯台をよく利用しているかと聞かれたら、利用価値のなくなった航路標識を廃止しようといているのかなぁと思ってしまう。所によっては利用者が少なく港湾の航路標識としての使命の終わったかのような燈台もあるだろう。だからと言っても燈台や浮標がなくなっても大いに困る。

 定期航路がなくなり住民がいなくなっても港の灯台と桟橋は残して欲しいと願っている。小型船の避難港に、そしてクルージングヨットの寄港先にもなるしね・・・。
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by pac3jp | 2006-08-25 11:04 | 海保  

レーダーリフレクター

 数日前、濃霧の播磨灘、本船航路沿いの富島沖で大型カーフェリーと小型底引き漁船が衝突したと新聞の記事に出ていた。双方に怪我人は出なかったが、漁船は航行できなくなり僚船に曳かれて帰ったとあった。衝突の原因は未だ不明だが大型カーフェリーのレーダーに漁船が映らなかったのだろうか。この海域は西側に有名な浅瀬「鹿の背」があり、淡路との狭い海域に明石海峡に向かう本船航路が通っている。勿論、漁船も多い。ボクたちも四国方面にクルージングする時の常用航路でもある。

c0041039_9143578.jpg 港にいる時に濃霧が発生していれば霧が晴れるまで出航しないが、航行中にガスが出てきたら大変だ。レーダーがあれば自分で付近の障害物をしっかり見張る事もできるが、もしなければ、レーダーを装備した本船から自分のヨットを見つけてもらわなくてはならない。FRPで造られたヨットやボートはレーダーに映りにくいといわれている。そこで、レーダーリフレクターの出番になる。ボクもシュラウドに50Φ×520mmのヨット用レーダーリフレクターを付けているが、カタログによると、レーダー反射面積は2㎡らしい。JASF-SRによれば10㎡が必要でとあると規定されている。ヨット用では頼りないので船検備品のアルミ8面体のリフレクター(多分6㎡)を上げたこともある。

 船検では沿海区域を航海するヨットはレーダーリフレクターを安全備品として必ず装備しなくてはならないとして定められている。
 小型帆船で、レーダー反射器(最高レーダー断面積が6㎡以上のもの又はいかだのぎ装品として備え付けられるもの)を備え付ける場合は不要。と、レーダートランスポンダーの代用に認められているが、レーダーリフレクターの必要面積の規定は法定備品のリストからは見つからなかった。通販の某マリンショップによればプラチスモのモデルは全部をJCIが認めていると表示してあるが、詳細は確かめてないので不明。

 外洋ヨットレースのJASF-SR 2005-2006の規定では 8面体のものは対角線が少なくても456mm以上。その他の形状のものは断面積が10㎡以上なくてはならない。そして、レーダーリフレクターが機能する最小有効高さは海面上4mである。

 それに、ヨットからの最も効果的なレーダー反射はRTE(rader target enhancer)を使用することによって得られる。この装置はレーダーリフレクターに補足して装備されると良い。RTEはITU-R1176の推奨に適合する。RTEの使用を強く推奨する。と書かれている。

では、RTE(レーダーターゲットエンハンサー)とは何だと調べてみると、

英国などでレーダ電波の反射波を増幅させる装置が市販されている。
これはアクティブなレーダーターゲットエンハンサと呼ばれている。
構成は、送信アンテナ、受信アンテナとマイクロ波増幅器から成り、
レーダ電波を受信するとそれを単に増幅して送り返す装置である。
「受信した舶用レーダ電波に応答して受信信号を単に増幅し、自動
的に送信するもの」と規定されている。従来のレーダレフレクタに
代わって、航路標識やその付属施設としても有効な利用が期待され
ている。小型で簡便であることからさらに用途が広く、魚網ブイや
海上構造物等へ幅広い利用が予想される。

 なるほど、FRP製小型船など大型本船のレーダーに映りにくい船舶の、夜間や濃霧中の航行にはもってこいの装置だ。でも、日本の電波法では難しい手続きがいるかもしれない。電波を発射する装置は「無線局」である。よって、電波の質はこうこうではなくてなならない。当然、電波を出すので電波利用料も納めてもらう・・・てなことになるのかな。安全な航海の為のレーダーやVHFを検定というガードを作り、アメリカで買える同等品が数倍の値段でないと当の生産国で買えない矛盾が今もある。

 でも、このような装置が安く提供されるようになれば我々のクルージングには大いに助かる。出来るだけ早く輸入されて使えるようにして欲しいものだ。


(参考文献)
JASF-SR 2005-2006:JSAF 外洋 特別規定2005-2006 モノハルおよびマルチハルの外洋レーシングヨットにおける構造上の特徴、ヨットの装備品、乗員の装備品および訓練の基準
イラスト:サクセスフルクルージング Vol.2 舵社
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by pac3jp | 2006-06-30 09:17 | ヨットの艤装と艤装品