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遣唐使船の島 広島・倉橋島

 久し振りに神戸・元町の海文堂書店に寄った折、二階の海事関係の書棚で小さなタウン・マガジンを見つけた。雑誌名は「港町から」そして「瀬戸内海 倉橋島」を特集した創刊号のようだ。副題に遣唐使船の島と書かれている。

c0041039_13571620.jpg 倉橋島は九州方面クルージングの途中で数回寄港したことがあり、そこには古くは遣唐使船を建造してきた古代から木造船に関わってきた島の歴史が展示されている「長門の造船歴史館」があり、施設の中央には復元された遣唐使船が展示されていた。
(画像は復元遣唐使船の模型)

 遣唐使船は奈良~平安時代の1200年も昔、平均して一隻に150人が乗り組み4隻船団で600人が南シナ海を渡っていったと聞いていた。それを見て、150人乗りとしてはボクの想像よりもずっと小さかったが船体のつくりが立派なのが驚きだった、それに遣唐使船の派遣が菅原道真の建議で中止になってからその造船技術は全く途絶えてしまったという。そんな資料が乏しい古代の船舶をどのようにして復元したのだろうとズーッと思っていた。

 そんな疑問も見つけた小さな雑誌でみんな解消した。

この↓復元遣唐使船は20年前「'89海と島の博覧会・ひろしま」のメイン展示物として建造された。
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長さ :25m
幅  :7m
帆柱高:17m 
平成元年(1989年)建造

 「一枚の絵巻から復元した遣唐使船」には 設計及び建造監修者 松木 哲さん(神戸商船大学教授=当時)に取材した記事があり設計の意図も分かった。絵巻は吉備真備が乗った遣唐使船を描いた有名な法隆寺の絵巻「吉備大臣入唐絵詞」のイメージで外観は設計された。船の大きさは、一人寝るには畳み一畳は必要というところから100人~120人が同時に寝るとすると大体25m位の大きさになる。当時の中国船も凡そ25m位だったのでそれにも倣った。

 船体構造については、遣唐使船も前期は壱岐・対馬から朝鮮半島の沿岸を航海できたので内海用でも良かったが、白村江の戦い以降は友好国だった百済が新羅に破れたので外洋を航海し、唐に直行しなくてはならなくなり遣唐使船は耐航性のある構造船に変わっていったと考えられる。

c0041039_13585415.jpg 最初、復元船は展示物なので一番大事なのは外観だ、ということで内部構造は地元の船大工さんが手馴れた木造機帆船の構造になった。そして建造は桂浜の洋式ドック跡(画像右)で始まった。
 この建造を取り仕切った船大工の棟梁はフレームは全て檜、外板は杉、それも最高の日向弁甲を選び、棟梁以下船大工12名、槙皮職2人、帆職人、宮大工など17名のスタッフで8ヶ月にも及ぶ建造に取りかかった。

 やがて、船がドックでその姿を現せてくると展示物は海に浮かべようということになり本物の船になってしまった。その時期、広島で和裁教室を開いていた女性から「自分の70歳の記念に当時の衣装を全部作って差し上げましょう」という申し出があり、わざわざ京都まで調べに行って正一位から漕ぎ手までの衣装を作ってくれた。
 そして、はれて進水の日を迎え、鮮やか船体を海に浮かべ会場に向け出航するときには、古式豊かな古代の衣装に身を包んだ関係者達をのせ瀬戸内海を航海していった。船上には最高位、性一位に衣装に太刀を佩いた設計者の姿もあった。

 そんな復元遣唐使船も今は倉橋町の「長門の造船歴史館」に保存展示されていて、地元は遣唐使船と倉橋に関する歴史と文化を「くらはし遣唐使まつり」などで次代に伝承してゆくという。


【関連記事】:古い碇
【関連記事】:「合いの子船」 
【参考資料】:「港町から」第1号 08年10月30日発行 株式会社 街から舎
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by pac3jp | 2009-02-25 14:18 | 特殊船  

プーアール茶(黒茶)をご馳走になる

 2月22日(日)、お天気は曇りで微風。そう寒くはないが冬の桟橋にはカバーが掛かったヨットが静かに浮かんでいて人影はまばらだ。

 ヨットマンの冬の楽しみは暖かくしたキャビンでお気に入りの飲み物を傍らに置き、静かに流れるBGMをバックに本を読むか、あるいは資料を繰り、春からの巡航プランに思い巡らせるなどチョット静かで知的な楽しみに浸る人も多いのではないのでしょうか。

 今日の話題は冬のキャビン必須のアイテム、お茶である。

 仲間のお一人が北京で開かれた学会のお土産に先方の大先生からプーアール茶(黒茶)を貰って帰ってきたという。そのお裾分けで貰った黒茶を今度はボクが友人のキャビンでご馳走になった。

 このお茶は体内の脂肪を燃やす効能があって今、流行のメタボの人にも効果があるとか。普通は高級中華料理を食べた後に出てくるらしい。
 ここの友人はお茶一般にも詳しく、また中々うるさい人でもある。キャビンの棚には珍しい紅茶をあれこれ、それに手に入りにくい高級な烏龍茶などコレクションしている。時々お相伴させてもらっているが、育ちも悪く、味覚音痴気味のボクにはその良さがよく分からないの少々残念だ。

c0041039_142286.jpg 左画像の容器に入っているのがプーアール茶(黒茶)である。醗酵茶で出来るだけ長期間発酵させるのが高級らしい。黒くて固まっている。
 それを適当に割り、急須に入れ、湯を注ぎ一回目はもったいないが捨てる。二回目から湯飲みに入れていただく。即効性は無いと思うがウエスト85cmで多分メタボと診断されそうなので3杯もお代わりした。このお茶は色が薄くなるまで何回でもお茶が飲めてその効果もあるという。・・・ホンマかな。 
 でも、緑茶のように苦くはないので何杯でもいけそうだ。

c0041039_14223771.jpg お茶の好きな彼のヨットではまず、メインテーブルにお湯が沸かせるコンロが特別に二組セットされている。一組は港内や平水用で、もう一つはジンバルに乗った航海用のものだ。当然、お料理用のコンロはオリジナルのレイアウトでシンクの隣にある。考えてみるとヒールした船内では右舷や左舷にあるコンロは高かったり低かったりして使いにくい、センターライン付近にあればそれよりずっと使いやすいでしょうね。画像の急須が乗っている台の下がジンバルコンロの場所。

 このプーアール茶は中国でも高いお茶らしい。昔は高級中華料理店にも時々は行っていたので何処かできっと黒茶も飲んでいたはずだが興味がないのでまったく覚えてない。最近は中華料理と言えば「餃子の王将」クラスなので高級な中国茶なんてとんと縁がなくなってきたなぁ。

【関連記事】:チャイをご馳走になる
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by pac3jp | 2009-02-23 14:25 | 音楽・パーティ  

地球深部探査船「ちきゅう」見学 番外編

 前2回の記事で深海底の掘削装置と採掘されたコアの難しそうな研究の一部をご紹介したが、今度は門外漢のボクがこれなんだろう?と思ったもの3件をご紹介する。

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 まず、「ちきゅう」の傍によると後部デッキサイドから太い浮力体が付いたホースが幾本も出ていて、上部デッキのホースハンガーらしきものに引っ掛けられている。そして少し前方には船内から太いパイプが船外に伸びていて、その先は頑丈なゴムホースに繋がり端は手すりに止めてある。
 本船は停泊すると給油・給水それに陸電を給電するホースや電源ケーブルなどをつないでいることはあるが、大抵は船側に各種接続口がありホースをぶらぶらさせていることはない。画像は左舷の岸壁側だが、ヨットで沖から眺めても右舷の同じ位置にもホース類のハンガーがあった。

 近くにいた女性クルーにホースの用途を聞いてみるとセメント、水、燃料など用です、と教えてくれた。油と水は普通だが、そうか、海底に穴を掘るとパイプを固定するのに大量のセメントがいるんだ、とあの太いホースを見て納得する。

 「ちきゅう」がライザーパイプで掘削中は海底と直径50センチもある太い金属パイプで繋がっている。流されたら全てパーだが、船はGPSやその他の位置センサーで6基のアジマススラスタを制御して風波や黒潮などの潮流をものともせず、ちゃんと定位置を保っている。

 一方、数ヶ月にも及ぶ掘削では人員はヘリで交代し、燃料や水、セメントなど重い物資は補給船が運んでくる。補給作業は「ちきゅう」に横付けして積みかえれば良いと思っていたが、そうではないらしい。補給船が接舷すると本船のコントロールが難しくなるため為、同じDPS(自動船位保持装置:Dynamic Positionig Sistem)を装備した船でなくてはならないらしい。そうか、舫いを取らずに積み替えるのだ。そのためより条件のよい舷側から補給するため、両舷にホースが用意されているのかな。このホースは航海中も舷側にセットしたままのようだなぁ。

c0041039_1736963.jpg もう一つ、岸壁から「ちきゅう」を見上げているとデリックエリアの一部分だけ木製の大きな壁がある。船内の居住区も鋼板白ペイント仕上げで防火完備のオイルリグのようなフネなのに何故ここだけ可燃物の壁になっているのだろうと不思議に思った。
 赤いユニフォームを着た掘削チームの持場らしいので近くにいたリーダーらしい人に聞いてみると、「あれはドリルパイプを海底から次々と引き上げてゆく時、まず、壁に当ててパイプを揃えてゆくためだ」という。「木製の壁だと柔らかいので当ててもパイプに損傷が起きないからね。木の壁は寿命がくれば張り替えるのも簡単だよ」とおっしゃる。それはそうだ、それに機械装置ばかりの中でこの木質の温かみはとっても気分がいいね。

c0041039_17363480.jpg 最後の1件、この「ちきゅう」は150人が乗組む船舶なので左右4艇と船尾に1艇の5艇の救命艇が搭載されている。画像の30フィート75人乗りの救命艇は3番艇なので右舷の前から2番目に装備された救命艇だが、上から見るとキャビントップにダビットからやり出したポールから細いセンサーのようなワイヤーリードが艇内に引き込まれている。何のためのリードだろうと一瞬考えていたが、見学の行列に押されて通り過ぎてしまった。今、画像を見てもよく分からない。これからも救命艇を上から眺める機会は割合少ないけど・・・でも、まぁいいか。
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by pac3jp | 2009-02-21 17:38 | 特殊船  

地球深部探査船「ちきゅう」見学 Part2

 この船は海底油田を掘削するオイルリグに自力で航行できるディーゼル電気推進システムと掘り出したコアを調査研究するための大規模な研究室が設けられているのだ。

c0041039_16365012.jpg 赤い作業服を着たドリルマンと呼ばれている人達は映画などで偶に見る中東の油田で働いている技術者とイメージが重なる。この船を運航する官庁船らしい船員と荒っぽそうなドリルマン、それに世界各国からやって来る優秀な研究者達と毛色の違った人々が集まって未知の地球内部を明らかにしようとしているのだ。
 特に日本の地球物理学者や地震学者は近く熊野沖の南海トラフで発生が確実視される南海地震の発生メカニズムの研究やその実証に力が入っているようだ。

c0041039_16385886.jpg ラボを見学すると、どこの病院にもあるCTスキャンが設置された部屋がある。掘削され、地底のままに密封されたコアの中身をCTスキャンで素早くチェックする。このCTは人用でソフトも共用なのでモニター画面には人型のシンボルが出てくるとか。ベットに乗っているのが採掘されたコア。
 最近では犯罪など死因の確認にもこれを使いたいと言っているらしいが、死体はもう健康保険に入ってないので費用の出所がないので当分は駄目でしょうね。

 ボクが面白いと思ったのが地球内部の生命(微生物)活動を調べる「生命探査」の分野だ。地球の約7割を占める海洋、深海底のさらに奥深く、海洋地殻とよばれる地球の内部環境にも、実は小さな生物(微生物)が大量に生息している。「海底下生命圏」という。そこは太陽の光が届かない暗黒の世界である。そこに生きる微生物の食べ物は海水から沈降する有機物を食べるので従属栄養微生物と呼ばれている。

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 それらは地質学的スケールで生息している。一代が数百年~数千年生き続ける、とっても長生きな生物なのだ。確かに地底深くで生息していると海水に溶けた栄養が地中まで届くのに時間がかかるし、地中を自由に移動できないので、彼らはずーっと腹を空かしたまま静かに生きているんだ。なかなか子孫を増やそうという気が起こらないのは当然だね。

 火星に生命は存在するのかと、昔から盛んに論議されているが、我々が住むこの地球のどのくらい深いとこまで生命が存在するのかはこれからやっと議論が始まる。海底下の深部に広がる「生命圏の果て」を知る手段は今のところの日本とアメリカが主導する「ちきゅう」の掘削にかかっているという。

 昨年、八戸沖80kmの海底で、石炭層の上にある深さ350mのメタンハイドレートを含む火山灰層から極めて活性の高いバクテリアの凝集構造が検出されたというお話があり、そしてこれらのバクテリアの数を正確かつ自動的に計数するモデルを開発して有名な「ネイチャー」にその論文が掲載されたと、ちょっと自慢げな話もあった。

 論文に詳しいボクの友人にこの話をすると「論文はネイチャーに掲載されるのが値打ちではなく、どれだけ皆さんに引用されたかが大切なんだ」とおっしゃる。
 それは勿論そうだ。生命探査のような未知の分野では、まだまだ面白い発見も多そうだし、ネイチャー好みの新しいネタもある。でもこの分野の研究者はまだ少なそうなので引用数はどうでしょうかね。

 でもボクは結構面白い分野の研究だと思いましたがね・・・。

【参考資料】:人類未踏のマントルを目指して-「ちきゅう」の科学的成果- セミナーのパンフレットより
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by pac3jp | 2009-02-19 16:43 | 特殊船  

地球深部探査船「ちきゅう」を見学する

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 2月15日(日)修理中のアジマススラスタもやっと直り、出港を控えた昨日、神戸港六甲アイランドで「ちきゅう」の一般公開があった。
 風はなく日差しが暖かい絶好の見学日和になったので見学者が続々と埠頭の岸壁に集まってきた。ボクの近くには群馬や愛媛ナンバーの車も止っている。今朝の地元新聞によると9300人の見学者が詰めかけ最大3時間待ちだったそうだ。

 ボクも1時間くらい並んで船内に入った、57000トンは大きな船だった。国(日本)が今までに造った船では「戦艦大和」以来、2番目の大きさだという冗談がお偉方スタッフから出ていたくらいの大きさである。

c0041039_1725427.jpg タラップを上り、まずはDVDの映像で海底掘削の仕組みを予習してから高い位置にあるブリッジへ、その後、安いビジネスホテル風の居住区を通り中心部の掘削装置がみえる場所で、DVDを見て浮かんだ素朴な疑問を掘削スタッフに聞いてみた。

 この船は水面下2500mの海底から地中を深さ7000mまで掘ることが出来るという。そのため最初は次々ビットやパイプのサイズを換える作業をする。ライザーパイプと噴出防止装置が繋がり船と海底が一本のパイプで直結すれが幾ら掘削ビットや小さいパイプを差し込んでも問題ないが、それ以前の海底の穴と船の間がただの海の場合が問題だ。
 船から2500mも下にある海底の穴に再度ビットやパイプをどう挿入するのだろうと考えてしまった。海には潮流もある。まして「熊野灘」は黒潮が流れている。それに深海は真っ暗だ。さて、どうするのかな・・・。

 それに、通常、掘削作業は長期間洋上で留まって作業する。相当な気象条件まで作業は可能だが台風がやってくることになれば海底に噴出防止装置のバルブを閉め機材を残し、長いライザーパイプは撤収して「ちきゅう」は安全な海域に避難する。台風が過ぎればまた元の場所に戻りパイプを繋ぎ作業を続ける。その時も場所の特定はビーコンらしいが装置にパイプ類やケーブルを接続するのはリモコンの手探りではきっと大変だろうと思っていたが・・・。

c0041039_174174.jpg お返事は「穴の近くにカメラを搭載した無人潜水艇(右画像)を配置し、様子を見ながら作業をしています」とおっしゃった。そういえばこの船を持っている「海洋研究開発機構(JAMSTEC)」は「しんかい6500」や「かいこう7000」など多くの深海調査・探査船をお持ちで機材もノウハウも充分だ。これくらいの深さなら大したことではないのだろう。
 まず一つの疑問は解消した。

c0041039_1761039.jpg 画像はラックにのったライザーパイプのフランジ部分 長さ27mあって全部で2500m分で90本積んでいる。イメージ図にもあるが、ストレスを吸収するゴムのパイプ部分もある。
でも重いパイプを90本も繋いでぶら下げると海水の浮力を考えてもかなり重そうだが、ヤグラや巻上げシステムも大丈夫なのかちょっと心配した。
 でもちゃんと安全係数をかけて設計してあるからボクが心配することはないでしょうね。

【関連記事】:地球深部探査船「ちきゅう」が神戸港で修理中
【関連Web】:地球発見
【関連Web】:ライザー掘削(動画)※重いです
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by pac3jp | 2009-02-16 17:17 | 特殊船  

シーコックやスルハルのお掃除は・・・

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 ハーバーに係留保管中のヨットやボートはすぐに出港できる便利さはあるが、油断すると、水生生物に格好の棲家を提供しているような状態になってしまう。

 フジツボ君は今、冬眠中?なのでシンクやトイレの排出口などがフジツボで詰まってしまって使えないなんて事はないが、暖かくなってくると防汚ペイントを塗り忘れた小さいスルハルや、きっちり奥まで塗れてなかったスルハルにはフジツボが入り込み、ちゃっかりと棲家にしてしまう。

 ボクも以前、洗面器の排水口がフジツボで詰まってしまい使えなくなったので上部のホースを取外し、長い棒で掃除したことがあった。まぁ、夏だと潜って船底から掃除すれば問題ないが、潜るのは絶対嫌だと思う人はこの上の図のように船内からお掃除できるシステムに変えてみたらいかがですか。
 こんなことでもマリーナに上架を依頼すると結構な料金を請求されますよ。もったいない!

 工作のポイントは只一つ、必ずウオーターラインより上に掃除用の開口部を設け、作業が終われば必ずキャップをしっかり閉めるようにしておくことだ。
 パーツも特別なものは要らない。図のチーズは既製品ではないが、普通のチーズにタケノコが2個とニップルが1個で代用できる。

 でも、基本は上架して船底塗装するときにスルハルの奥までしっかりと防汚塗料を塗っておくことだが、細い筆で塗っても塗り残しはでる。ヨット業者の仕事を見ていたらスルハルやシーコックの内側はボルボの金属用防汚スプレーを奥まで吹き付けているようだった。こっちのほうが効果があるように思うが、さて、どうでしょうかね。
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by pac3jp | 2009-02-12 15:40 | ヨットの艤装と艤装品  

ドジャーの窓

c0041039_13151323.jpg クルージングヨットにとって必須の艤装はドジャーだろう。雨や風、波しぶきからもコックピットの乗員を守る大切な装備だ。最近のヨットはビルダーの標準装備だったり、オプションでの設定があり、殆どの新艇は新しいドジャーがついて引き渡されているようである。

 ↑プロダクションヨットを購入するお客さんはそのヨットに色んな夢をお持ちでクルージング志向の人ばかりではない。そのためビルダーはドジャーを畳んだり簡単に脱着が可能なデザインのドジャーを用意している。当然、窓は折りたたみ可能な透明塩ビシートなどが使われる。
 でも、これが新しいときは問題ないが少し古くなると折り皺ができたり、紫外線で劣化し曇ってくる。これが悩みの種になる。

c0041039_13153574.jpg ←昨日、お仲間のヨットに寄ると、「ドジャーの窓を取り替えたよ」とお聞きしたの見せてもらう。正面から見ると開閉できるクリアなポりカーボネートの窓になっている。少し薄めのポリカシートで作ってもらったので、夏など筒状に巻き上げることも出来るという。左右の三角窓もポリカーボネートだが、まだ保護シートが張ってある。
 仲間の他のヨットも前方の窓は曇らないポリカーボネートにしているが、サイドはカーブがついているので塩ビのままのフネも多い。彼のは薄めの材質を使うことで三方の視界がクリアになったが耐久性はどうなんでしょうね。

 ついでに費用は幾らかかりました? と、お聞きすると○万円と返事があり、予算よりだいぶ安く収まったようだ。(価格はマル秘になっているのでここでは書けませんので悪しからず)

c0041039_1316160.jpg ←ハーバーウォークの一番目に付く桟橋に泊めているヨットがいる。最近デッキ上の紫外線に晒される装備をすっかり更新していた。当然ドジャーも以前のエメラルドグリーンからブルーのキャンバスにかわり、前方だけだったポリカ-ボネート窓も今回は3ヶ所の窓とも薄手のポりカーボネートになっているようだ。

 新品のハリヤードを束ねているオーナーさんに「ドジャーもビミニもシートなどみ~んな取換えたんですか?」とお聞きすると「だいぶ痛んできた!」とおっしゃる。確かに、乗らなくても紫外線は満遍なく付近のヨットにも降り注ぎデッキ艤装品の劣化は進んでいる。それを今が交換時期と感じるのは各オーナーの安全、いや懐具合から発する感覚だが、ボクなど修理不能と宣言されるまでが寿命と思っているもんね。

 でもね、エンジンやリグのパーツは早め早めの交換が痛い目に遭わない秘訣ですよ。

【関連記事】:クルージングヨットのドジャーについて(2)
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by pac3jp | 2009-02-09 13:23 | ヨットの艤装と艤装品  

小野友五郎と福沢諭吉

c0041039_1042653.jpg 万延元年、咸臨丸の航海で日本人96人が乗組みアメリカまで行ってきたが、その中で平成の時代になってもまだ有名な人は、船酔いで“ミソ”をつけたが、江戸城無血開城で名をあげた「勝海舟」と、クルーではなく提督、木村摂津守の従者で乗っていた「人の上に人をつくらず・・・」の「福沢諭吉」だろう。まぁ、1万円札に肖像が使われるぐらいなので福沢諭吉がもっとも有名人になっているわけだ。
 でもマイナーな海事史学の立場からみれば今でも小野友五郎や赤松大三郎は有名だしその航海術には評価が高いが・・・。

 小野友五郎について書かれた中公新書「咸臨丸航海長 小野友五郎の生涯 幕末明治のテクノクラート」の中で若い頃の福沢諭吉の興味ある行状の記述を見つけた。著者の藤井哲博氏はもと海軍中尉で零戦搭乗員、かつ理学部物理学科で原子炉技術者という異色の経歴をおもちの方である。
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 咸臨丸で日本人初の太平洋航海を成功させた功労者として、小野友五郎が陪臣の身ながら将軍に拝謁する栄誉をうけ、その後、幕府官僚としての重きを成す存在になっていく。そして慶応3年(1967年)、米国から軍艦及び兵器・書籍を購入することになり小野友五郎を正使とする使節団が派遣されることになった。

 福沢諭吉は小野に特に頼み込んでの外国方通訳としての随行であったが、彼は終始使節団にとってはお荷物となった。彼は前二回の洋行経験と英語能力をもって友五郎に随員として採用してもらったのだが米国に渡ってみると、彼の英語力は、今日の観光英語の程度でとうてい公務の遂行には役にたたないことがわかった。彼の仕事は翻訳方つまり書記官の役だが、日米往復文書の翻訳をやらせてみると、英文和訳はまだしも和文英訳のほうはてんで駄目で彼の訳文はとても公用文として使えるものではなかった。それに彼は私的なアルバイトが本当の目的で使節団にただ便乗していたのだった。

 翻訳や通訳は他の能力のある団員に任せ、周囲の負担を増やさざるを得なかった。福沢は、任された為替が現金化できない、雇った現地人に公金を持ち逃げされる、託送荷物の荷揚げ交渉に手間取り将軍から大統領への贈り物が間に合わないなどのまったくの駄目ぶりである。

 小野は福沢に、幕府の公的な必要書籍の購入を命じる。彼は幕府の公共物と自分の私物を一緒にして、卸値で購入する。そして卸値と小売の差額をコミッションとして自分くれと小野に申し出る。もちろん公務なのに手数料など払えるものではないと小野は拒否するが勝手に実行する。さらに悪いことに、大量に購入した私用の書籍代まで、公用の支払いに潜り込ませた。

 そして運賃も。小野は私物の運賃は個人払いにするよう指示していた。他の随員はよく理解し会計は皆厳正にやっていた。小野自身ももちろんそうした。けれどもひとり福沢は、購入した私物の書籍を幕府の荷物と一括で渡し公金勘定にしてしまった。

 福沢が本来自分で払わねばならない私物購入やその運賃を公金勘定にした額に商人からのコミッションを加えると、つまり横領した額は、なんと一万五千ドルだったと明治になってから正直に告白している。
 現在価値換算して1.5億円~2億円といわれる。当時でも艦砲の11インチ・ダールグレン砲二台分の費用を賄える大金だったという。

 帰国の乗船直前にこのことを知った小野は、運賃表を船会社から取り寄せて、福沢に自分の荷物の運賃を見積り、戻入れするよう指示。しかし日本に着く際に小野が福沢に確認したところ、運賃表を紛失したなどと言い千ドルを越す運賃を払うつもりがない。

 そこで正使・小野と副使の松本は福沢の荷物を神奈川奉行に差し押さえさせた。そして福沢を告発し、自分らも部下取締り不備ということで進退伺いまで出した。当時、小野友五郎は勘定奉行の目付役ともいうべき「勘定吟味役」の職にあったし松本は福使として使節団員の行動に責任があったのでこの時の両人の告発と進退伺いの提出は当然のことであるといわれる。

 福沢は7月14日外国奉行より、「其方儀アメリカ行きの御用中不都合の次第あり謹慎申付くる」との命を蒙った。
 福沢がこの件で罪を免れたのは、幕府崩壊のためであって、無実が証明されたからではない。どさくさにまぎれて罪を免れてしまったということだ。

 それなのに、石河幹明氏が「福沢諭吉伝」で「小野といふ人は頑固な官僚的人物であつたらしく、自分は外国の事情を知らぬ癖に長官風を吹かせるので、(福沢)先生はこれにたまり兼ねて事ごとに衝突するやうになったのである」と一方的に小野を非難している。
 明治の新聞界などに福沢の思想の信奉者が多かったので、こうした公金使込みなど不名誉な行状が余り世間や現代に伝えられることがなかったのかもしれない。

 そんな事件から117年が経った1984年、福沢諭吉は聖徳太子の後を継ぎ日本の紙幣の代表である一万円札の肖像になっている。
 まぁ、日本では100年も経てば大抵のことは時効になってしまうということでしょうかね。

【参考資料】:藤井哲博著「咸臨丸航海長 小野友五郎の生涯 幕末明治のテクノクラート」中公新書
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by pac3jp | 2009-02-07 10:51 |  

2月4日、咸臨丸が米に向け出帆(1860年、149年前)

c0041039_18542738.jpg 左画像は咸臨丸が1860年(安政7年)にサンフランシスコ(桑港)で碇泊中に撮影されたものとして、1926年(昭和元年)にサンフランシスコで開催された在米日本人発展史料展覧会において公表されたものである。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 安政7年の今日、2月4日は徳川幕府の軍艦咸臨丸(艦長・勝麟太郎)が日米修好通商条約の批准書交換のため訪米する幕府使節の護衛艦を務めるため総勢96人が乗り組み、江戸の品川から米国訪問に出帆した日だ。

2月 6日 ブルック大尉ら米軍人11名が咸臨丸乗船 咸臨丸、横浜出帆、浦賀着
2月10日 咸臨丸、浦賀出帆、大圏コースでサンフランシスコへ向かう。

 ところが、咸臨丸は浦賀を出帆してまもなく荒天に遭遇した。名にしおう冬期の北太平洋であり、穏やかな湾内の航海とはわけが違う。特に犬吠崎から三陸沖にかけては強烈な低気圧の通過とそのあとに続く季節風の吹き出しによる大西風で海上は時化に時化るのである。その波濤は予想をはるかに超えたすざましものだったという。
 このような荒海をはじめて経験する木村奉行、艦長・勝ら日本人乗組員はほとんど船酔いで倒れてしまった。以後の運航はブルック海尉とその部下たち、及び船酔いに強かった中浜(ジョン)万次郎、浜口、小野友五郎らが運航の担当をせざるをえなかった。

2月16日 艦長・勝と木村奉行はまだ寝たきり。
2月20日 早暁より風猛強、波濤甲板上にそそぐ事3尺あるいは4尺、船の動揺もまた従って甚だしくその傾くこと27~28度、しかも波濤の高さは4、5丈を下らず。多人数の中甲板に出て動作なすもの僅か4~5人のみ。
 このときに当たって帆布を操作する等は一切米人の助力を受く。彼らはこの暴風雨に逢うといえども一人も恐怖を抱く者なく殆ど平常に異なることなく諸動をなす、これにつぐものは我が士人にてただ僅かに中浜氏、小野氏、浜口氏三人のみ、その他は皆、恐懼し、殆ど食料を用うること能わざるに至る。(日記 亜行新書より)

 その後、艦長・勝のバッテーラ事件 (太平洋の真ん中でオレは帰るのでボートを下ろせと命令した)

2月27日 艦長・勝が起きてきた。浦賀出港以来17日振りに甲板に出てきたが立つことも出来なかった。
3月 2日 飲料水事件が起こった。いろんなことがあったがブルック海尉の指導によりクルーのシーマンシップは格段に向上してきた。
3月18日 咸臨丸、サンフランシスコ入港

3月24日【米国:3/23金】咸臨丸、メーアアイランド米海軍工廠へ修理のため回航
4月29日【米国:4/28土】咸臨丸、ブルックの指導助言により出来た修理リストに従い作業を進め、修理完了するまで40日を要した。費用は全部アメリカ政府が拠出してくれた。
5月 9日【米国:5/8火】 咸臨丸、朝8時10分に祝砲が轟く中をサンフランシスコ出帆。復路は暖かい南回りで帰途につく。
5月24日【米国:5/23水】 咸臨丸、ホノルル寄港
5月27日【米国:5/26土】 咸臨丸、ホノルル出港
6月23日 咸臨丸、浦賀に帰着
6月24日 咸臨丸、品川沖に帰着。

c0041039_18551625.jpg 咸臨丸の航海は有名なのでジョン万次郎ものなど色んな本が出ているが、ボクは橋本進著『咸臨丸還る 蒸気方 小杉雅之進の軌跡』を持っている。(右下のライフログを参照)
 「咸臨丸」の誇るべきは復路航海だったという。確かに往路は出港直後から冬の大嵐で日本人だけでもやれるという意気込みは打ち砕けれ、アメリカ人に助けてもらった。復路はその経験を踏まえ、冬の北太平洋で鍛えられたシーマンシップと指揮系統も改め、陸の身分より力があるものが責任ある当直が出来るようした。そして安全に航海できる時期とコースを選び、完璧に整備された船で出港できたことだ。

 咸臨丸で天測が出来る者は測量方だった小野友五郎と通訳の中浜万次郎だけだった。万次郎はアメリカで最新の航海術をマスターしていたし、捕鯨船で実践してきた経験がある。友五郎も月距法を完璧にマスターしていてブルック海尉も驚くほどの航海術を持っていた。そして彼に新しいサムナー法を教えたとある。身分は低いがそんな二人が復路の航海を指導してゆく立場になってゆく。

 「日本丸」の船長を務め、帆船航海術を知悉した著者が、「咸臨丸」蒸気方・小杉雅之進の日誌をもとに日本人のみによる初めての太平洋横断という「咸臨丸」の偉業を検証する。と帯書きにある。

 咸臨丸は蒸気スループ艦で石炭焚きの100馬力の蒸気エンジンが搭載されているので機関士と釜焚きが何人も乗っている。小杉雅之進は咸臨丸の太平洋横断時には蒸気方の見習士官を務めた人で、後に幕府最大の軍艦開陽丸機関長も務めたし、戊辰戦争では榎本武揚に従い、箱館政権では江差奉行並となっている。

 余談です。右下の方のライフログから「咸臨丸還る」の画像アイコンをクリックするとアマゾンのサイトにジャンプする。新品本がもうないのは当然だが、古本の値段をみて驚いた。5,880円~9,800円もする。うちの本棚で最高の値段がついている・・・なんだかうれしいな!

【参考Web】:小野友五郎 
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by pac3jp | 2009-02-04 19:05 |  

北太平洋の天気図

 寛平さんを乗せたエオラス号は順調に航海しているようです。昨日は飛魚が飛び込み大喜びでしたが、今日は待望の日付変更線を越えたようです。ブログには「日本時間 2月2日12時6分 N30 54 W180 00 天気曇り 東南東23ノット 進路75度」と書いてあります。

 映像をみると寒くはないようですが、波は結構あるようにみえます。これからのお天気具合はどうだろうと日本語の天気図を捜してみるが日付け変更線付近は日本の気象庁のサービスエリアから外れてしまうので丁度良い天気図は出てこない。

 台風の情報もグアムにある米軍の台風情報が早くて正確だとヨット乗りの間では評判だが、太平洋の気象情報はやっぱりアメリカの「NOAA」だろうと思っていたら、ちゃんと仲間のお一人が捜していた。

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 NOAAの「Ocean Prediction Center」にアクセスして東あるいは西太平洋のエリアを指定すれば24hourから96Hourの予測天気図が動画で出てくる。広大なエリアの天気図にはあちこちに等高線の混んだ台風クラスやゲール、ストームと表示された低気圧があり、冬の海は怖いなぁと思いながらがエオラス号がいる位置、「北緯30.54 西経180.00」をマークしてみる。
 アニメーションで天気図を動かしこれから現れる太平洋の海を想像してみる。ヨットは小さくて遅い、それに逃げ込む港もない大洋なので嵐にぶち当たりそうになってもなんとか、かわしながら凌いでいくしかないのだろうと、ボクなどそう思ってしまうが、エオラス号は運を天に任すような航海ではなく、ちゃんと気象のプロが情報を解析・予想して安全なヨットの針路までアドバイスしているようだ。

 この天気図は「国際式の天気記号」で表示されていて風速はノットで表される。棒の方向は風向で日本と同じだが一本の短矢羽が5ノット、同じく長矢羽が10ノット、旗矢羽が50ノットである。台風並み低気圧の左下には旗矢羽で60~70ノットの表示があった。詳しくは下のリンクをクリックしてください。

【参考Web】:PDFファイルです「国際式の天気記号」
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by pac3jp | 2009-02-02 16:35 | シーマンシップ