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「合いの子船」

 瀬戸内海は昔から海運が盛んだった。クルージングで各地の島を訪れると当時の海運や造船に関する資料が集められた資料館・博物館が方々にある。広島県倉橋島の長門造船歴史博物館で探していた「合いの子船」の模型を見つけた。

c0041039_9462367.jpg 「合いの子船」の名前を初めて聞いたのは十数年前だった。有名なヨット「春一番」の野本先生から瀬戸内の物流を研究するテーマのアドバイスを頂いた友人のA先生からお聞きした。この船とこの船が活動した時代の物流の研究者は少ないらしいともお聞きした。

ボクも旧知で年配の港湾ジャーナリストに問い合わせしたりしていたがよく判らず、ずっと気にはなっていたが先日偶然にも模型が展示されているのを見て、探していた船のイメージが掴めて嬉しかった。



昭和初期まで活躍した和洋折衷型帆船「合いの子船」

 江戸時代を通じて、日本の内航海運の中心となってきた弁才船(べんざいせん)に代表される和船は、明治維新後の海運近代化によって消滅したと考えられがちだ。ところがこの和船、じつは帆装を西洋式に変えた和洋折衷の「合いの子船」として昭和初期まで活躍し続けていた。
 維新後、明治政府は、和船、すなわち日本型帆船から西洋型帆船への転換による内航海運の近代化政策を推進しようとしたが、北前船主を中心とする日本の内航船主の多くは、これを歓迎しなかった。
 当時、国内での西洋式帆船建造能力は低く、船価は、和船と比べはるかに高かった。さらに当時の和船の性能は、西洋一辺倒の明治政府が考えていたより優れており、あえて西洋型帆船に切り替えるメリットがなかったのである。
 それでも、500石以上の大型船の建造を禁止するなど和船退治に力を入れる政府に対して、内航船主がとった抵抗策が合いの子船だった。
c0041039_9524248.jpg ベースは日本の船大工の技術で建造できる和船様式ながら、西洋式の帆装を積極的に取り入れた合いの子船の性能は、内航船としては、西洋型帆船を凌ぐものさえあった。
 結局、こうした抵抗に政府は匙を投げ、合いの子船は大正時代から昭和初期まで日本の内航海運界で活躍し続けることになる。それは江戸時代以来の和船の伝統を受け継ぐ船大工たちと、政府の圧力に屈せず、あくまで経済合理性を貫いた内航船主たちの知恵と努力の勝利といえるものだった。       
         ( 日本船主協会 海運雑学ゼミナールより)



 上記の文は船主から見た論評であるが、政府は和船建造禁止の規制を200石以上とより厳しくし、安全で強度のある西洋型帆舶に転換に転換させようとしたが、やがて時代は移り、大型の内航船も鉄製の汽船になり、合いの子船は次第に姿を消し、和船構造の船は小型の機帆船や漁船等が造り続けられてきたようだ。

 この話の発端の友人は資料を集め検討・実地調査・検証し、論文に纏めるなんて事が得意な方なので、いずれ自由な時間が出来た暁にはしっかり纏めて、面白いお話と共に我々にレクチャーしてくれる事を楽しみに待っていようと思っている。
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by pac3jp | 2006-05-26 09:59 | 帆船  

11月4日 さぬき市 志度港

 天気予報では高気圧に覆われて、いいお天気のはずだったが、午前中は曇天で肌寒い気温だった。風弱く、波50CM、穏やかな海を淡路江井港から32マイル、志度湾口に至る。湾口を塞ぐ程に見えるノリ網の西側のブイを回り狭い航路をたどる。お昼過ぎに広びろとしていて、閑散としたさぬき市・志度港に入った。視界が少し悪いが、四国88ヶ所で有名な志度寺の三重塔を目印にアプローチできた。港の前には立派な市庁舎がある。
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 デッキを片付つけ、付近を見渡すと、すぐ近くに図書館があった。これはラッキー!! 取りあえず、到着の報告をと思いパソコンコーナーへ。パソコンは5台準備してあるが、今はボク一人だ。クルージング先ではブログの更新はケイタイでもやれるが、画像データのUPは出来ないけど、やっぱりパソコンの方が使いやすい。

 クルーはもうすでにどこかへ行ってしまった。多分、観光パンフレットを貰いに近くの市役所観光課へでも行ったんだろう。

 この町は志度寺と江戸期の天才、平賀源内の生誕地として有名だ。街中に案内の看板がある。早速、今は資料館になっている平賀源内の旧邸宅に行くことにした。案内板に沿って歩いていると、学校帰りの小学生と一緒になった。
「ボク、平賀源内って知ってる?」 と聞いてみると、彼の返事にびっくりした! 「僕は平賀源内の直系です」ボクの名前は?と聞くと「平賀です」「家はそこです」と指差したところは、大きなご先祖さんの銅像に立っているお屋敷だった。
そういえば、顔のつくりが何となく似ているし、DNAはすごいね!。とはウチのクルーの感想。

 讃岐といえば讃岐うどんだ。この町にもおいしいうどん屋さんが沢山あるそうだが、抜きん出た人気の店は無いのか、聞く人によってご意見が違う。まぁ、何処でも大して違わないのかなと思ったが・・・。

 港から徒歩範囲で銭湯がある「観光湯」@280円。リッチな人は車でしか行けないが、岬の上に展望の良い温泉もあるらしい。
 居酒屋は港の周りに数軒ある。フネに一番近い「花まる」に行く。若いマスターと話が弾み、やがて夜も更け、焼酎の酔いもまわってくる。
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by PAC3JP | 2005-11-04 14:55 | クルージング