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ハーバーウオッチング

c0041039_1019748.jpg 初夏になった。風は吹いているが、暑くなく寒くもない週末の午後、コクピットが小型ボートのフライブリッジ位高くて見晴らしが良いヨットで、昔からの仲間とビールを飲みながら駄弁っている。その位置はハーバーの西側出入口に近い二番目桟橋の真ん中辺りである。 ハーバーに出入りするヨットやボートもよく見える。勿論、前の水路や隣の桟橋もその高さを生かしてよく見える。

 向い側桟橋の先端バースでは最近新艇を買った新オーナーが慎重過ぎる着岸作業をしている。数バース隣のヨットがサンセットセーリングに出てゆく。「ベテラン連に見送られて出て行くのは緊張するね」と言いながら出て行った。

 次々とフネが帰ってくる。静かに入ってくるヨットもあるが、札付きのレーサータイプのヨットは機走でも速く走りたいのか、狭い水路でも引き波を立てて帰ってくる。少し前まではここにも「うるさ型」がいて怒鳴っていたが、今は誰もが本人の自覚に任せているようだ。

 見晴らしのいい場所で見ていると何でもよく見える。このハーバーがある西宮港付近は午後2時から4時頃まで強い西風が吹くことが多い。皆さんが丁度セーリングが終わりハーバーに帰ってくる時間だ。新米なのか、あるいは自艇に不慣れなのか、その風に煽られて上手く着岸できないヨットがいる。桟橋に当てたり、他艇に吹き寄せられて焦っているのまでよく見える。

 今日一緒にお喋りしている仲間も昔々、このヨットのオーナーからその操船振りを見られて、余程見かねたのか「下手やなぁ、ヨット初めてかぁ」と声を掛けられて以来、今日までお付き合いは続いている。
 世話好きなここのオーナーは、教えて欲しいと頼まれたら断れないお人柄である。門人は引きもきらないが、免許皆伝を宣言しても離れてくれないのは困ると口ではおっしゃてはいるが、大勢で賑やかにやるのが大好きなのかもしれない。 多分好きだ(ボクが断定)

 赤く大きな夕日が西六甲に沈み、夕闇がスカイラインを隠し始めるのを見ながらボトルを傾けた事もあるが、まだ日暮までは時間がある。
 昔仲間でレーシングヨットの世界に行った彼の新艇の噂話が出る・・・「よもやま話」は尽きない。これはヨット乗り達のスピン・ナ・ヤーンだろうね。
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スピン・ナ・ヤーン とは・・・

ヤーンはロープを構成する一番細い撚りひものことで、ヤーンを沢山撚り束ねてストランドになり、3本のストランドを撚り合わせてロープが出来る。帆船時代のロープはみな麻などの天然繊維だった。手入れには随分気を使っていたけれども年月がたつと朽ちて弱くなる。そこで古いロープをほぐして、まだ健全な繊維だけを取り出し、それを指先で撚ってヤーンを作った。それを合わせてストランドにし、さらにそれを撚り合せて雑用のロープにする。軽風のいい日和の暇つぶしの作業で、水夫たちはデッキの日だまりなどにたむろしてこの仕事をする。冗談やら身の上話やら作り話やら、よもやま話がいつまでも続く。作業の性質上、終わるところがない。転じて長々と続く、ホラまじりの無駄話をヤーンと言うようになった。ヤーンを紡ぐのだから、そんな話を続けるのがスピン・ナ・ヤーン。
         
 野本謙作著 スピン・ナ・ヤーン より
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by pac3jp | 2006-05-31 10:30 | ウオッチング  

クルージングの愉しみ方

                       福岡県 能古島
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 ヨットを持ったばかりの頃、家族を乗せて近くの港に入って、持参のお弁当を食べ周辺を散歩してから帰途につく。てな、クルージングが多かったような気がする。

 今でも日曜日のデイクルージングではセーリングする事がメインの楽しみで、港は食事と休憩の場所になっている。 まぁ、デイクルージングは一般的なクルージングとは言えないけど・・・。
 遠出をしないセーリングクルーザーやレースをしないディンギーに乗っていると大体こういう楽しみ方だろうと思う。

 でもクルージングは巡航だ。海を巡り、港を訪れる旅である。そしてその土地の風物に触れ、自分自身の感性とあいまって感動をしたり、また、新しい出会いや発見があったりする。多少の危険もある交通機関で、自炊可能な宿泊設備を持つクルージングヨットの観光旅行。
 だが、観光だけがクルージング本来の目的だろうか。 否、クルージングのタイプは多様で個々のセーラーが自分の思いで自分のクルージングを創っているのだ。ツーリストが作る既製品の旅でないのがvery goodだ。

 ボクの場合、スキッパーとして航海計画を立て、フネを整備し、必要な物資を積み込み、港を出港する。毎日、安全に航海して目的の港に入る。係留場所を確保し、舫いが完了すれば本日のクルージングは殆ど終わってしまう。
 後は、泊地周辺の写真を撮り、航海記録をログに、インターネットにブログをUPすればOKだ。明日のお天気と航海計画の確認をする事も大きな仕事だ。そこでビールを飲み一休みすると観光しようと思わないくらい疲れる時もある。

 しかしクルーの人達はそうではない。初めて入る港で何か面白い観光スポットは無いか、いい温泉はないか、素敵な出会いはないかと朝からガイドブックを見ながら大いに楽しみにしている。航海を楽しむよりも停泊地の旅情を楽しみにしているのだ。
ボクの気分→(超小型の客船の船長になった気分かな)

 一方、クルージングを、山を縦走しているように考えている人もいる。山脈のピークを次々にハントし地図に赤線を引いてゆく。一つの山を深く味わうよりもどんどん歩き、より多くの頂上を極めてゆく事に目的がある。
 海の場合も未知の海峡を通過し、初めての港に入る。新しい海図に航跡が書きこまれてゆく。次の日も同じくような航海をしてゆく。航海そのものが目的になってしまう事もある。四国一周位はは4~5日で回ってしまうだろう。このタイプの究極の姿は堀江さんの無寄港世界一周だろうね。
 
 また、観光とは少し違うが、端やんが歌う旧き良き時代のマドロス演歌の世界に憧れる旅をするセーラーもいる。
港、港に酒と女あり! 今日の港でどんな美人と出合い、共に美味いものが食べられるのか! この期待に胸が大きく膨らみ、ついつい安全な航路を見失ってしまう事もあるのだ。 元気印のシングルハンダー究極のクルージングタイプでもある。
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 初夏、5月。きっと、今日もあちこちの海で、港で、元気なリタイヤ組がシングルであるいはカップルで自分達の創ったヨットの旅を楽しんでいるのだろう。
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by pac3jp | 2006-05-29 11:11 | クルージング  

「合いの子船」

 瀬戸内海は昔から海運が盛んだった。クルージングで各地の島を訪れると当時の海運や造船に関する資料が集められた資料館・博物館が方々にある。広島県倉橋島の長門造船歴史博物館で探していた「合いの子船」の模型を見つけた。

c0041039_9462367.jpg 「合いの子船」の名前を初めて聞いたのは十数年前だった。有名なヨット「春一番」の野本先生から瀬戸内の物流を研究するテーマのアドバイスを頂いた友人のA先生からお聞きした。この船とこの船が活動した時代の物流の研究者は少ないらしいともお聞きした。

ボクも旧知で年配の港湾ジャーナリストに問い合わせしたりしていたがよく判らず、ずっと気にはなっていたが先日偶然にも模型が展示されているのを見て、探していた船のイメージが掴めて嬉しかった。



昭和初期まで活躍した和洋折衷型帆船「合いの子船」

 江戸時代を通じて、日本の内航海運の中心となってきた弁才船(べんざいせん)に代表される和船は、明治維新後の海運近代化によって消滅したと考えられがちだ。ところがこの和船、じつは帆装を西洋式に変えた和洋折衷の「合いの子船」として昭和初期まで活躍し続けていた。
 維新後、明治政府は、和船、すなわち日本型帆船から西洋型帆船への転換による内航海運の近代化政策を推進しようとしたが、北前船主を中心とする日本の内航船主の多くは、これを歓迎しなかった。
 当時、国内での西洋式帆船建造能力は低く、船価は、和船と比べはるかに高かった。さらに当時の和船の性能は、西洋一辺倒の明治政府が考えていたより優れており、あえて西洋型帆船に切り替えるメリットがなかったのである。
 それでも、500石以上の大型船の建造を禁止するなど和船退治に力を入れる政府に対して、内航船主がとった抵抗策が合いの子船だった。
c0041039_9524248.jpg ベースは日本の船大工の技術で建造できる和船様式ながら、西洋式の帆装を積極的に取り入れた合いの子船の性能は、内航船としては、西洋型帆船を凌ぐものさえあった。
 結局、こうした抵抗に政府は匙を投げ、合いの子船は大正時代から昭和初期まで日本の内航海運界で活躍し続けることになる。それは江戸時代以来の和船の伝統を受け継ぐ船大工たちと、政府の圧力に屈せず、あくまで経済合理性を貫いた内航船主たちの知恵と努力の勝利といえるものだった。       
         ( 日本船主協会 海運雑学ゼミナールより)



 上記の文は船主から見た論評であるが、政府は和船建造禁止の規制を200石以上とより厳しくし、安全で強度のある西洋型帆舶に転換に転換させようとしたが、やがて時代は移り、大型の内航船も鉄製の汽船になり、合いの子船は次第に姿を消し、和船構造の船は小型の機帆船や漁船等が造り続けられてきたようだ。

 この話の発端の友人は資料を集め検討・実地調査・検証し、論文に纏めるなんて事が得意な方なので、いずれ自由な時間が出来た暁にはしっかり纏めて、面白いお話と共に我々にレクチャーしてくれる事を楽しみに待っていようと思っている。
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by pac3jp | 2006-05-26 09:59 | 帆船  

日ノ御埼沖プレジャーヨット漂流

 先週末、旧知の「ゆうばれ」オーナーより一文字ヨットクラブ所属のヨット「RYUJINDO」がこのGW中の5月2日に紀伊水道・日ノ御埼沖、35ノットの強風と波浪の中でラダーが脱落し、ラダーポストから著しく浸水。クルーは巡視船に救助されたが、ヨットはその後、沈没してしまった。と聞いた。

 確かに5月2日(水)はピアネットのクルージングで我々は広島湾にいたが北の強風が昼前から翌朝まで吹いていた。島の多い広島湾と紀伊水道では気象条件が大分違うが、海保巡視船が撮影した救助作業中の海面は結構な時化模様である。 
概要と画像は田辺海上保安部のホームページの「事件事故ニュース」記事参照

 同記事によれば、沈没したとのヨットは巡視船みなべが浮上措置を施したうえ田辺漁港まで曳航し、3日 2200、船主手配のタグボートに引継ぎ救助を完了した。とあるのでどうも沈没は免れたようである。

 ラダーが脱落した原因など詳しい事は判らないが、船型からみてクラブレーサー風のヨットなのでラダーの形状はスペードラダーだろう。漂流物がラダーに当たり、ラダーポストごと破損したか、ラダーシャフトを船体から支えている部材か、あるいはシャフトそのものが破断したのかもしれない。

c0041039_9335638.gif 前に読んだ本で世界一周したファースト40の場合はラダーシャフトが2本繋ぎになっていて、接続部品のキーが腐食してラダーが抜け落ちた。とその本には書いてあった。要因は構造上の問題であるが、自分の舵の構造をよく理解しておけば緊急時の対応もし易い。
 
 左の画像はヨットビルダーに提供してもらった我艇のラダー組立図である。もし、自艇のラダー部分の構造を知りたいオーナーさんはいつものメカニックさんに聞くか、或は一度ビルダーに問い合わせしてみたらいかがでしようか。

 ヨットでクルージングに出ると危険が一杯だ。岸近くでは暗岩や干出岩が海底からキールを狙っているし、沖に出れば大波が襲い、狭い海峡では速い潮に押し流され、航路に近づくと本船に邪魔者にされる。

 だが、入港時や岬の瀬が伸びていそうな場所は海図や電子チャートで確認し、慎重に操船すれば安心だ。強風や波浪の注意報が出れば出航を見合わせる。狭水道は無理やり通過せず、時間を合わせて穏かな時間に通れば良い。トラブルを起しても後から考えれば、なんであんな行動をしたのかと思うもんである。そうせざるを得ない場面ではない事が圧倒的に多かったはずだ。

 海上保安庁のWeb「安全な航海のために」のダウンロードページの中に「マリン セーフティ ハンドブック」と題されたPDFファイルがある。その中にプレジャーボートやヨットの点検マニュアルが掲載されている。出航前、航行中、帰港後にそのチェックリストを全てチェックすると海難は確かに減少するだろう。

 まぁ、そこまできっちり出来る人は多分、不可抗力なんて事はあるが、海難なんかには無縁なヨット乗り達だろうね。
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by pac3jp | 2006-05-24 09:47 | ウオッチング  

古い碇

 ヨットのクルージングでは島や海辺の村や町を訪れる事も多い。ボクがフネで遊んでいることもあるが、船とか航海に関する記録や記念物には興味がある。古い時代の船は木材で出来ていたので遺物としても余り残っていないが、金属あるいは石で出来たものは残っている。 船具で鉄とか石で出来ているといえば碇だ。

c0041039_8501241.jpg 左の画像は昨年壱岐・芦辺港に停泊した時、付近の岬の公園で見た碇石だ。傍に鎌倉時代の「弘安の役古戦場」の石碑が建っていた。元寇の軍船に積まれていた碇が近年、付近の海中から引き上げられて展示されているのだろう。これをどうして使うのだろうと見ていると、真ん中に固定用の鎖が付いているので真ん中から綱で縛って使うのかなとも思ったが、すっぽ抜けそうなので、そうでなく何か別の方法が有るのだろうと思っていた事である。

c0041039_8503423.jpg 右の画像は実物大の遣唐使船のレプリカが展示してある傍らに置いてあった古い碇のレプリカである。鍬形になるよう木の太枝を組み合わせ碇石がはめ込まれてちゃんと現在の錨にも通じるデザインになっている。遣唐使船は奈良時代~平安時代に中国のジャンク型の船を倣って造られたので多分、碇も大陸で使われていたもと同じだろう。壱岐の碇石もきっとこのように木材と組み合わせて使われていたのだろう。棒のような形状に納得がゆく。


c0041039_852156.jpg 左の画像は瀬戸内海の与島で見つけた古い四爪錨だ。ここは備讃瀬戸の難所だ。破船の錨かも知れない。庭先にオブジェ風に置いてあるが、海中に長く沈んでいたのだろう、まだ貝殻が付いている。石の碇は古代から中世まで長く使われてきたが、やがて室町時代に入り勘合貿易船などで鉄の錨が使われ始め、17世紀、江戸時代に入ると多量の鉄が必要な鉄の錨も普及してきた。江戸中期の北前船には大小8丁の四爪錨を積んでいて、大は百貫目(375kg)もあったそうだ。そんな錨を載せた北前船の船絵馬が残っている。

 だが、江戸時代に沿岸で漁をしていた小型漁船は二ツ爪の唐人錨を積んでいたのだろうか、あるいは昔ながらの石の碇を使っていたのだろうか。歴史の中には出てこない。

 ボクが子供の頃、台風で流れてきた杉の丸太でイカダを作り遊んでいたときの碇は、浜で拾った大き目の石と藁縄だった。全く縄文時代のアンカリングだったね。

参考資料:いかりのお話
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by pac3jp | 2006-05-22 09:01 | アンカー  

アメリカ大陸を爆撃した潜水艦


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 呉市の大和ミュージアムでは旧海軍呉工廠で造られた艦船をパネルやモデルで展示している。メインは勿論、戦艦大和だが見学していると伊401号潜水艦のモデルがあった。前方デッキのカタパルトに攻撃機が2機搭載さている。これらの攻撃機でアメリカ本土に爆撃を加えようとする計画で製造された巨大な潜水空母で基準排水量3,530トン、全長122mで航続距離が14ノットで42,000浬。攻撃機「晴嵐」3機を搭載している。
 だがこの潜水艦は戦争末期の昭和20年に2隻が就役したが結局、戦局を変えるような戦力にはならなかった。

 この巨大な潜水艦を計画するきっかけになった戦勲をあげた潜水艦があった。伊25号がアメリカ本土の沿岸砲台を砲撃し、搭載されている水上偵察機がアメリカ・オレゴン州の森林を2回に渡り焼夷弾攻撃をしたのだった。
(伊号第25潜水艦乙型 全長108.7m 基準排水量2108トン 16kn-14,000浬 乗員94名)

 アメリカ本土を直接攻撃する為に風船爆弾を作って、というのは聞いたことはあるが、潜水艦とはいえ軍艦の艦載機で実際に爆撃したとは痛快だ。結果、双方に怪我人もなく火災も大したことなく、アメリカ人がビックリしただけだったが当時の日本人は大喜びしたのだろう。
詳しくは参考ホームページ「アメリカ大陸爆撃物語」をご覧ください。

 大西洋でドイツ海軍は小型のU-ボートを群狼のように使い、英米間の通商破壊に戦果を上げたが、日本海軍の潜水艦は大型で偵察機を搭載したものも多く、運用も艦隊付属で運用されたので輝かしい戦果は少なかったようだ。敗戦直前の大型潜水艦は回天等の特攻潜水艇の母艦として使われていた。

 余談だが、昔、仕事でお付き合いのあった人から「俺は陸軍の潜水艦乗りだった」と話を聞いたことがある。当時は信じられなかったが、南方の諸島で戦っている陸軍将兵に食料や武器の輸送が必要な為、魚雷などの大物兵装のない300トン弱の「ゆ1型輸送潜水艦」を陸軍が運用していたと記録にあった。
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by pac3jp | 2006-05-19 08:34 | 徒然に  

航泊禁止区域

c0041039_8254111.jpg 六甲アイランド南、神戸港第7防波堤南側と阪神広域処分場埋立地(フェニックス)に囲まれた海域は以前は警戒船がいて通過できなかったが、今は工事中の黄色ブイが入っていて航泊禁止区域は設定されているようだが、見渡したところ工事もしていないし警戒船もいないので時々ヨットやボートが航行しているのを見かける。

 ご近所のオーナーさん達に聞いてみると、どうもそこが「進入禁止」だとは思ってないようで、最近ここを航行した人も数人いた。

 だが、お役所から通知は来ていた。それはヨットハーバーフロントの掲示板に「このエリアの進入禁止のお知らせ」として貼ってあった。赤で囲った部分水深が充分ないから航泊禁止と表示してある。(神戸市はここにも埋立地を造るらしい・・・)

c0041039_8271069.gif GWの終わりにここを西側から東に通過しようとしたヨットが巡視艇に臨検されたそうだ。同乗していたクルーに聞くと巡視艇は埋立地の東側に隠れていて、ヨットが航泊禁止区域の真ん中辺りに来た時姿を現し、停船を命じ、ヨットに係官が乗り込んできて、書類の提示を求め、証拠の写真を撮ったそうです。
 週明けには保安庁に出頭するようにとの命令があったそうだ。このエリアは神戸港域なので神戸港にある神戸海上保安部に呼ばれるらしい。 調書をとられ法律上の手続きがあり、裁決となるのかどうかは分からないが面倒な事には違いない。

 道路交通の場面では「進入禁止違反」でその場で切符を切られたら後、罰金を払えば済むが、海の場合は件数が少ないので昔ながらの法律手続きで進められるので時間がかかる。そういえば昔は駐禁の罰金を払うのにも裁判所で略式判決を貰ってから支払っていたのだ。裁判所は大勢でごった返していたのを思い出す。

 西宮や大阪湾の湾奥にヨットを置くヨット乗りが明石海峡に出るため西へ航路を取るとき、昔は西宮一文字を出ると真直ぐ垂水付近を目指せたもんだ。だが、ポートアイランドが沖にせり出し、西宮一文字の入り口にフェニックスの埋め立てが出来、今は神戸空港の沖まで回り道をしなければならない。鈍足のヨットはつらい。
 また、帰港時はマストが低いヨットは神戸港西航路から入って波のない港内も通行できるが、我艇はそれも出来ない。長が~い防波堤からの三角波と入港する大型コンテナ船に追いかけられながら大回りのコースで母港に帰っている。

 多少は近回りもしたい気もするが、順法精神にのっとり安全で確実な航路を取るのが一番だね。
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by pac3jp | 2006-05-17 08:31 | ウオッチング  

コックピットテーブル

 ヨットのカタログを見ているとコクピットに豪華なお料理が盛り付けられた立派なつくりのコックピットテーブルが写っていたりするが、「普通のヨット」ではこれは良いな、と思うテーブルが付いているヨットは少ない。

c0041039_1301665.jpg 先日、久しぶりにお会いした先輩ヨットマンのフネで気になるテーブル兼スツールを見つけた。
 ヨットにお邪魔すると「さぁ 一杯飲んでいけ」とキャビンから引っ張り出してこられたのは塗装されたスツール風の低目の台だった。
 それはテーブルと言うのだろうか、天板を取ると1升ビンが6本入るお酒屋さんの店先でよく見かけるプラスチックの通函である。中には焼酎と日本酒の飲みさしの1升ビンとウイスキーやラムのビンが無造作に突っ込んであった。

 「どれ のむか?」と聞かれ、7割方残っている黒糖焼酎を頂く。

 天板を載せたらコクピットシートと同じ高さのテーブルになった。 すかさずグラスとおつまみのお皿が奥から出てきてそのテーブルに載った。小人数のパーティには丁度のサイズだ。テーブルは酒ビンの重さで安定しているので躓いた位では倒れない。移動も簡単。航海中も縦長なので収納しやすい。それに製作材料費は安いし、作るのも簡単そうだ。

 誰が作ったのですかとお聞きすると「わしが作った」とおっしゃる。かの先生は工業デザイナーで大学で長らく教鞭を執っておられた方だ。椅子のデザイン一つでヨットを買ったとの伝説?もお持ちである。

 夜も更け、黒糖焼酎も残り少なくなってきた。小ぶりなコクピットテーブルを見ていると、なんか素晴らしいものに見えてきた。
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by pac3jp | 2006-05-15 13:06 | ヨットの艤装と艤装品  

始業点検


c0041039_1045298.jpg 大抵のクルージングヨットには海上でも信頼性が高いと評価されているディーゼルエンジンを搭載している。また、瀬戸内のように風が弱く、潮は速く、本船が頻繁に航行する海域をクルージングしていると、ヨットに搭載された信頼性の高いエンジンが特に頼りになる。
 その信頼性を保証するのが定期的な整備と毎日の点検作業であるとボクは信じている。

 出航前にボクは必ず簡単な始業点検をすることにしている。所要時間は5分ぐらいだ。

1.エンジンオイルの量と色
2.清水冷却水の量
3.オルタネーターのベルトの張りと傷
4.プロペラシャフトの漏水の量
5.エンジンの外観、エンジン下部床の汚れ
6.エンジン始動後の海水冷却水の量と排気の色

 車のマニュアルにも始業点検はするように指示されているが、ボンネットを開けるのは数ヶ月に1回くらいだ。だが、路上で車に故障が起こってもそのリスクは小さい。サービスシステムも完備している。電話1本でJAFが駆けつけてくれる。

 海上ではそうは行かないよ。BANもあるが全ての海域に出動してくれるわけではない。自分でリカバリー出来なければ最悪の場合、「118」に電話し、海上保安庁にお世話にならなくてはならない。不可抗力の場合は仕方がないが、整備不良が原因で救助されたときは後でややこしい事になりかねない。

 最近仲間のヨットと8日間のクルージングに出たが、出航前にエンジンの始業点検をしているヨットは少ないようだ。・・・整備は完璧かもしれないけど。
 確かにエンジンなどの機械装置は始業点検をしたくらいで全ての故障を予防できる訳ではないが、見慣れたエンジンが何時もと違うな、と感じる故障の前兆が判るときもある。

 点検・整備などのメンテナンス作業を保険代に例える人もいる。放っていたらその内に大きな代償を支払わなければならない所は全くその通りだね。
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by pac3jp | 2006-05-12 10:57 | シーマンシップ  

潮汐表を使う


c0041039_132326.jpg 西日本のクルージングヨットでは瀬戸内海・九州・南西諸島沿岸潮汐表を使う人が多いだろう。小型でコンパクトサイズなのでボクも毎年購入し愛用している。

 瀬戸内海のクルージングでは大潮周りでは特に潮汐の差が大きい。潮汐表に載っていない漁港等で係留するとき、基準港から簡単な計算で潮汐を求めることになる。

2006.4.29 月齢1.3日大潮 小豆島土庄東港隣の浅い漁港で午後4時に入港した時の潮汐の計算をしてみた。

基準港は宇野港。4/29 高潮 11:14 206cm
        4/29 低潮 17:49 7cm
        4/30 高潮 00:41 245cm

改正数値は備讃瀬戸地蔵埼と同じとした。
          潮時差 -0:15
          潮高比 0.70

今日の王子漁港の潮高は上記の改正数から
     高潮は10:59 潮高は144cm
     低潮は17:34 潮高は 5cm 従って満潮から139cm引く事になる。

そこで16:00における潮高を計算してみる。潮汐表(P214)の任意時の潮高を求める表から計算する。
表の下部に詳しい例題があり、判りやすい。

表と計算から16:00の潮高は23cmとなる。測深計の値からまだ干潮まで18cmは下がることになる

低潮時の時間と現在時の測深計の数値とヨットの喫水を確認してキールが着底するならば深いところに移動が必要だ。
また高潮時にヨットを着けた岸壁が冠水してフェンダーが効かなくなる場所もあるので要注意だ。

計算がめんどくさい人は水路協会から電子潮見表のCD-R版も発売されているが、全国7ヶ所に分割されていて各々5,250円もする。
だが、このソフトを買うお金が有って、ヨット内でパソコンが使えてたら全国807港の潮汐データが表示できるよ。
ちなみに画像の沿岸潮汐表のエリアをカバーするには3本のソフトが必要です。
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by pac3jp | 2006-05-10 13:32 | シーマンシップ