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「みょうとぶね」と浮鯛抄(うきだいしょう)

 小型貨物船や漁船それにヨットでも夫婦二人だけで乗っているのは「みょうとぶね」と呼ばれている。ボクも短期間の経験はありますが中々良いもんです。「みょうとぶね」がよそのフネと喧嘩しているのも見たことないし、確かに大人しいフネにはなるようです。

 ボクの愛読書、「スピン・ナ・ヤーン」のなかでも自由漁民として西日本一円にその名も高い広島県豊島の「みょうとぶね」が語られている。

 船首にテントなどを張った特徴のある家船(えぶね)で 彼らは単独か、多くて3~4隻の船隊を組んで遠くは五島や壱岐・対馬まで出漁する。漁法は延縄か一本釣で大ぜいで来ることもないから漁場の争いも聞いたことがない。

 一夜の泊まりを求めて見知らぬ漁港へ入っていくと、地元の船の混み合わない、それでいて安全な一隅に「みょうとぶね」が二、三隻ひっそりと泊っている。寄せていって声をかけると、「ああ、 ここはええよ。 ともから錨入れて前の岸壁に鼻付けしたらええ。 うちの船の隣へ来いよ」おおきに、と言っていったん離し、錨をいれフェンダ-を吊るして寄っていく。船頭が綱を取ってくれる。
 このあたりでおかみさんの方も顔を見せて係留を手伝ってくれながら、「あんた、どこからおいでたん? ひとり? さびしいねえ。 とうちゃん、うちアナゴ活けとったやろ、あれ少し、このひとにわけてあげよ」 「ありがたいなぁ、でもあんたら、せっかく釣ってきたんじゃけん、これ少しじゃけど取っといてよ」「いやいや、これは売り物じゃない。 金くれるんじゃったら魚やらん」と、心温まるやりとりがあった・・・。

 著者は「この人たちの暮らしを見ていると、日本の海辺の文化の原点を見る思いがする。そして、もともと私たちはみな、こんなに開放的で人懐こい心情を持っていたのだろうと今更のように思うのだ 」と述べている。(この文章には写真が付いていてボクもその場所で泊ったことがあった)

そんな自由漁民の原点はそう遠くない所にあった。

 その家船(えぶね)の発祥の地が広島県三原市の能地だとされている。芸予諸島・大久野島(毒ガス島)の対岸、今は大きなクレーンご目立つ幸陽ドックがある辺りである。またこの地にはかって、浮鯛現象が見られた。この浮鯛現象は「初夏の大潮の日に、あまりの急潮に浮き袋の調節が出来なくなった鯛が群れをなして海面に浮かび上がってくること」で日本書紀にも記述がある大昔から有名な現象だった。

 古くから瀬戸内海には漂泊の漁民がいた。陸に住居がなく家族が家船で漂泊しながら漁労をし、末子相続で流れ着いた全国の海浜に枝村を増やしてきたという。
 沿岸の漁業権を持たない家船の民は漁業権の及ばない沖合いで漁をし、女たちはその付近の町で売りさばくことで生計を立てていた。魚が捕れなければ死活問題なので、先進漁法の開発者はいつも家船の民だった。そして、そんな新漁法を地元漁民に教えることで共存してきた。

 そんな家船の民が遠くの海で漁をするさい浮鯛抄という巻物を通行証明書として大事にしていたという。この巻物の写しを見せるとどの浦浜でも大目にみてくれて漁ができた。
 それには日本書紀の神功皇后伝説から説き起こし、本拠地の浮鯛話も絡ませ、神功皇后から諸国の浦浜での漁業権を認められ、かつ家船漁民は運上金を出さなくていいなどと彼らの由緒が書いてあるが、十八世紀の浦浜の漁民がこの巻物が読めたかどうかも問題ではあるなぁ。

 ボクは無理ですが、皆さん下の巻物、読めますか?

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 安芸の国豊田郡能地浦浮鯛は神功皇后この所に到ます時鯛魚多く御船の傍に聚しに皇后鯛魚に酒を洒き給へば魚即ち酔て浮ぬ時に海人その魚を獲て献る 
 又皇后岡にあがらせ給ひ東西の野を御覧じて左右のうちよきかな五穀豊穣べしと云ひしその所を号して能地といふ 
 その岡はいま八幡大神宮鎮座まします所といふ皇后この浦にて海神に幣を手向給ひ海へ流し幣の流れ寄りし所を浮幣といふ 
 今その所に浮幣社といふ小祠あり神功皇后と海神とを祭るといふ浮鯛の事は日本書紀巻第八に在り傅いふ
 その時海人浮鯛をすくひ清らかなる器もなかりしにより飯をいるる器に入て男は恐れありと女これを頭にいただきて献ると今に此浦の漁家の女は魚を市に鬻ぐに頭にいただきて歩く
 その魚入るる器を飯○というはその縁なりとその時皇后勅して此浦の海人に永く日本の漁場を許し給ふと夫故世々今に此所の海人は何國にて漁すれども障方なく運上も出す事なしといふ

豊田郡誌より

【参考web】:浮鯛祭り
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by pac3jp | 2009-01-30 15:46 | 歴史・民俗  

寛平さんのアースマラソン

 真冬でも週末になれば熱心なヨット乗り達は「フネの整備」を口実にマリーナのマイヨットに集まってくる。でも、作業が一段落すると、一人ではちょっと寂しいのか居心地がよくて面白そうな話題があるヨットに自然と集まってくるようだ。

 先週末、無線LANがつかえるマリーナで「間寛平アースマラソン」のWebページを見ながらワイワイお喋りしているヨットがいた。いま太平洋を寛平さんと航海しているエオラス号のスキッパーは昔ここによく出入りしていたらしく当時の彼を知っている人が何人もいる。
 ノラ21をオリジナルのガフリグからマルコニーに改造し、ウインドベーンをスターンのパルピットに取り付けたりして少し危なっかしい艤装で小笠原へのクルージングに出たが、帰りは貨物船のデッキ積みで帰ってきた。「行きはきっと吹き飛ばされていったんやで・・・」と当時はそんな噂だったとか。
 「あんたも知ってるやろう」と聞かれたが当時ボクは草レース派だったのでクルージング志向だった彼の顔も名前も残念ながら覚えてない。

アースマラソン応援バナー

 歳月が流れ、今回彼は吉本興業のイベントとして世界一周の航海をしている。ヨットは28フィートと大の男が二人で過ごすにはかなり小さいが、長距離航海に耐える頑丈なつくりのヨットを手に入れ、充分に予算と時間を掛け整備したようだ。イベント終了後はスキッパー氏がシングルハンドで乗るのを想定しているのかもしれない。

 この航海は人気タレントの間寛平さんが乗っていてヨットから日本のテレビ番組にも随意出演できるし、インターネットには動画とブログで航海情報が発信されている。このようにエオラス号の通信設備には随分お金がかかっている。個人では絶対ここまで出来ないでしょうね。ついでに航海機器もFURUNOの最新機材が装備されている。

 今日、1月28日は出港から25日目で多分北緯30度、東経170度付近でもうミッドウェーにも近いと思うが風弱く針路100度で機帆走と書いている。昨日はデイラン120マイル走ったという。平均速度は5ノットになる。少し遅いようにも思うが28fのフルキールのヨットなのでこんなものかな。

 こんな航海中のエオラス号となんの関係もない当ブログが先週の金曜日には閲覧者がいつもより200人も増えた。なんだろうと思いアクセス解析の検索ワードを見ると「ヒーブツー」がどっさりでてきた。
 その日、「間寛平アースマラソン」のWebページによると間平さんらのエオラス号が風向の都合で2日間ヒーブツーをしていたのだった。それを読んだ読者は聞きなれない「ヒーブツー」という言葉をきっと検索したのだろう。ヨットマンなら大抵の人は理解できているので「間寛平アースマラソン」ブログは一般の人が大勢読んでいるみたいですね。
 因みに「ヒーブツー」をグーグルで検索してみるとボクが大分前に書いた記事がトップに出てきたので、ちょっとびっくりしたが、ははぁんと理解できた。

 ヨットで太平洋を渡るのはもう冒険ではないらしいが有名なヨットマン堀江さんは波動推進ボートから電話でTVに出演していたが「間寛平アースマラソン」は動画で出演しているらしい(TVは見てないので・・・)。いつでも見れるWebの動画やブログは一般の読者がヨットの航海をじかに目で見て理解していただくことができるので結構いいなと思っている。ブログのコメント欄をみるとやっぱりヨットをしない普通のファンが多いようですね。

 この航海、そして「間寛平アースマラソン」を是非とも成功させ、ヨットの楽しさを多くの皆さんに伝えてください!!


【関連記事】:ヒーブツー
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by pac3jp | 2009-01-28 13:16 | クルージング  

いつも「In the pontoon bridge」 の閲覧ありがとうございます!

c0041039_13464892.jpg 確か、「ブログ」が「小泉劇場」などと流行語となった2005年の1月24日に最初の記事を投稿してからもう丸4年がたちました。
 初めは100本も記事が書ければ上出来だと思っていましたが、ヨットハーバーの仲間や多くのヨット乗りの皆さんに支えられて、今日まで4年間、ほぼ週3本のペースで648本の記事を投稿することが出来ました。
 記事の出来栄えは自分が見ても様々で、時には間違って(判れば訂正はしておりますが・・・)いたことも、個人的に色々とご迷惑をおかけしたこともあったのだろうと思っています。m(__)m

 5年目に入る今週からは前からの方針を変え、週3本という枠を外し、当分は書きたいときに書くということで不定期の投稿になりそうです。でも、引き続き「ヨットや海の話題」をテーマにブログはボチボチ書いてゆくつもりでありますので、今後も閲覧・コメント共もよろしくお願いいたします。

 特にコメントを頂いたり、初めてお会いする方から「読んでいますよ」と声を掛けられると「書くパワー」が出てくるように思います。

 どうぞ皆さん、コメントを是非よろしくです。
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by pac3jp | 2009-01-26 13:52 | 徒然に  

ソマリアの海賊たち

海賊対策:ソマリア沖海自派遣 首相、来週準備指示--公明も了承
      
 東アフリカ・ソマリア沖の海賊対策で、自民、公明両党の与党プロジェクトチーム(PT)は22日、自衛隊法に基づく海上警備行動発令によって海上自衛隊の護衛艦を派遣するよう政府に求める中間報告を正式決定した。公明党も22日の中央幹事会などで了承、27日の与党政策責任者の会合を経て麻生太郎首相に提出する。首相は来週、海自派遣に向けた準備を指示する方針だ。(毎日新聞 2009年1月23日)


 やっと日本もアフリカ・ソマリア沖に海上自衛隊の護衛艦が派遣されるように決まったようですね。でもまだ出港までには少々準備がかかりそうです。Webでは日本に80機もあるP3-Cをソマリア沖でも飛ばす計画もあるとか書いてある。外洋海軍を目指す隣国中国はもう自国船や台湾籍の船舶まで護衛していると報道されている。

c0041039_1040488.jpg 昨年末、ボクの仲間のお一人もマレーシアからインド洋を横断し、危険なソマリア沖の海賊たちの狩場がある海を通り、世界一周のクルージングを計画しているチームに入るかどうかと大いに悩んでいた。が、ついに彼は参加を断念したのだが、ヨットは予定通りにクルージングに出航したと悔しそうな声で現地から電話があった。 今回、ヨット側も自衛艦の護衛は全く当てにしてないだろうし、軍艦も6ノットでろのろ走るヨットより高速で巡航する豪華客船「飛鳥」などの護衛の方がきっとやりがいがあるだろう。

 でも、フランスのヨットがソマリア海賊に捕まり「身代金100万ユーロ」を要求されたとき、サルコジ大統領は、「国民の命を守るのがわたしの使命だ」と救出の指令をだし、ヘリからハイテク装備の特殊部隊を降下させヨットの海賊を制圧し、フランス人夫婦を救出した例もあるが、日本の麻生さんではちょっと無理みたいだなぁ。

 各国が海賊対策で軍艦を派遣しているが、ソマリアの海賊たちも言い分はあるようだ。(「海賊物語」より要約)

 ここは最高のインド洋本マグロ漁場のひとつなのです。だから、世界中から漁船がやってくる。だが、内戦によってソマリア国内の警察力が機能しなくなってしまったため、獲り放題の乱獲がはじまった。外国船の多くは、漁業の免許もたず、勝手にやってきて延縄を張り、魚をさらっていく。 また、豪華なヨットで遊び回るお金持ちたちは、平気でゴミを海へ捨てていくのだ。

 そこで、密漁者を取り締まるために、そしてゴミを不法投棄する環境破壊者たちを「こらしめる」ために、漁民たちは自警団をつくり、不法漁船から「税金」をとりたてることをはじめたのであります。 だが、自警団は次第に欲が深くなっていく。領海内だけでなく、公海にも出っぱり、めぼしい船を手当り次第に攻撃して、金品を略奪し、人質をとり、身代金を請求する。被害船の船主たちはクルーたちの命には替えられないと要求額を払う。これがパターン化していって、文字通りベンチャービジネスとしてビジネスモデルが出来上がってしまった。

c0041039_10413360.jpg 彼らはそれぞれにしっかりと組織を作り上げ、いまはほぼ1000人くらいのフルタイムの海賊がいるらしい。さらに、個別の「海賊業者たち」の寄り合い団体とでもいうのでしょうか、海賊協会?もできあがった。

 そこにはプレス担当がきちんといて、「ジャーナリズムのみなさん、わたしたちについていろいろな話をお聞きになるでしょうけど、わたしの発表だけが正式です。わたしが正式な報道官なのです。わたしのお伝えすることだけが、わたしたちの公式発表なのです」という具合である。
 そのプレス担当が、船にいる海賊たちを代表してジャーナリストと電話インタビューをした記事がありましたが、これは傑作だった。

 「わたしたちは誤解されているのです」と言う。 「わたしたちは海のごろつきなんかではないのです。我が国の海域に入り込んできて不法に魚を捕っていったりゴミを捨てたり、今度みたいに武器を抱えてやってくる奴らの方がよほどごろつきだと思いませんか。わたしたちはそんな不心得な連中を見張るためにパトロールしているのです。わたしたちは沿岸警備隊なのです。」

 米軍やロシア軍を敵に回して勝ち目はあるのですかと聞かれて、「ひとは一度は死ぬのです。とりあえず今日は天気もいいし、船の上は穏やかですからね。みんないい気分です」との返事。

 そして、「わたしたちはただオカネが欲しいだけなのです。わたしたちは貧しいのです。食べるものにも困っていて、おなかがぺこぺこなのです。だから海賊行為はわたしたちの基本的人権・労働権の行使なのです」

「おなかがへっているだけで2000万ドルというのは多すぎませんか」との質問に、スポークスマンは、「わたしたちは大家族なのです。家族を養うためには、やはりオカネがいろいろとかかってしまうのですよ」と。

全文はこちら→「海賊物語」です。

 日本から遥か遠い東アフリカのニュースは二千万分の一の地図でみるせいか海の広さや距離感がよく分からない。アデン湾など大阪湾くらいと思っている人はまずいないと思うが、海賊出没エリアをざっと測ってみると奥行き1000km、最大幅では320kmもある大きさで本州の面積より大きいくらいか。
 またソマリア半島沿岸も首都のモガディシュからアデン湾入口まで1300kmもある。こんな広い海域に出没する海賊をやっつけようとするのは大変難しい。海自も当分はスエズを経由する重要船舶のシーレーン護衛が主任務になるのでしょうね。

【関連記事】:インド洋クルージングの話 
【関連記事】:インドネシアに巡視艇3隻の引渡し 
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by pac3jp | 2009-01-24 10:52 | ウオッチング  

デッキカバーを繕う

 衣類など普通の繊維製品などは半年も外に出しておくとUVでボロボロに風化してしまう。それに比べデッキカバーの丈夫さにはいつも感心している。輸入品のサンブレラも強いが国産のモダクリル原着染のボートカバー生地も中々のものだ。
 ボクのデッキカバーは近くのテント屋さんで作ってもらった。セールメーカーのようにぴったりの良い仕上がりではないが、それでも紫外線は充分に防げる。それに製作費はセール屋さんの多分、半分くらいの費用で納まった。生地は安いB反で作ってもらったが10数年もの間、ハーバーで雨、風そして海浜の強力な紫外線からチークデッキとデッキ艤装品を守ってきた。

c0041039_13194465.jpg 紫外線にはスッゴク強い生地だが擦れには弱い、時々は擦止めのパッチを縫い付ける。今週はバウデッキのカバーを繕う。修理箇所はカバーの外縁に細いロープが入っているがそこに40cmほど生地が破れたのを繕う。それにバウハッチのアルミ枠に擦れる部分が弱っているので内側から大き目のパッチを当てる。

 ミシンは奥様から重すぎるということで払い下げてもらったプロ用である。かっては洋裁店で使われていた動力ミシンを丈夫過ぎる架台と強力モーターを外し、ポータブルにしたのだが、モーターは小型の家庭用になってしまったので残念ながらパワーはない。
 でも、メカはオール金属製でプラスチック部品は全くないのでボクが手で加勢すれば厚手の生地を6枚でも重ねて縫え、針が折れることはない。

c0041039_132064.jpg お裁縫仕事も最近はカバーの繕い専門になってきたが、前には色々と作ってみたこともある。一番気にいっているのが右画像のフェンダーカバーだ。涙滴型のフェンダーは割りに紫外線に弱く、首に近い上部からUV劣化が進んでくる。そこで球形のカバーを素人風に作ってみた。
 まず、大まかに裁断した生地をフェンダーに被せホッチキスで仮縫いし、あと余分な部分をカットして縫いつけ、裾にロープを通したら見栄えはともかく効果抜群?のフェンダーカバーの完成だ。

 このカバーも長らく使っているが、よく見ると舫いのスプリングロープと擦れて一部補修が要る、次のお裁縫仕事になりそうである。

【関連記事】:ひと工夫 part2(シルバーシートのお裁縫)
【関連記事】:フェンダーいろいろ 

【参考資料】:「コーラル」 国産唯一のモダクリル原着染繊維を使用。きわめて優れた耐紫外線、耐色あせ性能を持ち、さらに裏側にアクリル加工を施したボートカバー用生地です。熱切断加工しなくてもほつれがほとんどなく、家庭用ミシンで縫うことができるため、自作にはうってつけ。セールカバー、オーニング、ウインチカバーその他、出来合いの製品に満足しない自作派にぴったりです。
重量:1平方メートル当り285g/厚さ:0.54mm/抗張力:縦75kg、横40kg/幅:約1.15m/縫製用ポリエステル糸付
販売価格:5mで \ 15,196(税込)舵社 通販HPより
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by pac3jp | 2009-01-21 13:22 | シーマンシップ  

LEDのスプレッダーライト

c0041039_11471933.jpg お正月にはX34のクルージング仕様の新艇が浮かんでいた桟橋に今度はマストにレイシオンのレーダーが載ったX37の新艇が艤装中だった。

 カーボンのスピンポールなど前のX34(右側に少し見える)よりはるかにレーサーぽいがクルージングのためのオプションがあれこれとついている。

 ボクなどエックスヨットはレースをするために乗るヨットだという先入観で見てしまうが、どうもこのハーバーだけの特殊な現象に惑わされているのかもしれない。ディーラーのメカニックにお聞きするとこのフネは東北の霧の発生が多い海域で使われるのでレーダーは必須の装備だという。ここだとマストに重量物などとんでもないというところだが、地方では少々のトップヘビーより安全・快適なセーリングが大切という健全さがありますね。

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 新艇を見ていて楽しいのは、今度のフネはどんな新型の艤装品がついているだろうと思いデッキを眺めることだ。
 そんなボクの風情を見て「新型のLEDスプレッダーライトが付いていますよ」と教えてくれた。新艇の航海灯はアンカーライト以外はもう殆どLEDになっているようだが、桜マークが不要のスプレッダーライトなどもっと早くに出来ていたのかも知れないが、上を向いてまで確認してないので見落としていたなぁ。

 それは高輝度LEDが3個内蔵されたフラットなライトで左右のスプレッダー下側にセットされデッキを照らすようになっている。昼間に点灯してもどの位の明るさか判断できないが足元とジブシートや舫いロープ、セールなどが凡そ見えればオッケーなのでこれで充分か。でも、電力の消費量からいえば電球に比べて殆どゼロに近い量なのでレース中など特に有効ですね。
 それに電球タイプの器具は大きいのでマストではハリヤードが絡むし、スプレッダーでは電球の取替えも面倒だ。LEDは長寿命だと言われているが実際は電源を繋ぐケーブルの接続点やその施工技術の差で寿命が決まりそうだが・・・。

 上画像を見るとスプレッダー上辺りのマストの右舷にレーダーがついている。マスト正面につけるとスピン関係のシートと絡むのでレドームをロープガードで保護しているフネやどちらかのスプレッダー上につけたフネもあるがマストの方が堅牢に取り付けできそうだ。これはデンマークのビルダーでセットされてきたとか。

c0041039_1144555.jpg もう1つ、シュラウドに新型タンバックルが使われているのを発見。



【関連記事】:航海灯がLEDに!
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by pac3jp | 2009-01-20 11:53 | ヨットの艤装と艤装品  

「DREA夢」ハワイの休日

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 このところずっと寒い日が続いている。明日は1月17日で、もう14年も経ったが阪神・淡路大震災があった日で、あの特別に寒かった日をよく思い出す。そんな時期、ボクの仲間のお一人が常夏のハワイに旅立ちました。今頃はワイキキのペンションでTシャツ・短パンでビールでも飲んで寛いでいることだろう。

 ↑画像はハワイのヨットクラブではありません。我々のいる新西宮ヨットハーバーです。紺碧の海を背に「椰子の木陰でフラダンス」とはいかないものの、少しは暖かい気分になりませんか?

 短い動画↓でフラダンスをご覧になりたい方は画像の真ん中をクリックしてください。(ブロードバンド推奨)


 多少はハワイの気分に浸れましたか?

 ハワイに出かけた彼の目的は、古い友人で世界一周を目指す「祈風」号の次のコース、ハワイからニュージーランドに至るクルージングのヨット整備と出港準備のサポートで2ヶ月はかかる仕事だとかで、日本に帰るのは3月中旬だと言っていた。ホントは何をしているのか分からないが、いい身分ではありますね。うらやましい!

c0041039_15175396.jpg そんなハワイの海でも12月のちょっとした嵐?でワイキキ沖で錨泊していたヨット2隻が浅瀬に打ち上げられ遭難したと、本人が撮った画像を送ってくれた。 嵐が予想されたらワイキキにはヨットハーバーもあり、桟橋か岸壁に係留できるのにどうして沖で嵐を過ごそうとしたのだろうと日本にいるボクはそう思ってしまう。

 でも南太平洋などでは沖がかりがほとんどだと聞いているのでクルージング中の彼らも普通に錨泊していたのだろう。しかし、彼らの予想より嵐が大きく錨は効かず打ち上げれれたということか。

 「祈風」号は日本を出てからハワイまで1回も錨泊せずワイキキの桟橋に舫いを取ったが、これからは多分、錨泊を重ねることになるだろう。フネを失うことにならないよう慎重にそして確実に錨泊し、クルージングを大いに楽しんでくださいね。
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by pac3jp | 2009-01-16 15:07 | クルージング  

先任将校(軍艦名取短艇隊帰投せり) 松永市郎著

c0041039_17355350.jpg 太平洋戦争真っ只中、フィリッピン沖300マイルの太平洋上で、敵潜水艦の魚雷攻撃を受けて乗艦沈没の憂き目にあった軍艦名取短艇隊195名の生還の記録。食料も、真水もなく、航海用具も持たず、15日間も橈を漕ぎ続け、27歳の先任将校の決断、次席将校の補佐、隊員の団結で、死の運命を切りひらいた海の男たちの感動の物語。(裏カバーより)

 この本は軍艦「名取」の航海長がパラオ近海で雷撃され沈没した艦から脱出できた300人くらいの兵員のなかで先任将校として指揮権を確立し、確固たる信念をもって士官や兵を掌握し、自力で帰還してゆく様を次席将校として先任を補佐していた通信長が書いたものだ。

 太平洋戦争も昭和19年8月ともなると制空権もなくなりフィリッピン近海も敵潜が遊弋し、輸送船の消耗も激しくなり、巡洋艦名取も「名取・丸通」と呼ばれ、その高速を生かしてマニラを基地に人員や物資の輸送業務に励んでいた。

時にはこんなこともあった。
●水葬
 人員を輸送していると艦内で死亡することもある。戦時では水葬にする。水葬は副長立会いの上でラッパが「国の鎮め」吹奏し、海図に水葬の艦位が記入され、その軍艦がその海域を通過するたびに花輪を投下して水葬者の霊を慰めるという。

沈没後の嵐で短艇3隻と200人が残り、短艇隊を結成、帰投へ・・・
●短艇の航海
 海図もコンパスも六分儀もないカッターで西への針路はどう決めたか。まず北極星の高さで緯度を測定する。その北極星を右正横に見て進めばいいのだが実際は難しい。そこで、オリオン座とさそり座を使う。オリオン座は天の赤道付近にあります。さそり座は天の赤道のやや南寄りにあり、これらは地球上のどこでみても必ず東方からでて西方に沈みます。これらの星座が東にあれば背を向けて進み西にあれば向かって進めば西に進めるわけです。また走行距離は日の出、日没の時刻差で測定した。
●短艇
 全長9mで定員は45名だが、各艇60人~65人と可能な限り乗り込み鈴なり状態。
●橈走
 暑い昼間は休んで夜間にダブルで10時間30マイル橈走する。
●帆走
 風があれば橈をマストに作業服を縫ったセールで帆走した。
●真水
 海面下40mにあるといわれる真水を汲み上げる試み。これは昔の弁財船の船頭さんは信じていたようだが昭和の軍艦乗りでも試しているのが面白い。
●無事到着後の夕食
 殆ど飲まず食わずで半月もオールを漕ぎ続けて、やっと港に帰ったのに最初の夕食は薄い重湯だった。隣の兵隊はご馳走を食っているのにどうしてだ!と餓鬼になって軍医にねじ込んだが重湯の理由を諭されてやっと分かったことなど。
●不思議・・・
 本艦から脱出し、短艇で時化た海を乗り切るため、各艇舫い結びでシーアンカーをつくったが海軍軍人が60人も乗っているのに誰も結べなかった短艇があったこと。

 文中に兵の不平不満が高じて反乱を恐れる場面が時々出てくるがわずか27歳の先任将校がしっかりと抑えてゆく。この先任将校も本艦に乗っているときは普通の将校だったらしいが、きっと非常時に力が発揮できる人だったのだろう。

 世の中に漂流記は沢山あるが、外洋で撃沈された軍艦の200人ちかい乗組員が制空権もない海をわずか30フィートのカッター3隻に分乗して僅かな食料とスコールの水をのみ15日間も目的の方向に漕ぎつづけ自力で帰投を果たしたことは漂流というイメージでは収まらず、これは規律ある軍艦の航海だと思うほどである。

※先任将校とは:軍艦には艦長に告ぐ副長という地位がありますが、駆逐艦や潜水艦などの小型の艦艇では副長もうけるほどたくさん士官がいませんので、その艦で副長に相当する士官を先任将校といい艦長の補佐役です。一般的には同じ地位に先についた将校のことをいう。

【関連記事】:「海路安心録」
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by pac3jp | 2009-01-15 17:53 |  

久しぶりに新艇が入ってきたポンツーン

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 今年の正月初め、ボクたちがいる桟橋に久しぶりの新艇ヨットが入っていた。昨年も1隻泊っていたがボートショーで売れ残った新古艇だったが今回はちゃんとしたオーナーボートだ。

 年末には進水式の準備でオーナー自ら艇名シールを貼ったり忙しくされていたが、船検も無事に御用納めに間に合ったんだろう。
 と、のんきに思っていたが船検シールをよく見れば平成20年の表示があるので今年一番の新艇登録なんだ。
 確かに、常識的にもそのほうが何かと良いけどね。

 艇種は「DELPHIR 33」(デルフィア33)ポーランド製、オカザキヨットが輸入しているヨットである。昨年のヨットショーには「デルフィア29.2」と2隻が出展されていたが、昨年度は33フィートの方が良く売れているように見えたなぁ。

 このところマスコミは「100年に一度の経済危機だ、大不況だ」と今にも世の中が変わってしまうように人々の不安を過剰に煽っているように思う。

 それでもちゃんと新艇ヨットを買う人もいる。ハーバーのビジター桟橋ではドル安?で仕入れてきたのかアメリカ製の「プレジャータグボート」の新艇展示会をやっている。 ディーラーは古手のヨット乗りの次のフネは「タグ」だと売り込んでいる。事実、受注した少し大きめのタグボートはもうビルダーで建造中だとか。
 
 ボクの仲間でも売り出したばかりの中古ボートが直ぐに売れてしまったという。それも結構な値段のボートなのに・・・。

 まぁ、世の中有るところにはあるという事ですが、下々まで毎日気分よく過ごせる日が早く来てほしいものです。
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by pac3jp | 2009-01-13 11:52 | ウオッチング  

曳航測程儀(パテント ログ)

 以前に自作のハンド・ログについて書いたが、歴史の順から言えば次は曳航ログの番だがこの航海計器は簡単に自作は出来そうにない構造を持っているし、身近なところではもう見かけないのできっと博物館にしかないだろうという話になっていた。

 神戸港メリケンパークに神戸海洋博物館という名の博物館はある。いまや間借させている「カワサキワールド」のバイクやヘリコプター、そして新幹線車両の展示の方が人気がある。本家の海洋博物館は模型の船舶を並べただけで「海洋」についての内容は本当に寂しい展示なのでよっぽど暇な人しか入っていない様子だ。

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c0041039_16382149.jpg そんな海洋博物館で本船用の曳航測程儀(パテント ログ)を見つけた。一度も使われてない新品のようだった。現役当時はバックアップ用として大切に保管されていたものだろう。

 ボクはヨット用のウォーカー式の曳航ログは見たことはあるがこれは随分大きい。ローテーターの長さも40cmくらいはありそうだった。ログラインはないがハンドルのような調速機が面白い。使い方と名称はイラストをご覧ください。この展示されたセットには指示器だけで室内でログが読める受信機はついてないようである。

 イギリス人トーマス・ウォーカーは1878年ローテーターがログラインを介して船内にある指示器を動作させるという考え方で特許4369を取った。1890年にはローテーターをブリッジの横から出した円材から曳航させ特殊なジョイントで回転を直角に曲げてブリッジ内に導く方式を提案した。これは電気式が採用される1902年まで多くの客船でつかわれていたという。

 ウォーカー・ログはパテントをとったことから、P・ログといわれ長らく親しまれてきた。日本でも1955年頃、一般商船ではもう船底動圧式ログが使われていたが、タンカーだけはまだP・ログが使われていた。その理由は電気式である動圧ログ装置が積荷の油から発生するガスに引火する危険があるため電気を使わないパテント・ログがタンカーだけに用いられていたのだった。

 こんな話 《船酔いP・ログ》
船に弱いものをP・ログといってからかうことがある。P・ログは航海中は海中で横(寝て)になっていて、航海が終わると立てかけて格納しておく。船に弱い者は航海中は寝ており、港に入ると立っていることから、P・ログになぞらえて「P・ログのようだ」というわけである。


 一方、船底に穴を開けたくない人や電気がないヨット用にはウォーカー社から曳航索が20mばかりの小型のものが昔は販売されていたらしいが、今はもう骨董屋さんで探す部類でしょうね。野本先生のご本、スピン・ナ・ヤーンには速度も距離も測定でき電池で動くSTOWEの電子式曳航ログを常用していたと書いておられるが、いまでも販売されているかどうかは残念ながらボクは知らない。


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by pac3jp | 2009-01-10 16:43 | ヨットの艤装と艤装品