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明石港・玉子焼きクルージング♪

 暖冬に慣れた身体には厳しい、例年並の気温になった日曜日、粉モン文化の研究に目覚めたR亭ご亭主のお供で仲間のヨットに乗り、「たこ」の本場、明石で「たこ焼き」(こちらでは玉子焼きという)を食するランチクルージングに出掛けた。

 気温は低く、曇り空でほとんど無風。フネはこのシーズンに最適なフルドジャーを装備したヨットなのでドジャーの中にいる限りそう寒くない。距離はランチクルージングには少し遠くて片道約20マイル。機走で3時間の距離だ。上手い具合に潮は月齢8.4、小潮だ。行きも帰りもそう潮を心配することもない。ラッキー!

 出港前にオーナーが巻尺でマストの高さを実測し、神戸港内の橋の下を1mの余裕で通れることを確認していた。それで今日は実際に試して見ることに。港内に入り問題の橋が近づいてくる。14mと表示がある。彼のマストは13mだった。でもマストの上にはウインデックスや風向風速計が付いている。実質13.5mはあるだろう。それに今はほとんど満潮だ。通船の引き波が来るとほとんど衝突だと言いながら微速で橋下に進入、オーナーの心配そうな顔。下からマストを見上げると本当に当たりそうだ・・・緊張の時間が終わり、無事通過した。

 神戸港内も様変わりして、かってのコンテナヤードに春から大学3校が開校とかで既に瀟洒な校舎が出来ている。もう西側の港内では外貿埠頭はなくなり内航船のバースだけになるのだろうか。

c0041039_985583.jpg あれこれ喋っているうちに午後1時前、明石港に着いた。内港は漁船が多いので外港の物揚げ岸壁に係留する。ここは明石ヨットクラブの泊地がある。ヨット泊地対岸のいつもは砂や砂利等の荷役をやっている場所だが日曜日なのでガット船が1隻だけ係留していた。岸壁は本船用の高さで路面は砂が積もっている。
 岸壁は砂のヤマで東風が強くなるとデッキが大変かも・・・。


c0041039_99205.jpg 目的の「玉子焼き」のお店は港から5分の「本家・きむらや」だったが、長い行列が出来ていたので明石・魚の棚へ回る。有名な商店街なので人も多い。玉子焼きのお店もここ数年で随分増えたがどこもお客さんが表で待っている。商店街の西端に近い待たずに食べれそうな「とり居」にはいる。メニューは玉子焼きだけなので1皿15個入りを1枚と言い、何枚ですかと注文をとる。我々は4人で5枚食べた。仲間内では初めて食べた人もいたが感想は様々だ。
 ボクが子供の頃に食べていたのはもっと丁寧に焼かれていてダシも美味しかったように思ったけど・・・。

c0041039_994299.jpg お仲間は丁稚羊羹で有名な和菓子店「藤江屋 分大」で奥様に、あるいはご自分用のお土産を買い帰途につく。帰りは僅かな逆潮。だが換装して強力になった3YM30のパワーで乗り切っていく。母港の海に近づくと生憎の真向かいの風が吹き始めた。でも20マイルを3時間弱で走り夕暮れまでには帰ってきた。


 今日のクルージングで粉モン文化に取り組んでいるR亭で新たなメニューが現れることは明確。この週末あたり、「ああだ、こうだ」とR亭オリジナルの明石焼きがお目見えするかもしれない。
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by pac3jp | 2007-02-28 09:20 | クルージング  

阿波沖海戦

 紀伊水道の伊島といえばクルージングやその中継港でよく寄港させてもらっている。そして付近の椿泊や橘湾、牟岐大島などもクルージングエリアとして楽しませてもらっている。

 そんな紀伊水道の伊島“北東海域”で風雲急を告げる幕末の1868年(明治元年)1月3日、今から139年前、そこで日本史上初めて近代蒸気軍艦同士の海戦があった。阿波沖海戦という。榎本武揚指揮の旧幕府最大の軍艦「開陽丸」と、まだ若かった東郷平八郎らが乗り組んでいた薩摩の新鋭軍艦「春日丸」、運送船「翔鳳丸」の3隻が戦ったのだ。
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 前年の12月15日、薩摩が雇った浪人たちの手で、江戸のほうぼうが放火された。放火犯たちは三田の薩摩屋敷に逃げ込むが、庄内藩が鎮圧に出て、フランス軍事顧問団ブリュネ大尉の助言のもと、薩摩屋敷を砲撃した。火災の中、戦いが始まった。やがて浪人と薩摩藩士らは屋敷から逃れ、羽田沖に停泊中であった薩摩の運送船「翔鳳丸」に乗って、江戸湾を脱出しようとした。幕府艦隊のうち、在府であった「咸臨丸、回天丸」の二隻が「翔鳳丸」を追ったが、逃げられた。これが羽田沖海戦、または江戸湾海戦と呼ばれている戦闘である。

 12月28日には、追ってきた「回天丸」が大坂に到着、薩摩による江戸城などの放火が報告される。大阪城内はこの報告にいきりたち、たちまち薩摩討つべしの合意ができていった。その時、薩摩の「翔鳳丸」は兵庫港に逃げ込んでいた。

 鳥羽・伏見の戦いが開始された1月3日、薩摩軍艦「春日丸」、同藩運送船「翔鳳丸」・「平運丸」が兵庫港に停泊し、鹿児島への帰藩準備を進めていた。一方、榎本武揚率いる旧幕府艦隊の「開陽丸」は、大阪湾に停泊して海上より鳥羽・伏見の戦いを見守っていた。

 1月4日早朝、薩摩の軍艦「春日丸」、運送船「翔鳳丸」は紀伊水道に向けて出港した。由良瀬戸を越えた頃、これを追跡していた「開陽丸」が発見、同時に「春日丸」も「開陽丸」を視認した。速度の遅い同行の「翔鳳丸」を曳航しょうとするが、速度が上がらず、追撃の「開陽丸」に追いつかれてしまう。午後2時過ぎ、「春日丸」は「翔鳳丸」の曳き綱を切り、単独で戦うことに決断した。そして大きく回頭し、太陽を背に交戦体制に入る。

 距離2500m、「開陽丸」が十六サンチ施条カノン砲の初弾を発射した。砲弾は大きな弧を描き「春日丸」の左舷15mのところに落下。準至近弾だ。「春日丸」も百ポンド砲が火を吹き「開陽丸」の手前20mに着弾。大きく揺れる外洋の波の中で砲の照準合わせに必死に取り組む。両艦は互いに1200m~1500mの距離から「開陽丸」は25発の砲撃を加えた。相手の「春日丸」は18発の砲を放ったがどちらも大きな損害には至らなかった。
 片舷の艦砲を撃ち終えた「開陽丸」が回頭している隙に艦の火力に差がある「春日丸」はその俊足を生かして戦場を脱出する。またもや「開陽丸」が追跡するが、最大速力が5ノット以上もの違いは大きく、やがて春日丸は無事薩摩に帰還した。

 一方、「翔鳳丸」は多島海の橘湾に隠れようとしたが叶わず、土地の漁師を雇い土佐の甲浦を目指すが、船の故障で難所、蒲生田岬をやっと越え由岐浦にはいるが操船を誤り座礁、そして折からの強風にあおられ湾口にある「へらの島」の岩礁に乗り上げ大破。制海権を持つ徳川艦隊の追っ手を恐れて、彼らは翔鳳丸に積み込んできた江戸の薩摩藩邸からの貴重品共々弾薬庫に火を放ち自爆し、自分たちは小船に分乗して日和佐、甲浦へと脱出していった。

 このように阿波沖海戦の場面を回想すると殆どが一度ならず寄港した港だ。翔鳳丸が最後に座礁した由岐浦は今でもそう大きな港ではない。湾口に「へらの島」が外洋の大波を防ぐ天然の防波堤になっている。でも島の北側は危ない暗礁地帯で初めて入るには海図がいる海だ。
 この前、由岐に行ったときはサーファーが大勢で波乗りを楽しんでいる。ヨット乗りは島影で錨を入れてお昼寝をする。ヤッパリ平和な時代が一番いいなと思った夏の日だった。
 
開陽丸:排水量2817t、長さ約72.8m、エンジン400馬力、スクリュー2軸、
    備砲計26門、速力10ノット
春日丸:排水量1015t、長さ74m、エンジン300馬力、外車2基、
    備砲6門、速力17ノット

【参考図書】:「軍艦 開陽丸物語」 脇 哲著
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by pac3jp | 2007-02-26 11:12 | 歴史・民俗  

冷却水インテークストレーナの向き

c0041039_9421754.jpg ヨットを上架して船底を見ればあちこちに穴が開いている。ギャレーや手洗いの排水はただのスルハル金具が付いているだけだ。でもシャフトドライブ船のエンジン冷却水インテークは何かしら異物の吸い込みを防ぐストレーナがついている。出っぱったタイプのストレーナーや右の画像のような海水フィルター兼用の金網が付いているものもあるが、これはフジツボなどで詰まり易い。

 一番多いタイプはスコープがついたブロンズのストレーナだ。このストレーナの取り付ける方向がヨットとボートでは海水が入る方向が逆になっているのを最近発見した。まぁ、どっちにしても大して変わりがないようだと思い、ボクが余り気にしなかったからだ。

c0041039_9423442.jpg ←はヨットのストレーナ

 でも強風が吹く続く外洋を何日もセーリングしていると、海水インテークから入る海水の圧力が海水ポンプの僅かなギャップを通過し排気管からエンジンに海水が浸水してくることがあるそうだ。知らずにそのままにしておくとシリンダー内に入った海水で錆が発生、ピストンが固着しエンジンの始動が困難になってくる。そんな事でセーリングヨットの冷却水インテークはサイフォン効果がでる方向に向けて付けられている。

c0041039_9425429.jpg ←モーターボートのインテーク用ストレーナ

 一方、ボートは航走しているときは必ずエンジンは回転し、冷却水はエンジンの回転数に応じて充分に供給されなければならない。よってインテークは海水が前方から押し込まれる方向にインテークは付けられている。

 エンジン内に海水が入る事故はフネの停泊中の起こる冷却水回路のサイフォン効果と航海中に起こる追い波による排気管からの逆流と前述の冷却水からの逆流も考えられる。対策はバキューム(アンチサイフォン)バルブの頻繁な点検と停泊中などエンジンが止まれば冷却水のインテークバルブを閉めること。長距離の航海中は時々エンジンを掛けて排気回路内に海水が溜まらないようにすることなど等だ。

 ボクのように潮の速い瀬戸内沿岸をほとんど機帆走でクルージングしていればそう心配することはない?が、油断は禁物! 今度上架したときにはしっかり確認しておこう。最近セールドライブ艇で予備の冷却水インテークを作っているフネも同じく要注意かな。


参考:以前の関連記事 「海水冷却水がエンジンに浸水」
           「排気管からエンジンへの浸水」 

 
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by pac3jp | 2007-02-23 09:55 | ヨットの艤装と艤装品  

関門海峡の大砲(レプリカ)

 琵琶湖で活動するヨット「MUGEN」のオーナーさんが九州出張の途中に関門海峡に立ち寄り、長州砲の写真を写して送って下さった。そこは今を去る144年前、攘夷を叫ぶ長州藩と欧米列強の四国連合艦隊が砲撃を交わした歴史的な場所、関門海峡を望む壇ノ浦「みのすそ川公園」にその長州砲は設置されている。
 写真に写っているレプリカの大砲もまだ新しそうなので調べてみると、2004年大河ドラマ「新撰組!」に関連してここに設置されたらしい。桂小五郎(木戸孝允)役の俳優らが出席して完成式を行ったと出てきた。
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  長州はその無謀な下関戦争の後、高杉晋作らが藩の実権を握り、イギリスから最新式の武器を導入、軍備を増強し、薩長同盟が結ばれ、開国、倒幕へと大きな時代の流れに乗ってゆく。

 ボクもこの関門海峡、早鞆瀬戸を通過したことはあるがこの幅650mの狭い瀬戸をゆっくりと見物する時間も余裕もなかった。海峡の航路は曲がっていて多くの大型船が通行し、引き波や潮波で「ごちゃごちゃ」した海やなぁ、という印象だった。

 いつもは門司寄りの航路外を航行するが、今度は下関側を通り、狭い海峡を睨む「怖くないFRPの大砲群」を見物することにしようかな。

参考:以前の関連記事「わが長州砲流離譚 古川 薫著」
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by pac3jp | 2007-02-21 10:14 | 歴史・民俗  

カレーうどんと軍用赤飯

 大阪湾奥の西宮周辺には多くのヨット泊地がある。公共ヨットハーバー、私設マリーナ、自主管理泊地、不法係留と言われている泊地など、自分達のヨット・ボートを係留している形態は様々だ。

c0041039_13474227.jpg 昨日、お隣の甲子園浜にある一文字ヨットクラブの泊地前を通ると桟橋から「ここに留めて、寄っていき!」と声がかかった。近くに寄ると顔見知りで古顔ヨット乗りが手を振っていた。空いたバースにフネを繋ぐと、「昼めしも食べていき」とおっしゃる。 桟橋の中ごろにある「屋台のおでん屋」風の厨房で丁度、お昼の準備中で大きな鍋にお肉とにんにくを入れてオリーブ油で炒めていた。カレーうどんを作るそうだ。陸でクラブハウスの建築作業中の人からも「いらっしゃい!」と声がかかった。

 この一文字ヨットクラブはこの付近では唯一の自主管理の泊地を持っているヨットクラブだ。西宮港内に昔あった一文字防波堤に係留していたヨットクラブが三度目の移転で現在の場所に2年くらい前に移ってきた。海面を9000㎡占用し、泊地に面した岸壁にも陸上施設用地の占用許可を取っていると聞いている。

c0041039_13502164.jpg メンバー艇は60隻くらいで長い主桟橋から片方に枝桟橋が出ていてヨットは桟橋係留だ。桟橋はメンバーの共同作業で製作、移転も3度目ともなると桟橋造りも上手くなるのだろう中々立派なもんだ。勿論、電気も水道も来ている。公共ヨットハーバーは桟橋に私物を置くのは禁止だが、ここは船用家財道具から家庭用の冷蔵庫まで置いてある。係留杭の上にはテレビのアンテナまで載っている。

 岸壁では20fコンテナ二段積みのクラブハウスにテラスなど付属施設を建築中だった。メンバーに色んな技能とノウハウをお持ちのひとがいてみんな自前で造ってしまう。コンテナの屋根を見ると夏場の断熱の為か、しっかりと切妻の屋根が載っている。

c0041039_13495483.jpg お昼になり美味しそうに出来上がったカレーうどんのお鍋がテーブルに出ると作業中のメンバーを含め付近にいた15~18人が集まってきた。同時にテーブルには珍しい自衛艦隊用の赤飯が出てきた。これをよく食べている潜水艦のクルーに言わすと缶詰の中ではこれが一番美味しいらしい。ボクも早速、試食させてもらった。

c0041039_1354983.jpg 缶のデザインは全く愛想ないが食べてみると、なるほど美味しい。説明文を読むと25分間も茹でると書いてあったが、ヨットでは難しいかも・・・。まぁ、自衛隊仕様の戦闘食なので「量もあり、美味しい」が、このままでは市場での価格競争力はないだろうという意見で珍しく全員一致した。

 ここで強く感じたのはメンバーが自分たちのヨットクラブに対して持っている意識の違いだった。ボク達の桟橋も35隻くらいの数はいるが、ボクがお話をしたことがないオーナーさんも沢山いる。「隣は何をする人ぞ」都会のマンションの住人のようだ。一方、こちらは「向こう三軒両隣♪」と下町風の付き合いである。
 皆さん仲良く協力してヨットクラブの運営を手伝っていているな、ということだった。また、そうしなくては自前の泊地の管理は出来ないのだが・・・。
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by pac3jp | 2007-02-19 13:58 | ウオッチング  

海難事故

c0041039_10545868.jpg 宮崎県都井岬沖70マイルの外洋で大型船に当て逃げされ半沈の漁船が発見された。その後クルーはライフラフトで漂流中に捜索活動中のヘリに発見され72時間振りに救出された。テレビのニュースで船尾だけで浮いている船体を見ていて、もう漁船員は海に投げ出され流れてしまったのかと思っていたが、この船の船長は万が一船を捨てるような状態になったとき、生き延びる為に必要なライフラフトを装備していて、今回しっかりと役に立った。

 このマグロ船は第一種小型漁船に分類され、日本の沿岸から100マイル以内で操業する20トン以下の漁船だ。JCIが要求する安全装備は我々が乗っている小型帆船の沿海区域装備よりも少なく、ほぼ限定沿海区域くらいで良いようだ。当然ライフラフトの搭載義務はない。
 全国に第一種小型漁船が何隻あるかしらないが、大きさから見て日本の沿岸で操業する殆どの漁船が該当するのだろう。漁船の遭難は多ので安全の為に搭載するのは良い考えだが、これが又高いのだ。沿海仕様6人用で40万円くらい。オプションのキャニスター(ケース)や自動脱着装置と工事費を加えれば50万円をオーバーする。そして3年ごとに検査がありその費用に10万円~15万円は掛かる。
 まぁ、漁船の場合はラフトは任意なので検査の義務はないので必ずしもやらなくていいけど・・・。

 一方、ほとんど稼ぎに関係ないヨットでも沿岸20マイルより沖を航海するときは近海区域の資格とライフラフト・イーパブなど救命設備や無線設備としてHFSSBや持ち運び式双方向無線電話機がいる。これでざっと100万円はかかる。それに3年ごとの中間検査や6年目の定期検査でラフト・信号用火薬類の更新・イーパブや無線機のリチウム電池の交換や機器の検査がありこれらに多額の費用が掛かる。

 でもいったん非常事態になったら高かった救命装備も元が取れるというもんだが、大抵のオーナーは自分だけは大丈夫と思っている。でも本当は良い物を装備したい。そして救命設備や無線設備がなんとかもっと安くならないかと願っているのだ。
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 先の週末に桟橋を大きなセールバックを台車に積んで運んでいる知り合いに出会った。「どうしたの?」と声をかけるとシングルハンドでセーリング中に「海保の船と当たってしまった!」とおっしゃる。まさか当て逃げではないだろうが、前方不注意でしっかりと叱られたのだろう。いまからセール屋さんで「大きな窓を付けて貰うんだ」と急いで台車を押していった。

 港の付近で居眠り運転の船は居ないだろうが、どちらの船もよく見張っていて、もし自艇が保持船でも衝突の恐れがあれば注意信号を発し、衝突を避けるために避航船と最善の協力動作をしなくてはならない。と決められているが、ヨットやボートは海の乗り物の中ではホンに小さいものだ。大きな本船や高速で突っ走る漁船までも遠くに見えたら早々と彼らに進路を譲ろう。
 こちらが必ず見えているとは限らない・・・。

そしてボク等は周りをよく見張って安全第一に海を楽しもうよ!!
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by pac3jp | 2007-02-16 11:18 | ウオッチング  

カスタムヨットのハードドジヤー

 前回プロダクションヨットにオプションでハードドジャーを取り付けた例を見てみたが、ワンオフヨットや基本的に量産に向かない木造ヨットを造るときデッキやコクピットはかなり設計変更の自由が効くみたいだ。ハルのサイズは同じようだがヨットとしての雰囲気は大分違うように見える。

c0041039_9364440.jpg 左の画像は木造の30fくらいのカッターだ。このビルダーのヨットはサロンクルーザーのような窓の大きなタイプが多いように思うがこれはロングクルージングを考えたオーナーさんが造ったのだろう。リグもそうだが、ソーラー・レーダーも装備してある。ハードドジャーは木製枠に大きなアクリルの窓が入っている。
 でも春になると関東方面に回航されるとう噂も聞いている。

c0041039_9373337.jpg 左の画像は古い年季の入ったクルージングヨットだ。確か小豆島の岡崎造船で造られ、昔は木製のマストが立っていた。先日写真を撮ったときはニスが塗り替えられて綺麗になっていた。ボクはこのヨットと港外で会ったことはないが、かっては外洋をクルージングしていたのだろうかデッキにはライフラフトが積んである。このハードドジャーは前面が2枚の大きな窓、片方は開閉可能。サイドは三角窓と残りの側面はキャンバス張りになるのだろう。

c0041039_938948.jpg 左はアルミ製60fのワンオフのオーシャンクルーザーだ。国内の造船所で造られここのハーバーで艤装工事をしていた。昨年、北米へクルージングしてきたとか聞いている。そのハードドジャーと言うのか、デッキサロンの上にある見張台はアルミの頑丈な枠に囲まれて安全そうだが、斜材があり、見通しが悪いのと暑い場所、寒い地域ではシンドイかなとも思うが、そんな対策は充分に考えられているでしょうね。
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by pac3jp | 2007-02-14 09:52 | ヨットの艤装と艤装品  

サイドスラスター

 ヨットでもボートでも沖を走行中の操船はそう難しくない。でも港に入れば必ず離着岸操船をしなければならない。無風で潮流もないラッキーな状態はそうない。桟橋に着岸しようと思うと離される方向から風は吹いてくる。後進で離岸しようとするとプロペラ流の作用で思う方向にはバックしない。漁船のように頑丈に出来ていればそう気にする事もないが華奢な造りのヨットやボートは付近の障害物?に気をつかう。

 そんな事で最近は中型のヨット・ボートでもバウスラスタを装備した艇は多くなってきた。でもそんな楽な操船に慣れてくるとバウだけでなくスターンも動かし、より自由にフネをコントロールしようと思うのか、中型艇でもボチボチとスターンスラスタを装備したフネを見かけるようになってきた。
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 上の画像はクルージングヨットに装着されたスターンスラスタだ。このヨットの設計時にスラスタを収納する船内スペースを考えて無かったのだろう。外付けのスラスタが付いている。かなりの抵抗にはなるが、離着岸の容易さには代えられないのだろう。勿論、バウスラスターは付いている。

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 同じく上の画像はトランサムにスラスターを装備したモーターボートだ。2軸のボートはバウスラスターだけでもかなり自由に操船できるようにボクは思うが、このオーナーさんはもっと高度な操船を想定されているんだろう。ボートのトランサム下部はプレーニング中には抵抗にならず、離着岸の低速時は水中にある。ペラの掃除も簡単でサイドスラスタにはいい場所だ。

 このハーバーのヤードでもよくバウスラスタの取り付け工事をやっている。新艇に装着している場合もあるが、中古艇に付けているときも多い。40f以上のクルージングヨットはオーナーが代わればキット欲しくなるのだろう。

 ちなみにボクのフネはバウに充分な喫水もあり同型艇では大方つけているらしいが、今のところ古典的な離着岸テクニック?でカバーしている。(^^ゞ
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by pac3jp | 2007-02-13 10:52 | ヨットの艤装と艤装品  

わが長州砲流離譚 古川薫著

c0041039_945331.jpg 日本で初めて外国の軍艦と交戦したことによって各国の戦史に刻み付けられた長州の青銅砲。100年もの間、日本人から忘れられていたその歴史的記念物を長く捜し求めていた著者が1966年にパリで発見した。そして山口県出身の故安倍晋太郎外相のもとで、フランスからの長州砲返還運動を展開し、さらに残る3カ国で長州砲を発見するまでの苦労の記録である。

 幕末(1863年)の関門海峡では幕府の攘夷宣言を待って長州藩がアメリカ商船、フランス軍艦、オランダ軍艦を次々と三十門の沿岸砲と4隻の軍艦で攻撃した。幕府は大いに困ったが京の朝廷からはお褒めの褒勅が下された。長州藩は大喜びだった。
 だがその喜びもつかの間、アメリカの軍艦が自国の商船を攻撃された報復にやってきた。長州の軍艦は沈没2、大破1。沿岸の砲台も殆どが沈黙させられた。そして4日後にはフランス軍艦2隻がまたもや報復にやってきた。壇ノ浦・前田砲台に艦砲射撃を集中し、砲台が沈黙すると陸戦隊が上陸してきた。長州藩も火縄銃や刀、槍、弓で反撃するが近代装備のフランス軍の圧倒的勝利に。救援部隊も軍艦からの援護砲撃が激しく退却を余儀なくされる。やがてフランス軍は砲台を占拠し破壊した。このように1回目の攘夷戦争は惨憺たる敗戦で終わった。

 惨敗したにも関わらず、長州藩に攘夷の意志は変わず、奇兵隊を組織し、兵力の増強に努めた。その間、長州の政治環境は大変緊張したものだったが海防のために新しく青銅砲をわずか1年の間に百十五門の大砲を作り上げた。勿論、原料の銅は領内の寺社の釣鐘、住民は銅火鉢・銅鍋・鏡まで供出し軍備の増強に協力したといわれている。

 諸外国は関門海峡の自由通行を実力での確保をはかるため「四国連合」が成立。1864年8月下関を攻撃するために連合艦隊を派遣した。下関沖に英・仏・蘭・米の四カ国からなる以下の連合艦隊が現れた。

イギリス 9隻 164門  2850名 うち陸戦隊 500名
フランス 3隻  64門  1155名
オランダ 4隻  56門   951名
アメリカ 1隻   4門    58名
 合計 17隻 288門 5014名

 十七隻の軍艦に積んだ二百八十八門のアームストロング砲と5014名の兵士が攻撃に参加した。これに対して長州側は百二十門の青銅砲と奇兵隊など2000人足らずの兵力で防備を固めていた。
 四日間にわたる大規模な闘いとなったが、戦闘のピークは6日の壇ノ浦砲台への敵前上陸だった。各国の陸戦隊、水兵、海兵隊ら2600人は猛烈な援護射撃のもと前田海岸に上陸した。長州藩も善戦したが戦力の差は遺憾ともしがたく長州軍は敗北した。外国軍艦の大砲は鉄製で内部に螺旋が切ってあるアームストロング砲、炸薬入り砲弾で射程は2000~3000m。一方青銅砲は先込め式で弾丸は砲丸だ。射程1000mとかなりの差がある。兵士の個人装備も刀、槍、弓、たまにマスケット銃を持つ長州兵はライフルで装備した外人兵士には敵わななかった。
 この戦いで長州軍18人、連合軍12人が戦死し、四国艦隊は4日間で2504発の砲弾を打ったと記録にある。

 講和談判が一段落すると連合艦隊はそれぞれが鹵獲(ろかく:戦いに勝って、敵の軍用品などをぶんどること)した戦利品を軍艦に積み込みて横浜へそして本国へと凱旋していった。その主な物は大砲で、その数は各種資料から百五十門とされる。



 さがし求めていた長州青銅砲が最初に見つかったのはパリのアンヴァリットだった。そこでは多くの大砲と一緒に屋外で展示されていた。そして1門が返還運動で長州に里帰りしてきたのだった。この攘夷戦争で一番多くの大砲を分捕ったのはイギリスだが、2門のみロンドンの大砲博物館の倉庫で粗末に扱われてゴロンと床に転がっていた。その他の大砲は第2次世界大戦のドイツ軍の空爆で多くが失われてしまったらしい。だが青銅砲をきちんと単独の鉄の砲架に乗せて保管していたのはアメリカだった。オランダは銀象嵌された砲口部分のみ国立美術館にあり、海軍資料館にはクルップ製の野砲が戦利品として綺麗に磨かれ展示してあったという。

 調査された各国は皆、兵器や軍事に関する博物館を多く持っているようだ。日本は各地の自衛隊に付属する資料館はあるが全体を纏める国の施設としては近隣諸国に気兼ねして作れないのだろうか。関西エリアには見当たらない。

 攘夷戦争とか下関戦争、馬関戦争など色いろいわれているが、久し振りに長州人が書いた本を読んで本当に面白かった。34年間における長州青銅砲探しを「虚仮の一念」と表現されているが何とも羨ましい思いだ。ボクもそんな「一念」が欲しかったなぁ~。
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by pac3jp | 2007-02-09 09:19 |  

キールに付ける保護亜鉛(ジンク)

 少し前にヤードで作業中の大型アルミヨットの深いキールを見ていてなんか変な金物が付いているなと思っていた。昔、キールにトリムタブをつけていたヨットの話を聞いたことがあるが、それかなとも思うがヒンジに当たる金具が一つでは駄目だしなぁ・・・。普通キールの表面はつるつるに仕上げるものだ。乱流を起す突起物などとんでもない。でもこの元レーサーはボルト穴が開いたプレートが後ろエッジに付いているのだ。(後ろならOK?)
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 作業中の人にお聞きすると「ジンクを付けるところです」とおっしゃる。ヨットのジンクは一般的にはプロペラやシャフトに付けられているのにね。よく見ればその4mもありそうな細くて長いキールの先端に大きくて重そうな鉛のバルブが付いている。そして船体とバルブをつないでいるには特殊鋼のストラットだ。そしてバルブのすぐ上辺りにプレートが付いている。そうか、船体はアルミだがキールは鉄と鉛で出来ている。その電食を防ぐジンクなんだと思いあたった。

 普通、金属製の船体はしっかりと分厚く塗装されている。アルミのボートは停泊中デッキからジンクのワイヤーを何本も海中に垂らしているし、スチールのボートはスターンに特大のジンクをつけて電食の防止を図っている。

 二種類の金属が海水中に浸かると電気が流れ、陰極になる方の金属が電食することはよく知られていて、鉛と鉄の場合は鉄が減ってくる。
 ボク達が乗っているFRP製ヨットの船体は金属ではないので船体の電食は起こらない。でも海中に出ているプロペラ、シャフト、スルハル、ラダー金具など防水できない金属部品を保護亜鉛を付け電食から守ることは必要だ。キールは鋳鉄や鉛で出来ているが、FRPで巻かれ海水から絶縁されていたら電食はおきないだろうが、経時的変化や座礁などで防水層が破壊されたら鉄キールはサビが発生する。多分電食も起こり、ジンクの消耗が増えるのかもしれない。だけどキールが電食で減って無くなってしまう心配は全くない。

 一般的な電食はジンクがなくなるとゆっくりと、しかし、しっかりプロペラやスルハル・バルブを腐食させるが、陸電からの漏電は適切なアースや保護回路がないと「あっと言うまにスルハルは溶けて無くなりフネは沈没だよ」と、この道の先達によ~く聞かされている。どっちにしろ見えない電気はややこしくて難しい。ご用心!ご用心!
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by pac3jp | 2007-02-07 09:37 | ウオッチング