2014年 02月 03日 ( 1 )

 

姫路のお殿様の豪華ヨット?(1)

 神戸市中央区の相楽園で江戸時代に姫路藩主が河川での遊覧に使った川御座船の屋形部分を陸上で保存していて通常は紫外線劣化を防ぐ日よけを付けているが春と秋の年に二回だけ外観のみの一般公開している。

 世界遺産の姫路城を築城したのは播磨国五十二万石を領した池田輝政だが、新築の巨大な城郭は完成したがしばらくして鳥取に転封を命じられ、二代目姫路城主は本多忠正で領国は姫路十五万石のみと大幅に領地は減っているが大きなお城の主になった。しかし、十五万石で五十万石のお城を維持するには難しいのか?その後も目まぐるしく城主は変わり、奥平松平家、越前松平家、榊原家、再度越前松平家、再度本多家(天和2年~宝永元年 1682年~1704年)となり、錺金具の家紋などからこの元禄年間に姫路藩の川御座船が建造されたと推測される。

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日本庭園にある池の西側に左舷側を見せた船屋形が華麗な姿を見せている。

構造・形式
木造1重2階、切妻造段違、桧皮葺  桁行五間、梁問一間
1階:21.87㎡  2階:21.87㎡
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右舷側を後方からみると生垣より下の部分が陸上に上がった時にかさ上げされた部分。

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艫側から二階を望む。開いた舞良戸(まらいと)の横桟の間には金箔が押してある。天井まで木肌の見える春慶塗りと重厚な黒漆が塗り分けられて、長押や垂木の先端には金箔を押した錺金具が打たれている。正面上には本多氏の後に入った榊原家の金箔の家紋があるが裏面には本多家の紋が残っているという。

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船屋形は船に載っているものなので展示資料に船体の側面図があった。大きさは木割書「川御座船仕法書」によって寸法を当てはめてみると梁間内法は8尺なので肩幅16尺となり全長は約90尺(27m)と言うことになる。当時の川御座船は幕府所有の朝鮮通信使など国賓接待用の紀伊国丸が全長98尺(29.7m)肩幅20尺が最大なのでそれらにつぐ大きな船だったという。

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琉球使節を載せて淀川を遡上する川御座船船団、前方が宇和島藩、後が長州藩の川御座船。

このように姫路藩の川御座船も大坂を拠点に運用されいたのだろうか。船が建造されたとされる元禄年間から幕末までに朝鮮通信使は5回来ているし、琉球使節は13回も使節を江戸に送っている。その間お接待する藩はその都度指名されて務めるのでしょうが、きっとこの船も何回かは使節のお供などを乗せて淀川を上下したのかもしれない。

参考資料1:図説 和船史話  石井謙治著
      2:和船Ⅱ        石井謙治著
      3:詳説 日本史図録 山川出版社
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by pac3jp | 2014-02-03 15:37 | 歴史・民俗