映画「コクリコ坂から」国際信号旗のはなし

c0041039_6551388.jpg 近くのショッピングセンターでタグボートにUW旗(ご安航を祈る)が翻る図柄の映画ポスターがチョッと気になっていた。そして、つい最近、その宮崎アニメ「コクリコ坂より」を見てきた。

 時代は1963年、横浜港をみおろす丘の上に建つ古いがよく手入れされた洋館で下宿屋を営む一家のしっかり者の女子高生「海(うみ)」が主人公。毎日、海が見える庭先の掲揚ポールにU・W旗を揚げるのを日課としている。

 庭先からは港の沖の錨泊地だろうか、デッキにデリックが並んだ懐かしい三島型の貨物船が数隻描かれている。神戸港でもコンテナ船が出現する前には殆どがこのようなタイプの船が岸壁や沖のブイからハシケで荷役していたのをよく見ていた。

 丘の上からコクリコ坂を下ってくると市街地になる。背景がみんな懐かしい。街の看板、肉屋さんのコロッケ、オート三輪、自転車、それに高校生の学帽などなど。
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 港には石積の護岸が続き、倉庫や船用品を商うお店が並んでいる。小さなはしけに混ざって浮き桟橋に煙突が高いタグボートが係留している。もう1人の主人公「俊」の父親が乗っているタグだ。彼は通学にもこのタグに便乗していて舫い取りや旗りゅう信号にも手馴れているようだ。

 朝、「海」が丘の上で掲げる「U・W」旗に対して「俊」が沖から「1・U・W」旗を揚げている。(UW1は「あなたの協力を感謝するご安航を祈る」となる)

 少女よ君は旗をあげる
 なぜ
 潮風に想いをたくして
 よびかける彼方
 きまぐれなカラスたちを相手に
 少女よ今日も紅と白の
 紺に囲まれた色の
 旗は翻る

と、校内新聞に投稿する。

 「海」の父親は1950年6月から始まった朝鮮戦争で連合国軍に徴用されたLSTの船長をしていて触雷して沈没、帰らぬ人となったが、船乗りだった父の帰りを小さな旗を揚げて待っていた幼少のころからの習慣だった。今も帰らぬ父を慕う想いが丘のうえで翻っている。

日本を占領下においていた連合国軍の要請(事実上の命令)を受けて、海上保安官や民間船員など8000名以上を国連軍の作戦に参加させ、開戦からの半年に限っても56名が命を落としている。1950年11月15日、元山沖で大型曳船LT636号が触雷して沈没し日本人船員22名が死亡した。

国連軍として朝鮮戦争に参戦していたアメリカ軍やイギリス軍の指示により、日本の海上保安庁の掃海部隊からなる「特別掃海隊」も派遣され、死傷者を出しながら国連軍の作戦遂行に貢献した。しかし、日本特別掃海隊は日章旗ではなく、国際信号旗の「E旗」を掲げることが指示された。(Wikipedia)


c0041039_6563338.jpg もう一つ気になる絵があった。コクリコ荘の住人で絵を描く女性がいる。「海」は彼女から沖の船からいつも返答があることを教えてもらうのだが、彼女が描いた油絵の中には「AP(回答)・U・W」となっている・・・。

 同じくコクリコ荘の住人で「北斗」さんの送別会でポールに「HOKUTO」と信号旗が揚げられていたがヨットレースに使われない信号旗だったのでアレ、アレと思っている間に場面が変わってしまいこれは残念でした!

 映画を見ていて色々と思い出した。ボクも高校生の頃は社会科学の本をかじったり、60年安保を考えたりしていたなぁ。でも、電車通学でいつも同乗する女子高生からかばんに小さな手紙を入れられた事も楽しい思い出だったなぁ。青春だったのだ!


【参考資料】:コクリコ坂から 解説パンフレット

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by pac3jp | 2011-08-14 07:06 |  

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