「棟 梁-堂宮大工の世界-」

c0041039_16561589.jpg 大手ゼネコンの竹中工務店は創業が慶長15年(1610年)というとても古い会社だが、明治32年神戸に進出し、最初に本社を置いたゆかりの地に「竹中大工道具館」がある。木造建築には長い伝統と歴史をもつ同社が、近年の大工道具の目覚しい機械化で使われなくなってゆく古い優れた大工道具を収集・保存・展示している企業博物館があるのは以前から知っていたが見学の機会がなくずっと気になっていた。

 ところが、開館25周年を記念して表題の巡回展が開催され、法隆寺大工棟梁だった西岡常一さんの堂宮大工としての業績や彼の使っていた道具類が展示されていて、唐招提寺金堂の屋根荷重を柱や梁に伝える巨大な斗栱(ときょう)の実物大模型も展示されると言うので見学に出かけた。

 初めての訪れた博物館だが、法隆寺の金堂に使われているという大斗がのった丸柱のモニュメントと和風の白壁の建物がよくあい、良い感じである。小振りな印象だったが地上3階と地下1階の4層に展示物があり充分楽しめた。

 まず、有名な西岡棟梁がお使いだった道具を見せていただくが、きれいに研がれて今でも現役のようである。刃物はこのように保管しなくてはと我家の「数本の鑿」とつい較べてしまい大反省。棟梁の道具選びは名人が作った道具にはこだわらず「道具はよく切れたらいい」主義だったようですと解説員からとお聞きし、やっぱりと納得した。

c0041039_177156.jpg カンナな鑿、鋸など普通の大工道具の他に西岡棟梁が法隆寺金堂の昭和修理のために古代~中世に使われていたヤリガンナを絵巻や遺物を参考に「実際に作業に使える道具」として復元した。そんなヤリガンナも展示されていた。
画像左上はヤリガンナの刃と木型

 もう一つ珍しい定規があった。画像左中「さお定規」で礎石の凸凹に柱の底を合わせるときに使う(ひかりつけ)。竹で出来たオサを上からたたいて形状をうつす。堂宮は礎石が巨大なため、さお定規も並外れて巨大である(長さ1.3m)。

左下のモノクロ画像はこの「さお定規」で礎石の凹凸を測っているところ。

 茶室などの建築は礎石の上に柱をのせることもあるので今でも小さなものは使われているらしい。

c0041039_1703646.jpg 唐招提寺金堂斗栱 原寸大模型のCG画像
西岡常一・鵤工舍製作(1986年)国立科学博物館蔵

 天平の甍で有名な金堂の屋根と柱をつなぐ部材(斗栱)だが真近で見ると太く大きい。それにヤリガンナで仕上げた削り跡に古代の雰囲気がある。構造は金具やボルトで組み立てるのとは違って太い木の部材だけで組み立てる構造になっている。位置はそれぞれ中心のピンで決め後は屋根の重量で押さえているのだろう。
 この博物館は天井が低いので柱の部分と軒の部分が省略されているが、11月20日から開催される名古屋会場はトヨタの大きな博物館なので3mもある部材全部の組み立てが見られるらしい。

 唐招提寺の平成大修理の映像を見ていると大きな材を継手と仕口の技で組み合わせていた。継手とは材をのばすため同じ方向につなぐもので仕口とは材を直角や斜めに組むもの(組手)と端部を材に差し込むもの(差口)のことをいう。巨大な堂宮の建造は限られた長さの材をしっかりつなぐ技があってのことだろう。
 館内にも精巧に加工された各種の継手の模型があるが、見ているだけで日本の大工さんの伝統の技は凄いなあと感じたものだった。

c0041039_178416.jpg 堂宮大工さんのお仕事は長いスパンを経てくるもので、700~800年前のある日、一人の大工さんが東大寺南大門の梁の上に置き忘れてきた只の墨壷が今や大工道具博物館のお宝にもなっている!

 これから京都・東本願寺や奈良のお寺にも出かける機会も時々あるので全体の姿だけでなく柱や軒の斗栱など細かい部材までよく観察してこようと思っている。


【参考Web】:竹中大工道具館 
【参考資料】:「棟 梁-堂宮大工の世界-」展示解説図録
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by pac3jp | 2010-11-17 17:14 | ウオッチング  

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