旧和田岬灯台

c0041039_14134189.jpg その赤い灯台はボクが毎週ハーバーに通う道路からチラッとその姿が見える。須磨の沖を通っても須磨海浜公園の端っこの赤い灯台は確認できる。その場所にあるのはずっと昔から知っていたが、お天気のいい週末に丁度時間が出来たので寄ってみた。

 明治に造られた石造りの立派で有名な現役灯台とは違い、簡素な鉄製灯台だけど、122年も昔に建造され長く働いてきた歴史を持っているが、そう古い物とは思わせないし、今は松の緑と赤い塗装がいいコンラストで公園の中に収まっている。


傍にある解説板によると以下の説明がある

1867年(慶応3年)4月幕府は英国との間で結んだ大坂条約の中で5基の洋式灯台の建設を約束した。和田岬灯台はこの中の一つで兵庫の開港を前に設置されたものである。
初代の灯台は1871年(明治4年)に完成し、1872年(明治5年)10月1日に初点灯された。このときの建物は八角型の木製灯台で、後に1884年(明治17年)二代目となる鉄製灯台に改築され、1963年(昭和38年)に廃灯になるまで神戸初の水族館「和楽園」や和田岬砲台などのあった和田岬に設置されていた。

現在残る鉄製の灯台は「日本の灯台の父」と称されるイギリス人リチャード・ヘンリー・ブラントンによって設計されたもので、高さが15.76メートルの三階建て、初代とは異なって六角形の形をしている。またこの2代目灯台は現存する日本最古の鉄製灯台で歴史的文化財的価値が高く、1998年(平成10年)には国の登録有形文化財に登録された。昭和39年(1964年)に和田岬から須磨海浜公園に移設保存されている。

c0041039_14143066.jpg 同じ解説板に明治20年に撮影された灯台とその付近の海の写真があった。和田岬は兵庫港(現在の神戸港)の入り口にあるので船舶の通行は多いがこの写真を見ると全て帆船である。岬のすぐ前に2隻のスクーナーが帆走している。目をこらして見ると東方に千石船らしい帆影もみえる。

時代背景は
 明治17年神戸小野浜造船所で鉄船朝日丸(504総トン)を建造、
     竣功後大阪商船会社の有に帰し、鉄船巨船として名声あがる。
 明治18年に来る明治20年より500石以上の日本型船の製造を禁止。
 明治20年三菱会社は借用中の長崎造船所を買受け、私設造船所となる。
 明治20年川崎正蔵は借用中の兵庫造船所を買受け、川崎造船所と改称。

 造船業も官業から私企業に移り変わり、船は木から鉄へそして鋼船へと発展してゆく。外航船は外国の汽船が運航し、内航船はまだ日本型船が数多く運航していた。でも、写真でも分るが帆装は扱いやすいガフリグのスクーナーになっている。より小型の漁船は皆、簡素な帆と櫓で魚を追っていたのだろう。

 この灯台の左手に勝海舟が設計したという言われている和田岬砲台
がある。現在もその場所にあるが三菱神戸の工場の中なので見学の手続きは少し面倒である。同じものは西宮の香枦園浜にもある。

 時代は移り、沖を見ても当然ながら帆影は全く見えなくなった。この赤い灯台が建っていた場所から東を見れば神戸空港からジェット機が轟音を上げ離陸している。左手は三菱神戸造船所だ。8万トンクラスのコンテナ船が建造中である。でも、休日になれば沖に小さな白い三角帆がアチコチ気ままに帆走っているのがみえる・・・。
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by pac3jp | 2006-12-04 14:24 | 歴史・民俗  

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