明石海峡 江埼灯台

 「灯台記念日」の11月1日、明石海峡に面する淡路島・江崎にある江埼灯台が一般公開されると聞き、お天気も良かったので見学に行ってきた。
 江埼灯台はお雇い英国人リチャード・ヘンリー・ブラントンによって設計され、日本で8番目の石造りの洋式灯台とて明治4年(1871年)4月27日に点灯したと銘板に刻まれていた。同じ敷地内にはかって灯台守が住んでいた歴史的に貴重な石造の建物もあったが阪神・淡路大震災で被災し今は香川県の四国村で復元保存されているという。
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 海岸から長い石段を登って灯台に着く。見学者はちらほらで関係者の方が多いくらいだ。灯台は2階建てで1階はバッテリーと電源管制盤がある電源室と修理などの作業室になっている。2階のドーム部分に灯器機能がある。ドーム上には避雷針ポールに風見と方位板が付いてクラシックな雰囲気で面白い。

 この灯台は海面から49mの高さにあり、不動赤白互光(R5秒・W5秒)光達距離は白で18.5nmである。西側にある浅瀬、「鹿の背」に乗り上げないように危険海域を知らせる赤い光も放っている。

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 狭いステップを上りドームに入る。すでに灯器に電源が入りレンズ(画像1)は回転している。フェリーで沖から灯台を見た時も光っていた。おやっ?と思ったが今日は灯台記念日で久しぶりに来客が多い日なんだと納得した。

 灯台は暗くなると点灯するようになっているがその装置は街路灯にも使うデイライトスイッチかなと思っていたら窓際に日光弁(画像2)と表示されたセンサーが本灯用と予備灯用の2個並んでいる。弁なんて流体を制御するような大仰な名がついているのは、きっと明治・大正の頃使ったオイルランプやアセチレンガス灯からの伝統でしょうね。

 灯台の係員が灯器が載った免震台(画像3)を動かしてみせ大地震でも耐えると説明していた。阪神大震災では震源に近かったけど非常電源に直ぐ切り替わり欠灯はしなかったそうだ。因みに、もしもの時のためには外部に予備灯器が設置されている。

 光源ランプはそう熱くもなく細長い管球が2本セットで白い光が出ていたのでメタルハライドランプだろうと想像した。確か400Wとか聞こえたが予備が1本付いているのだろう。

 灯台ドームから出て下の作業室に入ると写真パネルや部品が展示されていたがボクは古い縦型バイスに興味を引かれた。これは昔、実家にもあった。明治生まれの祖父が鍛冶屋を始めたときに据え付けたものと同じ鍛造品のバイスだと直感した。多分、明治4年からあったのかもしれない。そんなことを考えていると、電気のない当時、灯台の光源は何だったのだろうと灯器の歴史に興味がわいてきた。

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c0041039_14483986.jpg 江戸時代は障子張りの灯明台で菜種油のランプだったのだろう。

 洋式灯台も初期の灯台には石油二重心灯器(参考画像2)がつかわれたようだ。観音崎、都井岬、石廊埼など、江埼灯台も多分これだったのだろう。 その後、より強い光が出る石油を蒸発させてマントルで発光する灯器になっていった。

 不動レンズ(参考画像1)、灯器から出た光はレンズで遠くに送り出される。明治5年から長らく友が島灯台で使われたレンズ。

明治34年 尻屋埼灯台にアーク灯が設置された。電源は石油発動機(12HP/150V/40A 発電機)光源電化の初め。
明治41年 根室港弁天島灯台にアセチレンガス不動灯がつかわれた。(参考画像3)
明治44年 四日市灯台が電力会社からの買電で32Wタングステン電灯で点灯。

大正 6年 御前埼灯台に 1,000W白熱電灯 ガス封入電球がつかわれる。
大正 7年 出雲日御碕灯台に 1,500W白熱電灯がつかわれる。(参考画像4は江埼灯台でS29年から使われたもの)

昭和51年 ガス式灯浮標の電化完了 尾道港東口第二灯浮標
昭和61年 光源に高圧ナトリウムランプの採用 三木浦灯台

平成 1年 光源にLEDの採用 神戸苅灯台
平成 2年 光源にメタルハライドランプ採用 二神島灯台

 以上のように明治2年以来130年にわたり灯台の光源は進化してきた。歴史ある古い灯台も外観は変わらないが中身はどんどん変わってきたのだ。これからも船舶の電波航法の進歩、普及で光波標識の役割も変わりつつあるのかもしれないが、帰る岬にいつもの光を放っている灯台は懐かしくていいもんですね。


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by pac3jp | 2008-11-12 14:57 | 海保  

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