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先任将校(軍艦名取短艇隊帰投せり) 松永市郎著

先任将校(軍艦名取短艇隊帰投せり) 松永市郎著_c0041039_17355350.jpg 太平洋戦争真っ只中、フィリッピン沖300マイルの太平洋上で、敵潜水艦の魚雷攻撃を受けて乗艦沈没の憂き目にあった軍艦名取短艇隊195名の生還の記録。食料も、真水もなく、航海用具も持たず、15日間も橈を漕ぎ続け、27歳の先任将校の決断、次席将校の補佐、隊員の団結で、死の運命を切りひらいた海の男たちの感動の物語。(裏カバーより)

 この本は軍艦「名取」の航海長がパラオ近海で雷撃され沈没した艦から脱出できた300人くらいの兵員のなかで先任将校として指揮権を確立し、確固たる信念をもって士官や兵を掌握し、自力で帰還してゆく様を次席将校として先任を補佐していた通信長が書いたものだ。

 太平洋戦争も昭和19年8月ともなると制空権もなくなりフィリッピン近海も敵潜が遊弋し、輸送船の消耗も激しくなり、巡洋艦名取も「名取・丸通」と呼ばれ、その高速を生かしてマニラを基地に人員や物資の輸送業務に励んでいた。

時にはこんなこともあった。
●水葬
 人員を輸送していると艦内で死亡することもある。戦時では水葬にする。水葬は副長立会いの上でラッパが「国の鎮め」吹奏し、海図に水葬の艦位が記入され、その軍艦がその海域を通過するたびに花輪を投下して水葬者の霊を慰めるという。

沈没後の嵐で短艇3隻と200人が残り、短艇隊を結成、帰投へ・・・
●短艇の航海
 海図もコンパスも六分儀もないカッターで西への針路はどう決めたか。まず北極星の高さで緯度を測定する。その北極星を右正横に見て進めばいいのだが実際は難しい。そこで、オリオン座とさそり座を使う。オリオン座は天の赤道付近にあります。さそり座は天の赤道のやや南寄りにあり、これらは地球上のどこでみても必ず東方からでて西方に沈みます。これらの星座が東にあれば背を向けて進み西にあれば向かって進めば西に進めるわけです。また走行距離は日の出、日没の時刻差で測定した。
●短艇
 全長9mで定員は45名だが、各艇60人~65人と可能な限り乗り込み鈴なり状態。
●橈走
 暑い昼間は休んで夜間にダブルで10時間30マイル橈走する。
●帆走
 風があれば橈をマストに作業服を縫ったセールで帆走した。
●真水
 海面下40mにあるといわれる真水を汲み上げる試み。これは昔の弁財船の船頭さんは信じていたようだが昭和の軍艦乗りでも試しているのが面白い。
●無事到着後の夕食
 殆ど飲まず食わずで半月もオールを漕ぎ続けて、やっと港に帰ったのに最初の夕食は薄い重湯だった。隣の兵隊はご馳走を食っているのにどうしてだ!と餓鬼になって軍医にねじ込んだが重湯の理由を諭されてやっと分かったことなど。
●不思議・・・
 本艦から脱出し、短艇で時化た海を乗り切るため、各艇舫い結びでシーアンカーをつくったが海軍軍人が60人も乗っているのに誰も結べなかった短艇があったこと。

 文中に兵の不平不満が高じて反乱を恐れる場面が時々出てくるがわずか27歳の先任将校がしっかりと抑えてゆく。この先任将校も本艦に乗っているときは普通の将校だったらしいが、きっと非常時に力が発揮できる人だったのだろう。

 世の中に漂流記は沢山あるが、外洋で撃沈された軍艦の200人ちかい乗組員が制空権もない海をわずか30フィートのカッター3隻に分乗して僅かな食料とスコールの水をのみ15日間も目的の方向に漕ぎつづけ自力で帰投を果たしたことは漂流というイメージでは収まらず、これは規律ある軍艦の航海だと思うほどである。

※先任将校とは:軍艦には艦長に告ぐ副長という地位がありますが、駆逐艦や潜水艦などの小型の艦艇では副長もうけるほどたくさん士官がいませんので、その艦で副長に相当する士官を先任将校といい艦長の補佐役です。一般的には同じ地位に先についた将校のことをいう。

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by pac3jp | 2009-01-15 17:53 |  

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