三島水軍 海賊流車輪船図など

 三島海賊衆は豊臣秀吉の天下統一により海で自由な活動が出来なくなり、来島村上氏は小さいながらも秀吉傘下の大名となり、因島村上氏と能島村上氏は毛利水軍に組み込まれ、それぞれ立場でその後の時代を生きてゆく。 そして、彼等の戦いの経験から海賊流の軍学なるものを作り上げている。

 因みに日露戦争の連合艦隊司令長官東郷平八郎の伊予出身の参謀秋山真之が日本海海戦でとった「丁字戦法」でもってバルチック艦隊を撃破したことが知られているが、それは古くからある能島流海賊古法からを思いついたという。

c0041039_10444348.jpg この村上家に「海賊流車輪船図」という絵図が伝わっている。船底の先鋭な船の船尾部に4枚翼のスクリュープロペラ2個を備えていると解され、日本人の思いつきの優秀性が強調されている。しかし、図の左右両端が船首尾らしいことから判断して、外車を船側に備えた船、すなわち、外車船と解すべきであるとされている。

 当時の水軍書の中には海賊流車輪船のほか、竜宮船(潜水船)、波潜(ナミクグリ)船、盲船、水中船(潜水船)などが描かれているが、当時の技術から見て、到底、実現しそうもない特殊な軍船の図であり、いずれも単なる着想を示す絵図であって実際に建造されたものではないと思われる.
 「船の世界史」上巻 上野喜一郎著 舵社 より引用 


 伊予・今治出身の有名人は他にも村上水軍の末裔といわれている人もいるが、自民党の村上誠一郎氏は本人の公式ホームページで能島村上家18代目であるとはっきりいっているので信用できるかもね。
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by pac3jp | 2010-12-03 10:55 | 歴史・民俗  

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