陸奥爆沈・・・「陸奥記念館」

c0041039_8341613.jpg ボクも安芸灘の柱島西に旧海軍柱島泊地があり、戦艦「陸奥」が謎の爆沈をしたことは知っていて一度はその場所に行ってみたいと思っていたが、今までヨットで柱島の東は時々航行しても西側には行ったことがなかった。

 しかし今回は車だったので泊地の南に位置する周防大島の東端の伊保田から旧柱島泊地方面を眺めたが、折からの黄砂で視界が悪く肝心の柱島も見えなかったけど地図によると多くの小島に囲まれた適度に広い水面が狭い海峡で閉ざされている環境が潜水艦による奇襲攻撃などの防御がし易い感じだったのでしょうね。

 その屋代島・周防大島町伊保田には大東亜戦争中、帝国海軍の旗艦だった戦艦「陸奥」(39050トン)が昭和18年6月8日正午頃にこの島の沖の柱島泊地で大爆発を起し沈没し、乗員、1,121人の犠牲者を出してしまうという大事件があった。
 それから27年後の1970年から8年間に渡り遺品及び艦体の75パーセントの引き上げを行った。そして遺品や艦の一部、遺族から寄贈・寄託された貴重な資料を展示し、恒久平和とその歴史を後世に伝えるためにその爆沈海面が見える陸に町営の「陸奥記念館」がある。

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 陸奥記念館正面 前庭右に艦首錨が展示してある。ちなみ主砲は呉の大和ミュージアムのエントリーに展示しされている。

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 館内風景 画像の右下に犠牲者の写真が出身の都道府県名と名前が表示されているが中には無名の写真があったように思ったが何故だろう?

 陸奥記念館では良く分らなかった部分ももう少し知りたいと思ってノンフィクション「陸奥爆沈」吉村 昭著を読んでみた。

 丁度、深田サルベージが「陸奥」の引き上げ作業を始めた1970年に発売されたので当時は話題の本だったという。大戦中にそのM調査(軍事機密のため艦名は伏せられた)に関わり当時存命された多くの関係者の聞き取り調査や軍の報告者などを検証し中々詳しく書かれている。

 著者による犯人像は艦の警察・軍紀・風紀の維持を担当する衛兵司令(士官)の下部に所属するQ二等兵曹が疑わしいと書かれているが爆沈後の死体も発見出来なかったので、もしやと思って27年後の出生地を訪ねてみても分らず結局著者も確証は得なかった。

 原因は当初新型砲弾の自然発火などと言われていたが、海軍当局が実施した調査によって、内部からの人為的要因によるものと推定されたが、物的証拠等の決め手がなく、断定には至っていなかったのである。しかし、引き揚げられた物件等から、当時の推定の妥当性が確認され、それまでにあったスパイによる破壊工作等、様々な憶測に基づく議論に終止符が打たれることとなった。(参考Web 2.より引用) 

 読んでいて驚いたのは1905年(明治38)日露戦争の連合艦隊旗艦だったあの有名な軍艦「三笠」(15,140トン)がバルチック艦隊を撃破して佐世保軍港に凱旋し、東郷平八郎大将が天皇に報告するため東京に向かった夜、突然火薬庫から火災が発生し、鎮火したかと思われたが続いて大爆発を起こして爆沈した。
 原因はお偉方がいない艦内で開放的な気分なった兵たちの内数名が深夜上官の目の届かぬ火薬庫に酒を持ち込み宴をひらいた。そのときローソクが倒れ、火薬に引火した。兵たちはあわてて消そうとしたが、たちまち大火災となり火薬庫が爆発し、艦は沈没し、死者は251名に達した。

 原因は火薬の自然発火とされたが、しかし、この上記の事実が判明したのは「三笠」が神戸沖で2度目の火薬庫火災事故を起した6年後の1911年(大正1)だった。

 明治~大正期の日本海軍では軍艦「三笠」を最初として、1906年(明治39)の軍艦「磐手」、1908年(明治41)の軍艦「松島」(4280トン)、1911年(大正元)に再び軍艦「三笠」と軍艦「日進」(7750トン)、1917年(大正6)軍艦「筑波」(13750トン)、そして翌1918年(大正7)に軍艦「河内」(20800トン)と、明治から大正の時代にかけて7 件もの事故が起こっている。明治39 年の「磐手」と大正元年の「三笠」、「日進」は小規模の火災事故だったが、それ以外は多くの犠牲者を出した爆沈事故だった。

 当初これらの事故は、艦内にあった弾火薬類の自然発火によるものと考えられたが、多くの犠牲者を数えた海軍当局は事故の原因は火薬の自然発火ではなく、内部の人為的要素によるものであると突き止め、以後徹底的な事故防止対策が実施され「三笠」爆沈からの14年間に7件も続発していたこの種の事故は1918年(大正7)に軍艦「河内」以降は沈静化し、「陸奥」爆沈までの26年の間、再び発生することはなかった。

 だが多くの乗組員が複雑な装置を操る軍艦の内部は規律を強めても何らかの人為的トラブルが発生する可能性は絶えずあると思われるが、致命的な大事故を防ぐ手立てもまたあるはずだと思う。

 諸外国の例ではアメリカ、イギリス、フランス、イタリア、ロシアでも火薬庫事故があり、日本はイギリス・フランス・イタリアなどともに人為的な火薬庫事故が多いといわれていたが、何故かドイツには公表される?大事故はなかったようだ。

 アメリカの空母のようにちょっとした町の人口並みの五千人を越す若い兵士が長期間艦内で共同生活しているという軍艦の軍紀や治安の維持などはどうしているんでしょうかね、チョッと興味があります。


【参考Web】:1.戦艦陸奥(ウイッキペディア)
【参考Web】:2.軍艦爆沈事故と海軍当局の対応 ※PDFファイルです。
    -査問会による事故調査の実態とその規則変遷に関する考察- 
         山 本 政 雄(防衛研究所戦史部所員)         
         
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by pac3jp | 2011-05-22 08:50 | 歴史・民俗  

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