200年前 瀬戸内海の船旅

c0041039_10114087.jpg 瀬戸内海は島多く波穏かなこともあって海上交通は大昔から栄えてきた。

江戸時代も後期にはいると一般の人たちもあちこちへ旅をするようになってきていた。当時の旅は伊勢神宮参拝を始め各地の有名な神社仏閣詣だったが、物流の増加に伴ってビジネスでの旅も増えていた。
 そして歩かなくても良いので当時の海の新幹線?とでも言うべき早舟をチャーターして役人や裕福な商人、豪農などが瀬戸内の旅を楽しんだそうだ。



 記録によると享保3年(1802年)商用で長崎に行っていた古河某は供二人をつれ、下関から大阪まで早舟をチャーターし帰ることにした。
 早舟は全長10mばかりで帆柱は一本、四人水主乗組みである。料金は三日半請け受合いで二百四十目(小判4両)、他に食費一日百文づつ。途中に宮島に寄港する契約。

9月26日 下関を昼に出帆。夜10時上ノ関着
9月27日 朝6時上ノ関を出帆。午後3時 安芸宮島へ到着。厳島神社を参詣し、夕刻出帆。音戸の瀬戸を通し忠海沖で夜明け。
9月28日 朝8時はなぐり瀬戸を通し、午後2時過ぎに備後鞆に着 保命酒を買いすぐ出帆。その夜備前牛窓にて夜明け。
9月29日 天気よくも風弱く暫く夕方播州明石の沖に至る。その夜始終櫓4丁にて櫓走。夜明け方大阪安治川川口に到着。

 この航海は下関→大阪間、約275海里を二日と18時間で走破した。上ノ関で8時間と宮島で3時間ばかり停泊したから、航行時間は55時間になる。平均速度は5ノットだった。但し、風の弱かった明石→大阪間の櫓走は2ノット弱である。(逆潮だったみたいだ)

 瀬戸内海の航海は必ず潮流を考えて航行しなければならないのは今も昔も同様である。1日目のコースは平均速度は7.4ノットだ。潮にも乗っていたのだろうがかなりの速度である。
 上ノ関で8時間停泊したのも潮の調整時間だろう。順調に航海してきたが播磨灘で風が弱かったので明石の潮に間に合わず、微風もあって櫓走になったのだろうと想像する。

  参考文献 「日本航海術史 : 古代から幕末まで」 飯田嘉郎 著

 
 エンジンのない33fのヨットで瀬戸内海を平均5ノットで航海するのはボクの腕では難しいというよりはできないね。この船はプロが運航する貨客船なので我々アマチュアの運用技術を遥かに越えているし、この時代には早舟のような小型帆船の航路もしっかりと確立されていたのだろう。
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by pac3jp | 2006-04-28 10:19 | 歴史・民俗  

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