昔の漁船が使っていた碇(レプリカ)
江戸時代の物流に大活躍した、菱垣廻船や樽廻船などの弁財船(千石船)は大小合わせて八本の四爪錨を装備していたと言われている。大阪港のなにわの海の時空館にある復元船「浪華丸」の一番錨は80貫(300kg)もある鉄の錨である。以下、番が一つ下がる毎に5貫目軽くなり画像の立っている七番錨は50貫(188kg)ある。
一方、昔から沿岸で漁をしていた舟は今も使っている鉄と木を組み合わせた唐人錨などを積んでいたのだろうか、あるいは昔ながらの石の碇を使っていたのだろうか、どっちだろうかと前から思っていた。
今年のクルージングでは種子・屋久~奄美・沖縄までの博物館や郷土資料館で地元の漁業に関する展示の内「イカリ」に注目して見て来た。そこでは大昔の刳り舟の時代から、サバニやイタツキ船などが小さいエンジンを搭載する以前は、沿岸で漁労をする小舟の碇は石と木を組み合わせたもの、あるいは綱を取り付けやすい穴をあけた丸い石、石を網袋に詰めたものなどであったという。
碇のレプリカを見ると現在の漁船のバウに載っているアンカーも素材が木からステンレスになっているが同じ形をしている。岩場やサンゴ礁に引っ掛けて船を止め、もし外れなければエンジンパワーで引けば爪が伸びて岩から錨が外れる。原理は一緒だが昔の木の爪の方がサンゴ礁には優しそうだなぁ・・・。
そう見ると小型の沿岸漁船が唐人錨などを使うようになったのは鉄が大量生産で安くなった事もあるが多くの漁船がエンジンを搭載し、今までより沖合いで漁をするようになり効率の良い錨が必要になってきたからだろう。
そして、石と木の碇はそこで有史以来の長が~い寿命が尽き、やっと博物館入りしたわけだ!
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by pac3jp | 2009-08-17 16:21 | アンカー