古い碇

 ヨットのクルージングでは島や海辺の村や町を訪れる事も多い。ボクがフネで遊んでいることもあるが、船とか航海に関する記録や記念物には興味がある。古い時代の船は木材で出来ていたので遺物としても余り残っていないが、金属あるいは石で出来たものは残っている。 船具で鉄とか石で出来ているといえば碇だ。

c0041039_8501241.jpg 左の画像は昨年壱岐・芦辺港に停泊した時、付近の岬の公園で見た碇石だ。傍に鎌倉時代の「弘安の役古戦場」の石碑が建っていた。元寇の軍船に積まれていた碇が近年、付近の海中から引き上げられて展示されているのだろう。これをどうして使うのだろうと見ていると、真ん中に固定用の鎖が付いているので真ん中から綱で縛って使うのかなとも思ったが、すっぽ抜けそうなので、そうでなく何か別の方法が有るのだろうと思っていた事である。

c0041039_8503423.jpg 右の画像は実物大の遣唐使船のレプリカが展示してある傍らに置いてあった古い碇のレプリカである。鍬形になるよう木の太枝を組み合わせ碇石がはめ込まれてちゃんと現在の錨にも通じるデザインになっている。遣唐使船は奈良時代~平安時代に中国のジャンク型の船を倣って造られたので多分、碇も大陸で使われていたもと同じだろう。壱岐の碇石もきっとこのように木材と組み合わせて使われていたのだろう。棒のような形状に納得がゆく。


c0041039_852156.jpg 左の画像は瀬戸内海の与島で見つけた古い四爪錨だ。ここは備讃瀬戸の難所だ。破船の錨かも知れない。庭先にオブジェ風に置いてあるが、海中に長く沈んでいたのだろう、まだ貝殻が付いている。石の碇は古代から中世まで長く使われてきたが、やがて室町時代に入り勘合貿易船などで鉄の錨が使われ始め、17世紀、江戸時代に入ると多量の鉄が必要な鉄の錨も普及してきた。江戸中期の北前船には大小8丁の四爪錨を積んでいて、大は百貫目(375kg)もあったそうだ。そんな錨を載せた北前船の船絵馬が残っている。

 だが、江戸時代に沿岸で漁をしていた小型漁船は二ツ爪の唐人錨を積んでいたのだろうか、あるいは昔ながらの石の碇を使っていたのだろうか。歴史の中には出てこない。

 ボクが子供の頃、台風で流れてきた杉の丸太でイカダを作り遊んでいたときの碇は、浜で拾った大き目の石と藁縄だった。全く縄文時代のアンカリングだったね。

参考資料:いかりのお話
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by pac3jp | 2006-05-22 09:01 | アンカー  

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