2011年 08月 22日 ( 1 )

 

兵庫県加西市の鶉野(うずらの)飛行場跡を訪ねる

 兵庫県の東播磨地域に旧日本軍の飛行場があったことは前から知っていたが正確な場所となるとちょっと自信がなかったが・・・。
 毎年8月の終戦記念日が近づくと新聞は大東亜戦争時代の話題が掲載される。今年は旧姫路海軍航空隊基地があった加西市の鶉野飛行場跡の防空壕など戦争遺跡が見学可能になったと報道された。
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 初めてこの鶉野飛行場跡地にやって来て驚いた。66年前の姫路海軍航空隊基地の建物跡は当然全くないが、当初からある60m×1200mの滑走路はちゃんと残っていた。北東端のほうで道路が横切り1200mの全長は使えないが、今でも軽飛行機位の離着陸は充分出来そうだ。
 その古びたアスファルトの滑走路を地元の車がのんびりと走っているし、おっちゃんが自転車で横切っているが、今でもれっきとした陸上自衛隊の演習場だと表示されている。残りの用地は神戸大学農学部の農場と一般の農家に分譲され周辺は立派な農地になっている。(滑走路の画像はガイドブックより)

 ここには戦前、西宮・鳴尾浜で水上機や飛行艇を生産していた川西航空機が戦争末期に局地戦闘機「紫電」と「紫電改」の大増産で甲南製作所、宝塚製作所そして姫路と工場を次々と開設していた。
 姫路製作所は1942年(S.17)に姫路・京口に開設された。完成した機体を分解して遠くまで馬車や牛車などで飛行場まで運ばなくてはならないので1943年(S.18)、姫路海軍航空隊基地が開設された鶉野飛行場隣地に鶉野組立て工場を開設した。そして、終戦までの3年で「紫電」466機、「紫電改」44機が製造された。

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 「紫電」は水上戦闘機「強風」のフロートを取り外してエンジンを中島の軽量・強力な「誉」に換え陸上戦闘機に改造されたが翼は水上機の中翼のまま。一方「紫電改」は低翼になり機首や胴体断面の形状が変わり胴体が40cm延長された。故障が多かった長い脚柱も短くなり「紫電」の課題は一挙に解決した。

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 飛行場の各種施設のうち堅固な構造物だった防空壕や機銃座が数多く残っている。そのうち見学できるのは民家の敷地内にある半地下構造の防空壕で空襲時には地下指揮所に使われていたという施設だが、長い間水没していたのを地域の皆さんの協力で排水・整備し、戦争遺跡として公開されている。

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 入り口の看板には「姫路航空隊 飛行科 地下指揮所・需品庫」と書かれている。もう一方の出入り口は竹材で加工された戸があり和風庭園の一部になっている(右画像)。

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 防空壕は分厚いコンクリート造りで2部屋あり東部屋は3.7m×4.7m、西部屋は3.7m×3.1mで天井はドーム状で高さは約3m、地上からの通路は10mで爆風を防ぐため曲がり角が3箇所ある。

 壕内には当時の飛行機の写真や飛行場の史料と、学徒出陣が始まりここで編成された神風特別攻撃隊「白鷺隊」の史料などが展示されている。出身を見ていると、早稲田、明治、東京音楽学校など遠くで学んでいた学生たちがここから訓練用の九七式艦攻で南の海へ出撃していったことがわかる。

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【参考資料】:加西・鶉野飛行場跡 加西市教育委員会 (ガイドブック)
【参考Web】:ガイドブック Web版 
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by pac3jp | 2011-08-22 06:24 | 歴史・民俗