海路図一里の距離は?

 神戸大学海事博物館に所蔵されている江戸時代の海路図のいくつかが電子化されたのに伴いそこに記載されている航海情報から当時の航海術を検証するという市民セミナーを聞く機会があった。

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 上の表は 1826年、紀州藩が海防の必要から作成(写し)したといわれている「自浪速至東都図解」に記載されている海路行程表です。

 ボクは以前から江戸時代の海路図を見ていると航路の方位は12支24方位で、距離は里で表示されているのは知っていたが、この海路図の一里は航海に便利な“海里”にしては数字があわないなあと思っていた。

 一番身近な大阪湾を縦断する大坂川口~紀州加太を見ると13里となっているが現在の海図では28海里になる。但し陸上で使われる1里を約4kmとするとほぼ同じ距離になる。
 表の内、比較的近い湊間はほぼ海図に近い距離が表示されているが、鳥羽~伊豆下田は75里となっているが実際は100海里でかなり長めの距離になっている。
 また「図解」の中には沖乗りの伊豆諸島の利島~三宅島は5里(実は28海里)、三宅島~八丈島は60里(実は62海里)と記入され誤差が大きくなっている。

 正確な海図も速度や距離を計測する計器もなかった頃に陸上の距離や目測、それに長年の経験から判断した距離だが近距離は良く合っているが長距離や伊豆諸島などの離島間では誤差が大きい。

 距離の換算は以下のようになる。

1里=3.927m=2.12海里

 この海路図に表示されている距離と海図の海里を比較すると平均で1.87(海里/里)になり差は 0.25 で経験値にしては精度が良いと説明されていた。(2.12-1.87=0.25)

 昔の廻船船頭さんは殆どが地乗り航海で、海路図などではなく記憶した沿岸の目標をたどるか、あるいは目標を書いたメモで走らせていたのではないかといわれています。また、初めての海域に入る時はその海に詳しいガイドを雇ったといいます。

 1海里とは緯度1分の距離のことなので海図による航法計算がとても簡単になるのですが日本の商船ではいつ頃から“海里”使われ始めたのだろうかと想像してみると、やっぱり航海用にちゃんとした海図があり位置や速度も測れるようになった明治8年、三菱の横浜~上海航路の外航船くらいからでしょうかね。

 江戸時代のきらびやかな海路図は沢山残っていますが、海上で実際に使われることはなく幕府・藩庁などの役所や富豪のお座敷の装飾として存在していたのだろうと思われる。紀州藩のこの図は屏風ではなく折りたたんであるので紀州藩のお役所で実際に使われたのかもしれない。

 つい最近も1821年に幕府に上呈された復元伊能大図を見てきたので「自浪速至東都図解」の紀伊半島部分がコピーかと思って注意深く見たがその海岸線はマンガ的でどうも伊能図のコピーではない様である。


【ご参考に】

里は元々は古代中国の周代における長さの単位であった。1里は1800尺(360歩、6町)四方の面積を表しており、後にこの1辺の長さが距離の単位「里」となった。1尺を30cmとすると1800尺は540mとなる。その後、時代により変動があるが、今日の中国では500mを1里としているので、周代の里に戻ったことになる。

日本では1里歩くのにかかる大体の時間から、その時間に歩いた距離を1里と呼ぶようになった。人が歩く速度は地形や道路の状態によって変わるので、様々な長さの里(36町里、40町里、48町里など)が存在することになるが、目的地までの里数だけで所要時間がわかるという利点がある。しかし、やはりこれでは混乱を招くということで、江戸時代には、様々な里の存在は認めた上で、36町里を標準の里とすると定めた。明治時代に入り、メートル条約加入後の明治24年(1891年)に制定した度量衡法では、1里=36町とし、それ以外の里の使用を禁止した。 (ウイッキペディアより)

1里=36町=2160間=12960尺=2.12海里=3.927m
1町=60間
1間=6尺
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by pac3jp | 2010-10-17 14:49 | 歴史・民俗  

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