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尼崎JR脱線事故から5年

 今朝の地元新聞は「107人が亡くなり、562人が重軽傷を負った尼崎JR脱線事故は25日、発生から丸5年を迎えた」と大きく報道している。

 ボクはその事故のあった2005年4月25日は九州一周の巡航中で、当日は針尾瀬戸の潮待ちの為、佐世保湾の西海町横瀬浦に早めに入港した時だった。通船桟橋に舫いを取ると近くにいた乗船待ちのお客さんが、ヨットに張ってある船検シールの「兵庫」の表示を見て、「神戸でえらいことになってるよ!」と何人もが教えてくれた。

 早速、近所でテレビを見ると、尼崎の脱線事故現場からの中継映像では、ほんとにえらいことになっている!

 JR福知山線は今の生活には余り縁の無い電車だが、以前に尼崎に勤務先があった関係で何回かは乗ったことがあった電車だし、現場はなんとなく土地勘もある場所だった。

 あれから5年たったが、ニュースで尼崎JR脱線事故が報道される度に必ず、のどかな入り江の雰囲気をもつ西海町の横瀬浦を思い出す。

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 上の画像が5年前の横瀬浦の様子だが、今日、グーグル地図の写真で見ると通船桟橋の東側(上の左岸)に大きなクレーンが付いた台船のようなものが写っていて、グレーぽい船が泊まっているのが見える。もしかして軍用桟橋が出来たのでしょうか。

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 この静かな入り江は1561年、ポルトガル船で上陸した宣教師達が初めてキリスト教の布教を始めたところで、ルイス・フロイスの等身大といわれる大きな銅像が横瀬浦公園の入り口に建っていた。

 5年もたつと世の中あれこれ変わってしまう、西海町は西海市になり、ハウステンボスの再建はやっとHISが引き受け、お世話になったマリーナは「施設が無償譲渡されるなら県有化が可能」と長崎県が表明しているという、さて利用料金などはどうなるのだろう。ちょっと心配。

 勿論、ボクも5才年を食ってしまいましたが、ま、これは世の中の変化と全く関係なく過ごしていたようですね。

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by pac3jp | 2010-04-26 12:54 | 徒然に  

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