流れ着いた漂着物の所有権は?

 世界遺産の島「屋久島」で運良く1日8時間無料の島内観光タクシーに乗れるチャンスに恵まれた。ガイド兼ドライバー氏は地元の人で副業?として海岸に近い場所で農業をしているという。
 そんな彼が運転する観光タクシーで宮之浦港から出発した。まず、最初の屋久島観光は車で入れて、名前まで付いた巨大な屋久杉がある「ヤクスギランド」から始まった。
 50分コースを案内して貰ったが、その谷筋には立派な屋久杉テーブルが取れそうな太い杉の丸太が大岩に引っかかっている。それもあちこちにある。でも、そのような谷あいにある杉丸太の採集は全島で禁止されているが、大雨が降り、海へ流れ出し、波や風に吹かれて海岸に漂着した丸太は、最初に見つけた人の所有物になるという。屋久島でもその権利の主張は石ころ一個を載せておくだけで良いときいた。

 下の画像は民俗学者として有名な宮本常一先生が昭和34年8月7日佐渡・真更川-鷲崎での撮影したもの。
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 <海ぞいの道ともいえないところをあるいてゆく。浜には流木がすこしうちあげられている。その木の上に石がのせてあるのが目につく。流れ着いたものにこうして石をのせておけば、それは私がひろったのですというしるしになる。<中略>こうした習俗はどこにも見られる。それは全国にわたっている。石をのせた人は誰であるかわからない。もちろん木を失った人もわかってはいないけれども、こうして石をのせておけば、石をのせた人以外にその流木に手をかけたりもっていったりするものはいなかった。そしてそのうちひろったものがもってゆくことであろう。私はこのような習俗を面白いものに思う。しかもそうした習俗が全国にわたっていることである。
 不文の約束ごとが守られることで民衆の社会は成り立つものである。人が人を信じられるのである。見知らぬ人おもそのことによって信じることができた。さびしい海岸であった。人一人見あたらぬ世界である。しかしそこには人の意思は働いている>
(私の日本地図7・佐渡より)

 奄美大島の漁師さんが書くブログ「島魚・国直鮮魚店」の記事の中にこんなお話が出てくる。
2009.02.19 ゆりむん(2)

【ゆりむん】 漂着物
 島の海岸線には多くの”ゆりむん”(漂着物)が打ち上がります。
昨今問題となっている大陸からのプラスチックごみや医療廃棄物などの漂着ごみはいただけませんが、その昔ゆりむんは遥かネリヤ・カナヤ※からの贈り物でした。
 流木等はサイズによって建築材や薪として利用される他、浮き玉やロープ類は漁具の材料として利用価値が高いため、台風や季節風の吹いた後は先を競って海岸を散策しました。
 一見無秩序に見えるゆりむん拾いですがいくつか暗黙のルールがあります。
 二つ目のルールは「第一発見者絶対優先(早い者勝ち)。」というものです(一つ目はコチラ)。
「ゆりむんを見つけ持ち帰ることはできないけど所有権は主張したい。」という場合は、人為的に置いたと分かるよう移動させたり、石を積んだり、ロープを巻いたりと何がしかの意思表示をしておきます。
 それ以後の発見者は決して現状を変えてはいけないし、ましてや持ち去ることなど絶対に許されません(それが島っちゅのモラルです)。

 屋久島でも奄美でもきっと佐渡でもこの習俗は今も生き続けているんだ。

 ボクも子供の頃は播磨灘に面した半農半漁の小さい集落に住んでいた。台風や冬の大西が吹き荒れた翌朝、浜に打ちあがったワカメや木材など漂着物を皆で拾いに行ったものです。今でも台風の後には海岸に行きたくなり、時には埋立地の奥のテトラに引っかかった黄色い俵ブイ(フェンダーにする)などゲットすることもあります。

 残念ながら当時は子供だったので日本人の習俗だったという「石を積んどく」は知らなかったなぁ。今ではそんな砂浜もすっかりなくなりテトラとコンクリートの護岸になってしまい、漂着物ひろいのモラルなんて大阪湾や播磨灘の沿岸ではもうなくなってしまったのでしょうね。

※ネリヤ・カナヤ(ニライカナイ)は、沖縄県や鹿児島県奄美諸島の各地に伝わる他界概念のひとつ。理想郷の伝承。

【関連記事】:迷惑な漂着物 

【参考資料】:宮本常一の写真に読む 失われた昭和 佐野眞一著 平凡社
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by pac3jp | 2009-06-05 09:40 | 歴史・民俗  

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