史蹟 和田岬砲台

 三菱重工神戸造船所で大型コンテナ船の進水式を見学して船台から出ると、通路にはこの造船所内にある国の史蹟、和田岬砲台見学コース行きの矢印看板があった。
 以前からここに古い砲台あることは知っていたので頑丈な第3船台の下を潜り、昔は岬の先端だっただろう工場の南東方面に暫く歩くと、植栽やベンチもあり小公園のように整備された場所に出た。 145年前に築造された砲台は古びてはいるが花崗岩を積んだ立派な建築物だし付近の景観ともマッチしている。大工場の奥深くで丁寧に保存されてきたので他と比べ流石にとも思わせる。もう少し季節が進むと付近の桜が満開になり花見にも絶好の場所にもみえるが構内なのでそうもいかないのでしょうかね。

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 現在は木造の内部構造が痛んできたので保存に向けての調査中とかで内部の見学は出来ない。中まで見たい人は三菱神戸造船所のWebで和田岬砲台をクリックしてください。

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 江戸幕府は幕末、日本近海に現れる列強の軍艦から国防に不安を感じ、京都を警護する要地である大阪湾各地に勝 安房守(勝海舟)の建策、設計で数多くの砲台を築いた。
 阪神間では明石海峡の舞子と対岸の淡路・松帆、神戸の川崎と和田岬、西宮の今津と香枦園に文久3年(1863年)から突貫工事にとりかかった。和田岬砲台は講道館柔道で有名な嘉納治五郎の父、嘉納治郎作が工費二万五千両で請負い、二ヵ年で竣工したが、今津と香枦園はやわらかい砂地に重い花崗岩を積むため基礎工事に手間取ったのか足掛け4年の歳月がかかってしまったという。

c0041039_1542263.jpg 上の説明板によると現存するのは和田岬砲台だけだと書いてあるが西宮・香枦園浜にある西宮砲台はしっかりと残っている。ただし、昔から管理が悪いのか大正期に内部は火災で焼失し、近年はフェンスで囲まれているが落書きなどいたずらで文化財らしくない管理状態に見える。(画像左上)

 西宮にあるもう一方の今津砲台は同時期に今津港東口に築造されたが、大正4年(1915年)民間に払い下げされ、石を取るため解体され今津港から運びだされてしまい現存しない。今、その場所には大正4年に地元の酒造家長部文次郎氏らが砲台に積まれた御影石に文言を刻んだ記念碑が建立され今に残っている。(画像左下)

 今の感覚で見れば明石海峡を睨む舞子や松帆、神戸港の入り口である和田岬は砲台設置の必要性もあるが西宮の二ヶ所は本当に必要かと考えてしまうが当時は西宮港も今津港も神戸港に並ぶ重要港湾だったのだろう。



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by pac3jp | 2009-03-21 16:00 | 歴史・民俗  

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