洲本港 宴会クルージング

 淡路島の海の玄関、洲本観光港も関空と結ぶ高速船が昨年3月で廃止になり港内はガランとしていた。ターミナルビルはボートレースの舟券売り場に改装され、皮肉にも島内の競艇ファンが集まり賑やかになってきた。当然ビル内では競艇ファン向けに喫茶店や食堂も営業している。
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 ボク達の仲間で宴会クルージングの話しがでたとき、大阪湾で十数隻のヨットが停泊できて宴会場が近くにあるところといったら使われなくなった高速船用の浮桟橋がある洲本港とあと1~2ヶ所くらいしか思いつかない。
 この桟橋は兵庫県洲本土木事務所が管理しているで申し込めば誰でも停泊できるはずである。今回の幹事さんが役所に桟橋の使用許可を申請したが、先方に個人のプレジャーボート向けに決まったフォームがなく本船の船舶代理店がする手続きに準じて書類を作らされたとぼやいていた。まぁ、いずれ簡単な手続きで泊れるようになるだろう。

 この浮桟橋は沖から見て右側は水産庁の取締り船用に貸してあるそうで、ボク等は左側に係留した。遅れてやってきた他の数杯のヨットは何も知らずに右側につけていたが夕方、水産庁の船が帰ってきて、さぁどうするかと見ていたら浮桟橋は諦めて岸壁に係留していた1隻のヨットを蹴散らしてそこに停泊した。

c0041039_933969.jpg 宴会場は港から近い旅館「なべ藤」。おすすめ日帰りプラン(露天風呂と宴会料理で6千円、お酒は別途)の大宴会?をする。

 宿のロビーにはご先祖が苗字帯刀を許された書き付けや、遊女屋が盛業だった頃の写真、新渡戸稲造など有名人の色紙などが展示してあり歴史ある旅館を感じさせる。

 この旅館は天保元年(1830年)創業、淡路島最古の老舗旅館で昔から多彩な人びとが訪れており、大正から昭和にかけて文豪・谷崎潤一郎が定宿にしていた。小説「蓼喰う虫」は昭和3年~4年にかけて大阪毎日新聞に83回にわたり連載された新聞小説で客室から眺めた景色や汽船の音について描かれている。そして谷崎潤一郎ゆかりの宿として知られている。

 ボクも谷崎潤一郎の小説をいくらか読んだ記憶はあるが殆ど覚えてないし、映画化された「痴人の愛」などは成人向けの映画だったように思うので純真な少年だったボクは見ていない。

 谷崎は文豪としてよく知られた作家で阪神間に長く住み多くの作品を書いたので関西生まれの作家だと思っている人もいるが、東大中退で30歳まで東京の下町に住んだチャキチャキの江戸っ子だった。37歳の時関東大震災で被災し京都へ、そして神戸・本山、岡本、魚崎、住吉と関西で13回も移り住んだ。昭和19年、谷崎潤一郎59歳、空襲が阪神間に及ぶにつれ岡山県に疎開する。やがて終戦とともに京都へ、そして熱海から湯河原へと転居する。
結局、阪神間で働き盛りの30年を過ごしたことになる。

 「蓼喰う虫」は神戸・岡本に住んでいた42歳の作品で千代夫人との離婚を考えていた時期だったという。そんな谷崎潤一郎が文章を推敲していたであろう「なべ藤」二階から、ボクは、震災後に内港を埋め立て綺麗に区画された広い道路とポピーが咲く花壇を眺めながら、たかが宴会クルージングでも昔のように船溜りのざわめきとエンジンの響や汽笛が聞こえてくればもっと旅情をかんじるのになぁ~と思ったことであった。

参考Web:名作の舞台「蓼喰う虫」谷崎潤一郎
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by pac3jp | 2008-04-16 09:20 | クルージング  

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