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広島・豊島の家船(えぶね)

 ボクは前から広島・豊島の「家船」(みょうとぶね)に興味があって、一度は彼らの母港に入ってその家船も詳しく見たいなと思っていた。

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 ところが12月上旬、NHKで、こんなステキなにっぽん「豊饒の海 家船の暮らし」という番組に海洋冒険家の今給黎教子さんが出演するドキュメンタリーがあった。

 昔は豊島から多くの家船が家族と共に魚を追い長い旅をしていたというが、今は「みょうとぶね」で旅の漁をする家船はごく少なくなっているが、そんな家船の一隻にヨット乗りの今給黎さんが乗船し2泊3日の旅をした。

 テレビに映る海域は時々クルージングで訪れるので島々に架かる橋など記憶にある景色もある。漁はタチウオの延縄で大漁だった。1日目の泊まりは呉港だった。そして2日目は倉橋島の室尾の浮桟橋に仲間の漁船を横抱きにして船をつけた。

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 桟橋から自転車を下ろしてこれからお風呂と洗濯とお買い物だという画面がある。この港は旅の漁船が必要とするものがすぐ近くでそろっていて便利な港だとおっしゃる。歩いて5分の場所に古びてはいるがちゃんと銭湯がある。なじみのお宅で洗濯機をお借りする。帰りに日用品や食料のお買い物もできた。

 見ているとボクたちのクルージングにそっくりだ!!
乗っている漁師さんご夫婦の年頃も似ているなあ。大きく違うのは昼間に稼いでいるかいないかの違いだ。しかし、このあたりは大きく違うけどね。

 ボクは倉橋島では「くらはし海の駅」の桟橋には数回泊まったことがある。そこは銭湯はないが立派な温泉施設と博物館、きれいな桂浜など観光施設がありヨットやボートで観光するお客さんには便利にできているが少し料金は高めなのがなぁ・・・。
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 今度行くときは家船が泊まっていた浮桟橋に行こうとしっかりと番組を見ておいた。番台のおばあさんがご高齢なのが気になるが長く元気で暮らしていてくださいね。

 「みょうとぶね」の家船で長い旅をする漁船はもう少ないらしいが、シングルハンドで旅をする漁船はどこの港にもいる。8月には徳島の日和佐で舫いをとってあげた漁師さんは宮崎から来ているといって少し寂しそうな雰囲気だった。

 数年前、枕崎で晩飯をご一緒した高速艇を持つ旅のカツオ漁師は五島・玉之浦の温泉にもちゃんと記名した洗面器が並んでいた。彼は小声で「実は中国に彼女を置いている」といい、しっかり働いて奥さんへの仕送りと彼女の元に通う資金を稼がなくてはと言っていた。動機に不純な部分はあるが研究熱心で行動力もあるので、存分に人生を楽しみながらシングルハンドの漁師を多分今でもしていると思う。

 まぁ、色々ありますが、ヨットのクルージングでは元気な奥様か、独身の場合は美人で素直でパワフルなパートナーが一緒だときっと楽しいし旅ができるはずですよ(沖縄にいらしたなあ!)、奥様を、そして彼女を、と、色々と手を尽くして「みょうとぶね」どうですか、と誘ってみたらどうでしょうかね。


【関連記事】1:「みょうとぶね」と浮鯛抄(うきだいしょう)
【関連記事】2:クルージングヨットのクルーについて 
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by pac3jp | 2009-12-24 17:19 | クルージング  

遣唐使船の島 広島・倉橋島

 久し振りに神戸・元町の海文堂書店に寄った折、二階の海事関係の書棚で小さなタウン・マガジンを見つけた。雑誌名は「港町から」そして「瀬戸内海 倉橋島」を特集した創刊号のようだ。副題に遣唐使船の島と書かれている。

c0041039_13571620.jpg 倉橋島は九州方面クルージングの途中で数回寄港したことがあり、そこには古くは遣唐使船を建造してきた古代から木造船に関わってきた島の歴史が展示されている「長門の造船歴史館」があり、施設の中央には復元された遣唐使船が展示されていた。
(画像は復元遣唐使船の模型)

 遣唐使船は奈良~平安時代の1200年も昔、平均して一隻に150人が乗り組み4隻船団で600人が南シナ海を渡っていったと聞いていた。それを見て、150人乗りとしてはボクの想像よりもずっと小さかったが船体のつくりが立派なのが驚きだった、それに遣唐使船の派遣が菅原道真の建議で中止になってからその造船技術は全く途絶えてしまったという。そんな資料が乏しい古代の船舶をどのようにして復元したのだろうとズーッと思っていた。

 そんな疑問も見つけた小さな雑誌でみんな解消した。

この↓復元遣唐使船は20年前「'89海と島の博覧会・ひろしま」のメイン展示物として建造された。
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長さ :25m
幅  :7m
帆柱高:17m 
平成元年(1989年)建造

 「一枚の絵巻から復元した遣唐使船」には 設計及び建造監修者 松木 哲さん(神戸商船大学教授=当時)に取材した記事があり設計の意図も分かった。絵巻は吉備真備が乗った遣唐使船を描いた有名な法隆寺の絵巻「吉備大臣入唐絵詞」のイメージで外観は設計された。船の大きさは、一人寝るには畳み一畳は必要というところから100人~120人が同時に寝るとすると大体25m位の大きさになる。当時の中国船も凡そ25m位だったのでそれにも倣った。

 船体構造については、遣唐使船も前期は壱岐・対馬から朝鮮半島の沿岸を航海できたので内海用でも良かったが、白村江の戦い以降は友好国だった百済が新羅に破れたので外洋を航海し、唐に直行しなくてはならなくなり遣唐使船は耐航性のある構造船に変わっていったと考えられる。

c0041039_13585415.jpg 最初、復元船は展示物なので一番大事なのは外観だ、ということで内部構造は地元の船大工さんが手馴れた木造機帆船の構造になった。そして建造は桂浜の洋式ドック跡(画像右)で始まった。
 この建造を取り仕切った船大工の棟梁はフレームは全て檜、外板は杉、それも最高の日向弁甲を選び、棟梁以下船大工12名、槙皮職2人、帆職人、宮大工など17名のスタッフで8ヶ月にも及ぶ建造に取りかかった。

 やがて、船がドックでその姿を現せてくると展示物は海に浮かべようということになり本物の船になってしまった。その時期、広島で和裁教室を開いていた女性から「自分の70歳の記念に当時の衣装を全部作って差し上げましょう」という申し出があり、わざわざ京都まで調べに行って正一位から漕ぎ手までの衣装を作ってくれた。
 そして、はれて進水の日を迎え、鮮やか船体を海に浮かべ会場に向け出航するときには、古式豊かな古代の衣装に身を包んだ関係者達をのせ瀬戸内海を航海していった。船上には最高位、性一位に衣装に太刀を佩いた設計者の姿もあった。

 そんな復元遣唐使船も今は倉橋町の「長門の造船歴史館」に保存展示されていて、地元は遣唐使船と倉橋に関する歴史と文化を「くらはし遣唐使まつり」などで次代に伝承してゆくという。


【関連記事】:古い碇
【関連記事】:「合いの子船」 
【参考資料】:「港町から」第1号 08年10月30日発行 株式会社 街から舎
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by pac3jp | 2009-02-25 14:18 | 特殊船  

4月16日 倉橋島海の駅

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お天気は良いが西風が強い一日だった。MAXは30ノットになる。平均で24ノット位か、よく吹いている。
追っ手で走っているが波でブローティングが心配なのでメンを2ポンにする。

16:00広島湾に入り勝手知ったる倉橋島漁港に入る。
さすが海の駅専用桟橋だ。期待とおりに空いていた。
だが西の強力なブローが吹いてくる。これに備えてフェンダーを追加した。
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by pac3jp | 2006-04-16 17:06 | 瀬戸内海周航  

広島県倉橋島海の駅です

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午後から雨になるで今日は早めに泊まることにした。
専用桟橋が付いた温泉施設、倉橋島海の駅に泊まる。
桂浜温泉は@600円、図書館が有ってインターネットも出来た!
温泉は1回料金を払えば何回入ってもOK。我々も2回目に行くつもりだったが、大雨になってしまったので断念した。

造船の歴史に興味がある人には面白い博物館がある。@400円
燃料、水の補給は可能。
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by pac3jp | 2006-04-04 17:06 | 瀬戸内海周航