民俗学者・宮本常一先生の故郷を訪ねる

c0041039_8282028.jpg 2009年7月に屋久島で10日ほど過ごした時、宮之浦港のビジターセンターで屋久島など離島に関する民俗誌を読む機会があった。現地取材されたのはもう大分昔だが、現在発行されているガイドブックには載ってないない島の歴史や民俗習慣がたっぷりと記載され、時間も充分あったので大いに参考になったもんでした。

 左画像はその宮本常一著「屋久島民俗誌」です。硬そうな雰囲気の本ですが読みやすい文体で書かれています。

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 そして最近、宮本常一の代表作で英語にも翻訳・出版されている「忘れられた日本人」を読み、先生の生まれた瀬戸内海の屋代島・周防大島町平野にある資料館「周防大島文化交流センター」を訪ねました。

 屋代島の東部北岸の波静かな安芸灘に面した文化交流センターでは丁度、「宮本常一が写した昭和」の企画展が終わった後で常設の展示物だけで何か寂しい感じでしたが、関連の展示パネルと多くの宮本著作本が本棚に並んだ資料閲覧室で先生の業績を描いたVTRを見ていると遠くからやってきた甲斐があったと思いました。

 展示フロアでは海の生産用具が展示されている。島の南部の沖家室島の地先で使われていたタイやハマチの一本釣り用の小さな本物の木造漁船と木碇などが展示されている。この島の漁師たちは明治の頃には船団を組み国内はもとより、朝鮮、台湾、ハワイにまで果敢に出漁していたという。いつだったか、お盆に各地から大勢の島出身者が帰省するので「お盆に沈む島」として報道されていたのを覚えているなぁ。
 文化交流センターの隣(画像の手前)には町の施設と大島出身の作詞家「星野哲郎記念館」がある。こちらのほうが断然お客さんは多い!

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 上の画像は大正末期に使われた4人乗り組みの帆走漁船「沖家室船」の模型。風があるときはミヨシに小さい帆を巻いて帆走り、風がなくなれば櫓を押して航海し、雨が降れば苫を屋根に葺いて寝るという。「忘れられた日本人」にある対馬の老漁師に聞き取りした話では明治の初めに周防大島から対馬に出漁した漁船は5~6人乗りの「大釣」だったと言うのでこの模型よりは少し大きめのフネで船団を組み一月もかけて遠くに漁場を求めて移動していったわけだ。

 2005年5月にもヨットで周防大島南部の安下庄港にも入ったことがある。安下庄湾は広くて良い湾だが、港は細長くて狭い、その上潮汐の差が大きいので昼間はよじ登っていた岸壁が夜中になるとフェンダーが掛からないほどの潮高となり大慌てした思い出がある。残念ながら当時は民俗学者として高名な宮本常一先生の生誕の島だとは知らなかったので近くを散歩しただけで出港してしまったのだ。

 でも今回は車だったので結構大きな島だったが楽々と一周出来た。途中、沖家室島の対岸にある小さな岬、牛ヶ首にあのシーボルトが江戸参府の際、ここに上陸し植物採集やスケッチをしたという石碑が立っている。今は沖家室島は大島とあいだに橋が架かっているが昔はこの海峡が弁才船の航路、或いは泊地にもなっていたのでしょうね。

 ちなみにこの橋の建設記念碑には宮本常一先生の短い碑文が刻まれている。

 此の橋全国同胞 の協力によって できました 感謝します
                   沖家室島民


【参考Web】:周防大島文化交流センター 

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by pac3jp | 2011-05-08 08:38 | 歴史・民俗  

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