2014年 04月 29日 ( 1 )

 

日本陸軍が運用した強襲揚陸艦の先駆け「あきつ丸」

先日、神戸・元町の海岸通りに全日海が運営する「戦没した船と海員の資料館」の見学に行った。

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日本は昭和16年12月8日から米・英・蘭・中など連合国を相手に太平洋戦争を始め、敗戦までの3年9か月に及ぶ長期間、日本近海を始め太平洋や遠くインド洋でも戦いました。陸海軍艦船は勿論ですが、民間の商船も多数徴傭され戦争遂行のために働き、多くの船舶が潜水艦や航空機の攻撃で失われてしまいました。その数、凡そ2800隻、乗員は60,608人が命を失いました。そして、資料館はこれら船舶の在りし日の写真が年度別に分類され展示されている。

パネルには一般の汽船が殆どだが中にはアメリカ海軍の軍艦が獲物にするには小さすぎるだろうと思われる遠洋漁船の写真も入っている。

展示物は写真パネルばかりでなくモデルシップもある。ケースの中に空母らしきモデルがある。

以前の記事「旧陸軍が運航する船艇」にも書いたが陸軍が上陸作戦専用に1934年(昭和3年)建造した「神州丸」の発展型で飛行甲板を持つ揚陸艦「あきつ丸」だ。戦没した商船だけが展示されているので何故と思ったが、解説文に日本海運所属 陸軍特殊貨物船とある。
(陸軍は戦時の際に徴用することを前提として海運会社に補助金を出し、上陸舟艇母船を民間籍の商船として建造させている)

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【仕  様】

総トン  :9,433t
全 長  :152m
水線長  :143.8m
全 幅  :19.5m
吃 水  :7.86m
飛行甲板:全長123m
全 幅 :22.5m
機 関  :重油専焼水管缶4基+ギヤード・タービン2基2軸
最大出力:13,000hp
最大速力:21.0kt
乗 員  :
兵 装  :八八式 7.5cm単装高射砲2基(1943年:4基)・三八式 7.5cm野砲10基
      九八式 20mm 単装高射機関砲8基・九六式 25mm単装高射機関砲2基
搭載機  :九七式戦闘機13機・三式指揮連絡機8機・ (輸送任務時には一式戦闘機「隼」等20~30機弱を搭載可能)上陸用舟艇:大発動艇27隻


旧陸軍が上陸作戦用の大型の揚陸艦を開発・保有しようとした背景には、当時の海軍には戦艦・巡洋艦・空母など前方装備の拡充に総力を注ぎ、輸送や船団護衛・上陸支援など地味な艦種の開発をしなかったので必然的に陸軍が受け持つことになったという。
あきつ丸の運用分担は本船の操船は民間の船員が担当し、兵器となる大発動艇や対空火砲は陸軍船舶兵が受け持ち、搭載航空機は陸軍飛行隊が運用したのだろう。

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艤装形態が平時・戦時舟艇満載・飛行甲板装備状態と変更できるようになっていたが、竣工は1942年(昭和17)の戦時中なので飛行甲板が設置されていた。

太平洋戦争開戦直後に竣工した「あきつ丸」は早々に蘭印作戦の第16軍ジャワ島上陸戦にて、第2師団のメラク海岸揚陸の任に当たりこれを成功させた。以降「あきつ丸」は南方各地への輸送任務に就いたが、太平洋戦争後期には陸軍版護衛空母の候補となり、1944年(昭和19)飛行甲板の拡幅・甲板後部デリックの撤去・独自開発の着艦制動装置設置等の改装が行われている。

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あきつ丸の飛行甲板に駐機する三式指揮連絡機2機(画像は上下ともウイッキペディアより)

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三式指揮連絡機(対潜爆雷2個、着艦フック装備)は対潜哨戒能力や離陸距離 49~68m、着陸距離 45~61m(向かい風4m) など123mの飛行甲板でも短距離離着陸性能が良好で低速巡航が可能(Max280㏋で最高速力178km!)なので「あきつ丸」の対潜哨戒用の艦載機に選ばれた。

足が遅いので操縦者はグライダー操縦経験のある特別操縦見習士官第1期出身者にて構成される独立飛行第1中隊が編成され、日本近海で対潜哨戒任務に就くことになった。

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輸送船団の中で航行中の「あきつ丸」の雄姿だが ↑ まだ船尾のマストとデリックがあるので改装前の姿だ。
護衛空母に改装された頃の「あきつ丸」の航空写真 ↓ 

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【あきつ丸の最後】

1944年(昭和19)11月14日0600
ヒ81船団(僚船9隻、護衛7隻)として部隊要員約2500名を乗せ、伊万里湾発マニラに向け東シナ海を航行中、15日1150頃、N33度05分、E128度38分(五島列島福江・長崎鼻北40㎞付近)において米潜水艦SS-393 QUEENFISHから発射された魚雷を左舷船尾に受け、搭載していた弾薬、爆雷が誘爆し船尾が沈下、その後火災が発生し3分後に横転裏返しとなり沈没した。沈没により部隊要員2093名、船砲隊140名、船員67名が戦死。
部隊要員の中には教育総監関係学校卒業者227名が含まれる。 ↓ 図の赤丸は沈没場所

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米潜水艦SS-393 QUEENFISH ↑

この潜水艦は「あきつ丸」を撃沈した4か月半後の1945年4月1日に、米国も航海の安全を保証し安導券を付与した赤十字の救恤(きゅうじゅつ)運搬船阿波丸を魚雷攻撃し、2000人を越す犠牲者を出した「阿波丸撃沈事件」を起こす。
艦長は「不注意」だったと認めて戦後米国から補償がなされた。


※救恤とは:困っている人を救いめぐむことです。そして、救恤船は敵国から依頼を受け捕虜へ慰問品を届ける船を指します。船体の表示標識は緑地に白十字です。


下記は戦争が終わった時政府が発表した船舶被害の総数です。

官・民一般汽船  3,575隻
機 帆 船     2,070隻
漁    船     1,595隻
合    計     7,240隻


参考web:1.あきつ丸 ウイッキペディア

     :2.戦没した船と海員の資料館


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by pac3jp | 2014-04-29 17:07 | 歴史・民俗