音の感受性

 ボク以外の我が家族は音楽を楽しむ以上に、むしろ“浸っている”生活をしている。クルージングにも付き合ってくれるパートナーは筝曲の演奏家である。プロではないが毎日かなりの時間稽古をする。息子はプロのミュージシャンで、娘も彼女の弟子であるが勤めを持っているが、演奏会に合わせてそこそこの稽古はしているようだ。こんな環境でボクも「門前の小僧」で多少は身に付いてもいいかなと思うが、へんに頑固に生まれついたのだろうか音感とかリズム感など全く向上はない。

 パートナーは珍しい小鳥の鳴き声、虫の鳴き声をすぐ真似が出来るし、暫くは記憶できるようだ。音を何かのパターンにして記憶するのだろうがボクはこれが全く出来ない。音の並びや高低に対する感覚が鈍いのだろう。でもこれが幸いするときもあるのだ。

c0041039_958651.jpg 昔からの友人で芸術系の仕事をしているヨットオーナーがいる。彼は昔からその環境にそぐわない音楽や音に対してよく反応する人だった。以前数人でハーバーのレストランでお茶を飲んでいたとき、ウェイトレスにBGMを雰囲気に合うものに替えてくれと要求した。本来これはレストランのマネージャーの仕事だろうが、その曲は若者向けの曲だったらしい。ウェイトレスの好きな曲だったかも知れない。どんな曲だったかは鈍感なボクには全く覚えてないし、その曲が不似合いだとも思わなかった。ただ、やかましいかなぁくらいには思っていた。

 ヨットに乗っている時に聞く風の音、波の音、セールが風を切る音、エンジンの振動、全てが調和をもった音たちである。ヨット乗りに心地よく響く。異常な音はトラブルの警報である。調和の中の不協和音は居心地を悪くする。

 この夏、和歌山のあるクルージング先の泊地だった。久しぶりに訪れた桟橋に係留し、一息つく。対岸のざわめき、引き波で舫がきしむ音。近所に係留した船から聞こえる談笑の声。遠くに泊まっているボートのエンジン音。みんなこの泊地が持っている調和を持った音として響いてくる。

 突然桟橋からポータブル発電機のエンジン音が響いてきた。騒がしい夜店の雑踏の中のエンジン音はそう気にならないが、マリーナの桟橋で聞くその音はまさしく雰囲気を壊す不協和音だ。近所に停泊しているヨットが冷房の電源用にポータブル発電機を回しているのだ。自分たちは締め切った船内で涼しいだろうが、騒音をまき散らかして他人への迷惑は考えないのだろうか。真夏のマリーナの桟橋は停泊している船も多く、風が入りやすいように窓も開けたままなのだ。

 彼はその夜、見知らぬヨット乗りたちの傍若無人な発電機の騒音にじっと我慢していた。だが翌朝、彼が早朝の港の雰囲気を味わっていた5時ごろから又、発電機の音が響いてきた。
 ここで彼の堪忍袋の緒が切れてしまった。その昔、スピードボートの発電機の音と排気ガスにからんでウインチハンドルをつかんでヤクザと喧嘩した時の迫力があったのだろうか注意すると相手はすぐにエンジンを止めたそうだ。気が引けていたのだろうが、苦情がなければ良いだろうとと思っていたのだろうか。

 ボクも昨年、大勢の仲間とクルージングに行ったときキャビンの横で一晩中うるさいエンジン音を聞かされた。でも、かなり酔っ払っていたし、昔、騒音の中で生活をしていた事と、生来の音感の鈍さが幸いして怒りの感情まではいたらなかった。
 まぁ、人生なにが幸いするか分からないもんですね。
c0041039_9593041.jpg

[PR]

by pac3jp | 2006-09-25 10:06 | クルージング  

<< セーリングを習う karano7 艇名の由来 >>