レーザー乗りだった頃

c0041039_823255.jpg 久し振りにハーバー出口の沖でレーザークラスのスタートシーンに出合った。風向はSW、8~9ktの絶好の風、40隻位の割合まとまった数のレーザーがいまやスタートという時間だ。フォーンが鳴り、一斉にスタートしたが、直ぐに第一代表旗が上がりゼネリコになってしまった。

 この位の風だったら「俺でも・・・」と思って見ていた。近くにいた甲南大のサポートボートに「何のレース?」聞くと「ジアイカップです!」との返事だ。ジアイさんは今でもお元気でご活躍なんだと思うと少し興味が出てきて、最初のクラスがスタートしてから上マークへ回りレースを見学させてもらった。

c0041039_8234763.jpg レースは予選の成績でクラス分けされているようで、最初のクラスは皆さん上マークも難なく回っていたが、次のクラスはマークで衝突したり、マークタッチをしたり、沈しそうになったり大分苦労しているフネがいた。見ていると面白いが、大昔のわが身を見るようだった。
 多分、今、ボクがレーザーでレースに出てたら3レース目の上マークなどはもう疲労困憊で死にそうになっていることだろう。

 レーザーを始めたのはそれまでに乗っていた2マンディンギーからシングルハンドのレーザーでレースをしようと思ったからだ。1977年10月に、もうお亡くなりになった山村彰さんからNEWレーザーを受け取り西宮フリートで活動を始めた。
 当時のフリートキャプテンはクオータートンワールドで乗艇が沈没してしまったことで有名な森さんだった。当時のレース仲間は今でも新西宮ヨットハーバーでレース活動しているUMADORIさん、BW派に転向したブルームスティックさんらがいらした。その他、東京オリンピックのヨット競技に出たなどという往年のレーサーもレーザーのパーティでお会いしたね。

c0041039_824496.jpg 左の画像は1978年8月の浜名湖での第5回Laser全日本大会のビーチでのワンショットだが左端はボク、右端はジアイさん、真ん中の少年はニッチャレから今やアメリカズカップを戦うルナロッサに乗っていたプロセーラーの少年の頃の姿だ。この頃はオリンピックに出るのが夢だと話していたが・・・。さて、誰でしょう??

 1980年レーザー明石フリートを仲間と立ち上げ、活動を明石松江ビーチに移した。その当時の仲間も5丁目桟橋でレースをしているMOANAさんがいる。そして1984年からハイクアウトの必要がないキールの付いたセーリングクルーザーにかわり、大阪湾でクラブレースやクルージングをやりはじめ、現在はレースシーンからは全く離れて重い純クルージングボートでアチコチの港を訪ねる旅を楽しんでいる。

 レーザーのレースを見て昔話を始めるのはもう年寄りの証拠だが、本棚の奥から取り出した古いLOGを読み返すとホント懐かしい名前がある。あちこちに遠征しては多くの皆さんにお世話になってきた。
 その後、どうしていらっしゃるのかなと思い現役のレーザー乗りに聞くと「レーザークラスも高齢化が著しいですよ!」とか、今度、かって遊んだビーチを覗いてみよう。知った顔振れは元気でやっているかな?
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by pac3jp | 2007-08-03 08:31 | ウオッチング  

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