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ヤンマーの【KMG65E】フライホィール発電システム

 セーリングクルーザーに搭載される新しい航海機器・情報機器に加えて快適な環境を求めるユーザーも多くなりヨットの電力需要は高まるばかりだ。そしてその対策には大型のオルタネーターの増設や専用の発電機を搭載することで対処してきた。

 でもオルタネーターの増設にはエンジンルームのスペースの問題があり、専用発電機は別のエンジンを搭戴するため、そのスペースと給水・排気・燃料系などが必要だし、パンダなど小型ジェネレーターは防音ケースに入っていても結構うるさい音がする。

 ヤンマーからセーリングクルーザーの36F~42Fクラスに推奨されるディーゼルエンジンで3JH4E(39HP)と4JH4(54HP)の2機種でセールドライブにも対応し、最大6KVAの出力を持つ小型フライホイール発電システム「KMG65E」をオプションでセットすることが出来るマリンエンジンがヨーロッパで発売されている。

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 ↑画像にあるようにエンジンとギヤBOXとの間に組み込む。大きさは 320×360×145ミリメートルで重さは20.5kgのユニットだ。シャフトドライブタイプはサインカーブACの230V-3KVAを2セットまで、6KVAの出力が取り出せる。SDタイプは1セットの3KVAのみになる。
 画像のエンジンはユニットが別の塗色になっているが実物は本体と同色に塗装されている。

c0041039_893240.jpg左図は「KMG65E」1台の出力カーブ図です。

■1000rpmで4A(0.92KVA)
■1500rpmで8A(1.84KVA)
■2000rpmで12A(2.7KVA)

■2100rpm以上で3KVAのフル出力が得られる。

 ボクのお仲間がメインエンジン(ヤンマー3YM)駆動の2KVAの発電機をエンジンルーム下に取り付けエアコンを使っているが主機を1800RPMくらいで回すと充分冷房効果は有るとのことだ。勿論電子レンジもOKです。
下の【関連記事】ご参照ください。

 今回この新しいジェネレーター内蔵のエンジン(4JH4AE)を搭載したセーリング・クルーザーがXヨットから「XC42」として新発売された。

 船内の電源がヨーロッパ系の230Vとなり、アメリカや日本の家電を使うにはダウントランスが必要になるが、やがてアメリカ市場向けの110Vタイプも現れるだろう。

 電力に余裕があるとエアコンのほかに長いクルージングに出ると欲しいのが全自動洗濯乾燥機だ。いつか「HR46」に装備されていたのが230Vタイプだったのでヨーロッパではフネやモービル用の洗濯機があるのだろうかと思ったことがあったなぁ。

まあ、贅沢に家電が使えたら快適だが、これらは全て燃料を消費して得るものだと意識して・・・などはいらぬお節介かな。

【参考Web】:KMG63Eジェネレータの紹介(PDFファイル)
【関連記事】:オルタネーターの増設を考える(3)
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by pac3jp | 2010-09-30 08:22 | ヨットの艤装と艤装品  

アカシヨットの今井勉さん逝く

 平成22年9月20日、ガンで闘病中の今井さんが今朝、亡くなったと娘さんから知らせがあった。76歳だったという。

 ボクが今井さんにお会いしたのは初めてディンギーのオーナーになった1970年代中頃だった。

 でも、それ以前にも縁はあった。小学生の頃、今井さんのお父さんがやっていた明石・西新町の木型製作所に時々お使いに行っていたことがあった。小さな漁船のプロペラやメタルなどを今井木型で造ってもらい、近くの合金所で鋳造されたものを電車でもって帰ってくるのがボクの仕事だったのだ。

 その後、今井木型の息子さんがヨットに熱中し、今はFRPヨット製作の仕事をしているとは噂で聞いていた。
 その頃ボクは西宮や琵琶湖などでレンタルヨットを楽しんでいたが、遂に自宅から一番近い明石の海で自分のヨットを浮かべることになり、艇置き場もお世話して頂ける明石ヨットさんから購入することにした。

c0041039_13464341.jpg 明石・松江浜をベースに皆さんと「望海ヨットクラブ」をつくりレースにクルージングにとヨットライフを大いに楽しんだ。彼は「社長!」と呼ばれていた。日に焼けた丸い顔に鮮やかな弁舌?そしてヨット乗りの頼れる先輩としての貫禄があった。

 微風の草レースに負けると早速、悔しいのかマストを高くセールエリアを大きくしてやってくるが次のレースは生憎の強風だったりして、皆んなを楽しませてくれたものだった。

 彼は独特の発想と実行力をお持で、それに新しいものが大好きだった。
 日本に入って間なしのウインドサーフィンを始めたし、小さなビーチ用のカヌーを持ち込んできた。そして陸では一輪車を始めた。これはその当時、スキーの金メダリストがトレーニングに取り入れているという振れ込みだったのでディンギーレースをやっていた多くのメンバーが始めた。ボクも割りに頑張ったので8の字回転くらいは前進は勿論、バックでも自由自在だったなぁ。

 やがて「社長」は仕事が忙しくなりボクはヨット活動を西宮に移したのでお会いすることは少なくなくなったが、ボートショーなど多くのヨット・ボートが並んでいる中でも「社長」が造ったボートはラメの感じが彼らしいかったから遠くからでもすぐに分った。ボートに興味はないので「元気にやってはるな!」と「社長」ファンの一人としてそれを確認するだけだったのですが・・・。

 昨夜(9/24)、海が大好きだった父は『大帆乗海居士位』という戒名がつきましたと娘さんからメールが来た。

 今井勉さん、いや「社長!」あなたは戒名のごとくアイデア満載の自作クルーザーで大海原をきっと快調に航海していることでしょうね。

 それでは古い海の仲間よりこれからの長い航海の無事を心からお祈りいたします。
  合掌!
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by pac3jp | 2010-09-25 13:54 | 徒然に  

南方位標識

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 南方位標識の北側の干出岩にキールがすっぽりと挟まって干潮を迎え、一本足で立ってしまった中型のプロダクションヨット。
 スターンからアンカーラインが出ているので満潮時に艇が流れてしまわない用心だろうか。それともこの場所が可航水域だと勘違いし、アンカリングしてお昼寝を楽しんでいたのでしょうか。どっちにしても地元のヨットではなく海図も持たずにやってきたビジターヨットだろう。

 干出岩の上に設置された南方位標識は黒と黄色の塗色もなく夜間用の灯器も無いようだし、どうもIALAの基準を満たしてない標識みたいだ。勿論、日本でなく外国の沿岸だろうと思う。
 でもヨット全重量がキール取り付け部に掛かっているので、キールの陥没など、もうかなり大きなダメージが出ていると思うね、そんな頑丈に造ってあるヨットには見えないから。(画像はギズモード・ジャパンより)


 ボクも長らく大阪湾や播磨灘方面で遊んできて、港域・航路では数多くの航路標識を見てきたが、方位標識は割合少ない。大阪湾には垂水・平磯(南方)と淡路・由良(東方)の灯標が2基だけ。明石海峡を西に抜け播磨灘に入ると播磨灘北航路沿いのカンタマ瀬に南方位浮標が、播磨灘南航路には有名な浅瀬「鹿の瀬」には南方位と西端に西方位浮標が設置されている。

 乗り上げ事故が多いのは幹線航路に面している「鹿の背」だ。大型船・小型船を問わずよくニュースになっている。昔は練習艦隊旗艦までが乗り上げたことがあった。底は砂地なので船底の損害は少ないが冬はノリ網が入りこれに乗り上げると損害は大きいですよ。

 方位標識は割合少ないので見慣れないヨット乗りの中には標識の上に付いている▲×2個の読み方をよく知らない人もいるようだ。

老婆心ながら・・・以下の表をもう一度ご覧下さい。
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            (画像をクリックすると大きくなります)

 それにこの標識はIALA(International Association of Lighthouse Authorities )でIALA海上浮標式として採択され、1982に発効したことにより国際的にほぼ統一された。日本では1983年にIALA海上浮標式が採用され初めて使用されたというので、もう27年もたっているがボクの感じではそんな昔から浮標などに▲マークが付いていたかなぁと思っているのだが・・・。
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by pac3jp | 2010-09-21 06:01 | シーマンシップ  

伊能図のコンパスローズ

 コンパスローズといえばチャートのアチコチに印刷されていて真方位と磁針方位の目盛りが打ってあり、装飾性は一切なく機能のみが正確に記入されたチャートの一部分であるという認識である。

 ところが並べられた伊能図では色合い豊かなコンパスローズがたくさん散らばっているのが目につく。ここではコンパスローズが伊能図をつなぐ合いマークとして使われている。

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    (クリックすると少し大きくなります)
 今回は大図の内、特に色彩豊かで精巧に描かれた長州藩・平戸藩に献納され伊能図副本と言われる大図の周りから撮影したが、他の地方のものもある。明治に複製した図にはこのコンパスローズを丁寧に書いていない図もあるという。

c0041039_6525161.jpg 左上の画像がやや荒っぽく描かれたコンパスローズ。半分より下はきちんと写されているが、上にくる地図の写本の完成度がやや低いのだろう色合いや方位文字の記入がない。

 左下画像は古いハンドベアリングコンパスを撮影した。文字が反転しているのは方位をプリズムで読むからです。

 この伊能コンパスローズを見ていると、つい最近まで使われていた磁気コンパスカードの北には「N」が入っておらずに特徴ある絵柄が配置されていた。これはブルボン家の百合(Fleur-de-Lys)というが、これとよく似たデザインが北を示す位置に描かれている。

 16世紀、ヨーロッパの大航海時代のコンパスにはブルボン家の紋章が既に使われているが、鎖国の日本にも200年前、19世紀初めにはこの紋章が「北」のマークとして地図に描かれていることが面白いですね。
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by pac3jp | 2010-09-18 06:57 | 歴史・民俗  

彎窠羅針(わんからしん)と船磁石

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 伊能忠敬は従来からあった導線法という測量法に交会法と天測をあわせて日本全国を測量した。
 曲がった海岸線を測量するとき、直線の連続になるように梵天をたて、杭を打ち、測線を設定し、その距離と曲がり角の方位を測りながら進んででゆく。距離は間縄や鉄鎖それに歩測も、方位は小方位盤(彎窠羅針(わんからしん)または杖先磁石ともいう)で測る。

 銅像の伊能忠敬が右手に持っている杖先磁石を特別講演で先生は「彎窠羅針」とおっしゃていたのでこの呼び名が正式名だろう。彎窠(わんか)という難しい漢字だがどうも「ジンバル付きコンパス」というイメージのように感じている。

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c0041039_5595773.jpg ↑会場にこの「ジンバル付きコンパス」の複製品が展示してあった。(覗尺は収納状態です)
 方位は十二支で表示されているが目盛りは360度切ってある。でも「逆針」(さかばり)である。この時代に精密な目盛りを切り、磁針の軸受けに水晶を使い、尚かつジンバルに乗ったコンパスは伊能忠敬のアイデアだそうだが中々大したものである。

 ちなみに、1560年にイタリア人が船舶用のジンバルを発明しているので彼は書物などそれを知り応用したのかもしれない。


c0041039_61247.jpg 逆針の磁石といえば和船の船磁石(右画像)を思いつくが測量の分野でも使われていたとはボクの新しい発見だった。
 でも、梵天の角度を測るとき覗きスリットを梵天に合わせ磁針の示す角度を読めば方位が分るので簡単で便利である。
 「逆針」は磁針タイプのコンパスを使い続けた日本独特のアイデアで、一番最初は船乗りではなくやっぱり測量家が考え使い始めたという。

 和船では操舵用として磁石の子-午(北-南)の方向が船首尾方向に固定して使用し、逆廻りになっている方位の磁針が指す針路が現在の進行方向になる。勿論、目標の方位を測定する普通の磁石もあったのでこちらは「本針」といったそうだ。

 和磁石の構造は轆轤でひいた木製の円筒を台盤としてその中をくり抜いた中心に鋼の支軸を立てその上に磁針を乗せた簡単なもので方位目盛りは十二支だが、中間点の刻線によって24方位となっている。製作者は「はりや久兵衛」「さかいや仁兵衛」など大坂の業者が大半を占めていた。船磁石に彎窠羅針のジンバルのような揺れにたいして安定した針路を示す機構が取り入れられなかったということは弁才船など殆どが沿岸航海でコンパスがそう重用されなかったからでしょうね。

 一昔前にヨットで使っていた同じような道具、「ハンドベアリングコンパス」は方位を測定する方向に向け、そのコンパスカードを読めばとっても簡単?なのだが、揺れるヨットのデッキでコンパス方位の測定は意外と難しかったですね。
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by pac3jp | 2010-09-14 06:14 | 歴史・民俗  

伊能中図・伊能小図

 体育館のフロア一杯に2万6千分の1サイズの大図が並べられている一角に中図(1:216,000)8枚と小図(1:432,000)3枚が並んで展示されている。これらは大図と違って地図記号のほかに経緯度線と岬、山など遠方の目標からは方位線が引かれより地図らしさがある。

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 画像手前がフランスで発見された伊能中図。右上が伊能小図、この図の半分の大きさのでカナ書きされた特別小図がシーボルト事件で問題になったなど幕末の日本でこれらの図がいろんな騒動や事件に絡んできた。

中図 
 この8枚組の図はペレイ図といい、パリ郊外に住むイブ・ペイレ博士がディジョンの近くの小さな町に持っていた別荘の屋根裏を整理していて1970年頃に発見したもので針穴のある副本だった。描画、色彩、保存も優良で記入内容も充実している。でもなぜこのような優れた伊能中図がフランスに渡ったかは不明。

 筆者(渡辺一郎さん)の推測によれば、幕末、幕府にはフランスの軍事顧問団が雇われていた。徳川幕府の崩壊で幕府艦隊を引きつれ江戸を脱走した榎本武揚と共に函館に渡ったフランス軍人大勢いた。それに榎本武揚の父親は伊能測量隊員だったので当然その地図の存在は知っているはずだし、江戸から東北、北海道と転戦しながら航海するためには正確な地図は是非とも必要なため江戸城から持ち出したのだろう。やがて五稜郭も落城し、フランス軍人も故国に帰えることになるが敗戦で何も上げる物がない武揚は伊能中図を差し上げたのかもしれないと・・・。
 当時函館で戦ったフランス軍人のなかには本国で陸軍大臣や将軍に出世した人もいたという。

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小図 
 この3枚組の図は昌平坂学問所に伝存したものが東京国立博物館で見つかりその針穴がある副本を修復(重文)したものから作成された。

 攘夷だ開国だと騒がしい幕末の1961年(文久元年)、アクティオン号を旗艦とするイギリス海軍の測量艦隊が来日し沿岸測量と測探を行った際、監督の幕府役人が持ち込んだ伊能小図を艦長のワード中佐が見て、その優秀さに驚き、幕府に依頼して同図を譲り受け、沿岸測量を中止して引き揚げた。
 そして、1863年(文久3年)イギリス海軍水路部は伊能小図をもとに「日本政府の地図から編集」と明記して「日本近海の海図No.2347」を大改訂した。このときの伊能小図は英国海軍水路部に現存し、グリニッジの海事博物館に保管されている。

 この話はよく聞いていたのでどんな地図を渡してうるさいイギリス海軍を引き下がらせたのだろうと思っていたがやっと現物(複製)を見て念願がかなったなあ。

 長州が英米仏艦隊と交戦した翌年、1865年(慶応元年)勝海舟が幕府開成所より伊能小図をもとにして初めて「官板実測日本地図」(木版刷り)を発行。

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伊能中図による明石海峡付近(クリックすると大きくなります)

 海岸沿いにお馴染みの地名が並んでいる。伊能隊は大蔵谷と須磨それに淡路・岩屋で天測したの星マークがある。神戸西区の雄子山、雌子山から淡路島・江崎と岩屋に方位線が引かれている。現在の山名とは入れ替わっているが図の東側の少し高い雌岡山(めっこ山)から岩屋港は353度、雄岡山(おっこさん)は359度だ(真方位)。当時の江戸には偏差はなかったし、隠岐でE2度くらいだと聞いいていたので較べてみたいと思っているが和磁石の読み方と図の字が少し崩れているともう苦労する・・・。

 現在の地図ならば明石に東経135度の子午線が通っているが当時の日本は京都西三条改暦所を通る子午線を本初子午線として経度の基準としたのでこの当たりに経緯線は書かれていない。


【参考資料】:伊能忠敬の全国測量 渡辺一郎 編著 伊能忠敬研究会 発行
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by pac3jp | 2010-09-11 18:23 | 歴史・民俗  

完全復元伊能図 全国巡回フロアー展 in 加古川

 もう20年にも前になるが、井上ひさしさんの著書「4千万歩の男」という伊能忠敬を主人公にした小説を読んで以来、是非とも伊能忠敬が歩測で日本全土を測量したという地図を見たいという願望はずっともっていた。地元の博物館で部分的に公開されることはあっても全部となると大変だなと思っていた。(正確に計算するとじつは「5千万歩」だったらしい・・・)

 ところが近年、数多くの伊能図がアメリカで見つかり里帰り展示会を開催するなどのニュースが聞こえてくるようになった。そして先月の8/26~30日まで加古川市の兵庫大学で「完全復元伊能図 全国巡回フロアー展」が開かれ、2日間、ゆっくりと214枚の伊能大図を、そして研究者の特別講演会、映画「子午線の夢」など「伊能忠敬と伊能図」にどっぷりと浸ってきた。

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 大学の体育館に並べられたタタミ一帖分の大きさがある214枚の伊能大図、施設の広さの関係で北海道が別の場所にあるが手前が九州・鹿児島で奥が東北・青森である。西日本地域に並ぶと北海道の広さが実感できる。人が集まっている場所が近畿の瀬戸内地方である。東北や関東地方には細かく見る人は少ない。会場には数人の伊能忠敬研究会のスタッフ、元国土地理院の院長だった星埜先生などが色んな疑問に気さくに答えてくれる。

 伊能忠敬とそのスタッフが長きに亘り測量し、「大日本沿海輿地全図」として大図214枚、中図8枚、小図3枚が作成され、文政4年(1821年)に幕府に提出された。そして公刊されることなく江戸城の奥、紅葉山文庫に秘本として収納された。

 でも、こんな大量の地図が今日まで一括して無事に保管されてきたわけではなかった。

■1973年(明治 6年):52年後に太政官内の地誌課に保管されていた伊能図が皇居炎上により伊能図正本の全てが失われてしまう。(前年より借用していた伊能家副本の献納を受ける。)
■1923年(大正12年):関東大震災により東京帝大図書館に保管されていた伊能図副本の全てが燃失する。

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 ↑フロアに展示された伊能図大図214枚の出展先の一覧がパンフレット表示されている。

●アメリカ議会図書館:145枚 明治の陸軍が模写したもので戦後、米国に渡ったが経緯は不明。
●日本国会図書館  :43枚
●国立民俗博物館  :5枚
●海上保安庁海洋情報部:13枚 明治の海軍が海図作成のため模写したもの。 
●山口県文書館毛利文庫:6枚 伊能隊より長州藩に提供された。
●松浦史料博物館   :2枚 伊能隊より平戸藩に提供された。 

 長らく行方不明だった伊能図の67%がアメリカにあったのだ。その図を最初に日本の研究者が発見した時は割りと粗末に扱われていたが、歴史的価値などその値打ちが分った後はアメリカ議会図書館でも2番目の貴重な史料として大事に保管されているという。

 地図が作られた時代に長州藩と平戸藩に提供された伊能大図は後世に模写されたものより彩色などが美しく、合いマークのコンパスローズなどの意匠も優れている。伊能隊が原図から複写する時、測点をピンで突いて位置を正確に写すため「針突法」が使われたのでこれらには針穴が見えた。

 明治に地図の専門家が模写した図は絵から今のような地図記号に置き換えられているものもあるというが、ボクはその確認を忘れてしまったなぁ。

 一番関心があったのは子供の頃遊んだ神社の海岸からの参道が、今は海になっているが「昔はもっと南あった」という祖母の言葉を確認したかったのだが、200年前もそう変わってないように見えるので3万6千分の一の縮尺では判断できないのかもしれない。


【参考資料】:伊能忠敬の全国測量  渡辺一郎 編著
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by pac3jp | 2010-09-09 07:20 | 歴史・民俗  

航路標識測定船 LL01「つしま」と沖ノ鳥島(2)

 「つしま」の船内には各種の電波標識を測定・評価している専用機材やパソコンがずらりと並んだ船室がある。下の画像はディファレンシャルGPSとロランCの受信盤だ。ロランCも説明パネルによると、昔お馴染みだった北西太平洋チェーンや韓国チェーンもユーザーはもう殆どいないと思うが、いまだ航法システムは健在のようです。
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 少し離れて、近年運用が始まったAIS(船舶自動識別システム)評価装置が据付けられている。海保が国内に設置したAIS地上局は93箇所(内4ヶ所は移設)もあり想像したよりかなり多い数だが基幹局以外はきっとケータイの基地のようなものかもしれない。

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 「つしま」は灯台や電波標識の測定が主たる業務だと思っていたが、展示物に沖ノ鳥島の写真パネルがあり、担当者の説明によるとこの島に設置された灯台のメンテナンスを受け持っているとか。
 沖ノ鳥島は東京都心からでも約1,700km離れた日本最南端に位置しているので普通の灯台船では航続距離が届かないのだろう。そこで、もう既に廃止されたが超長波を使う「オメガシステム」の電波を測定する必要から12000kmの長い航続距離を持つ巡視船としてそのお仕事が回ってきたのだろう。年配のクルーにお聞きすると昔はオーストラリアまで行ったなどのお返事があった。

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 ↑画像は沖ノ鳥島の環礁。プラットフォーム(観測棟)と北小島、東小島、干潮時の観測基板が見える。我が国の排他的経済水域(EEZ)にとって重要な島でありここに灯台が2007年から設置されている。

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 ↑プラットフォーム(観測棟)浅い礁湖のなかに60m×80mの大きなプラットフォーム上に観測施設がある。白いビルの上に灯台がある。 コーナーにはカメラが設置されているようだ。灯台のメンテナンスは当然ながら沖に本船を泊めてゴムボートで上陸する。

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 この灯台は2007年3月16日から同島の周辺海域を航行する船舶や操業漁船の安全と運航能率の増進を図ることを目的として灯台(名称:沖ノ鳥島灯台)を設置し、運用を開始した。

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 ↑東小島と北小島 標高は15cmだという。これらの島に消波ブロック設置とコンクリート護岸工事を施し、チタンのネットを被せ保護している。第二次大戦前には最大2.8mの北小島を含め6つの島があったようだが、現在では二つだけ。観測基板は昔の灯台設置工事跡。

 石原都知事が熱心に取り組んでいたようだがその後はどうなったのでしょうね。


【参考Web】1:沖の鳥島について わが国の考え(海保レポートより)
【参考Web】2:沖の鳥島(ウイッキペディア) 
【関連記事】1:航路標識測定船 LL01「つしま」を見学する(1) 
【関連記事】2:南鳥島に港が出来そうだ! 
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by pac3jp | 2010-09-04 11:32 | 海保